1. 問題意識:近年の歴史学研究において議論されている「国民国家論」をもとに、「公共圏」と「政治文化」という2つの分析枠組みに注目し、水平運動の成立を当該時期の部落民衆が置かれていた歴史的・社会的文脈の中に位置付けながら考察する。
2. 水平社創立以前の時期、部落の生活実態は低位であり、近代社会における支配文化から疎外されていた。
3. 1900年代に展開された部落改善政策における部落認識は「特種部落」あるいは「特殊部落」呼称が創出されたことに示されているように部落を異なる人種と見なし、「帰化人説」や「異人種説」が流布された。1910年代には部落改善運動の一環として部落の有力者層による文化運動・生活改善運動が取り組まれるが、大和同志会機関誌『明治之光』に示されているように部落を恥かしい所、劣った所と認識し、部落民衆へ「自覚」を喚起しようとした。
1920年代の水平社創立期に取り組まれる青年運動は、大福村三協社機関誌『警鐘』に見られるように、当初は支配文化のレトリックを流用して「自覚」運動の実践と体制批判を特徴としていたが、水平社創立とともに「部落民アイデンティティ」を公的な場において主張することが可能になり(部落民衆の公共圏の形成)、「国民たりうる力量」を誇示することで抵抗の拠点となった。
4. 初期水平運動における「政治文化」のあり様として、(1) 水平歌・荊冠旗など、部落民衆のさまざまな象徴が生み出されたこと、(2) 演説会のパフォーマンスなどから下層民衆の能動性がみられること、(3) 大正小学校差別糾弾闘争の分析から、運動の激化と対抗暴力、部落民衆の政治的実践の組織化などが見られる。
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1. 現行の『部落問題事典』の「全国水平社解放連盟」や「平野小剣」の項の記述に現われているように、水平社運動におけるアナ派に関する従来の運動史は、さまざまな不十分点があり、いくつかの新しい問題提起をしたい。
例えば、従来はアナ派はボル派に対抗して全水青年連盟から全水解放連盟に純化していったと理解されていたが、実際には1926年頃までアナ派の中では南梅吉派と栗須七郎派との対立があった。初期の青年連盟の頃には、後の解放連盟で中心的な活動家となる大阪や広島などのメンバーが顔を出してこないのは、そのためである。
2. また、アナ派の中心人物は平野小剣であり各地のアナ派の運動が平野の影響で始まったかのような記述は、正確ではない。1922年、23年当時、アナキズム運動は各地で盛んに活動しており、各地にそれぞれ運動の基盤が存在していた。平野は解放連盟が創立される前に、すでに運動の第一線を離れていた。そもそも、平野がアナキストと言えるのか。少なくとも、当時のアナキズムの活動家は、平野をアナキストとは評価していない。
3. 水平社のアナ派の運動は1929年に解体声明を出して消滅したというのが通説だが、解体声明後もアナキストは荊冠旗社を創立したり独自の水平社運動を展開した。滋賀県の朝野温知などが無政府共産党事件に関与したほか、農村青年社運動や日本無政府共産党事件まで、活動が続く。深川武や朝倉重吉などは水平社の本部とともに活動したことは、よく知られている。
4. そして水平社運動のなかのアナキストたちは、「掠」と称して活動資金を集めたり、全国各地に移動して活動しそこで共同生活を営み、また任侠とも関係を持つなど、これまで水平運動史の研究では関心を持たれなかった側面にも注目して、アナキスト像を明らかにする必要があるのではないか。