--------------------------------------------------------------------------
日本帝国主義・天皇制下における「朝鮮牛」の管理・統制は、当時の植民地朝鮮全土の人々におよんだだけではなく、牛肉、生牛、枝肉などの日本への輸移入を通して、ひろく日本国内においても影響を与えた。
しかし、この時代、植民地において「朝鮮牛」がどのように管理・統制されたのかについて研究論文はほとんど見当たらない。植民地時代に数多くの日本人が朝鮮の莫大な資源を収奪したという視角が日本の近代における「食肉と皮革」の歴史的実態の把握にとっても、また、部落史研究の上でも必要と考える。そのことを通じて日本の植民地支配と戦争責任の究明の一端を担うと考える。
----------------------------------------------------------------------------
以上の問題意識のもとに、『戦後の歴史研究と朝鮮認識−自民族・自国中心意識の克服をめざして』(東アジアにおける「人権の歴史」資料シリーズNO2)、『日本帝国主義・天皇制下の「朝鮮牛」の管理・統制−食肉と皮革をめぐって』(同シリーズNO3、年表)を使って報告された。以下、要点のみ紹介する。
1. 日本の植民地下で、1900〜1942年の43年間で朝鮮から日本に輸出された「生牛」は150数万頭。1933〜1940年には1年間に6〜8万頭輸出された。
「牛皮」についても、1892〜1942年の51年間に約600万頭分の「牛皮」が日本に持ち込まれたことになる。
2. 朝鮮の牛の輸出数、屠牛数の動向は、「牛皮」の価格の変動は日本の経済動向、とりわけ戦争ときわめて深いつながりがある。
1927年9月20日付「朝鮮日報」によると、第11回畜産大会(日本中央畜産会主催)で、日本側は朝鮮畜産の振興・発展が日本の食糧問題、軍需品の生産を目的としていると発言し、それに対して記事の筆者は「朝鮮人自身の問題なのに論評することすらできないと」と書いていることの意味を考えるべきだ。
3. 朝鮮内の屠場数と経営主体・実態の変化の中に、日本帝国主義による朝鮮の屠場とそこに働く人たちに対する管理・統制の実態を知ることができる。
ちなみに、1909年の「屠獣規則」によって、屠場外での屠畜が徹底的に弾圧され1915年には5110人もの人が「処断」されている。
4. 過去、部落史研究の分野でも朝鮮牛を取り上げているが、朝鮮牛がどのように日本に入ってきたのかを抜きに論じている研究がほとんどである。
たとえば今後「大阪の部落史」編纂事業に際しても部落の経済的発展と結びついている朝鮮牛の輸入や屠牛を明らかにしていくことによって、大阪の部落を通して植民地支配をはじめ東アジアの歴史の究明につながるのではないか。