1.報告者の部落史の基本的な認識は拙著『部落史がわかる』の通りで、内容にオリジナリティはないが、これまでの通説的な部落史とは違う理解が含まれている。にもかかわらず、いくつかの重要な論点について活発な議論が成り立たないのが残念である。
例えば、近世政治起源説はいまだに有効か。その骨子は(1)分裂支配、(2)権力が身分、例えば部落をつくった、(3)斃牛馬処理・行刑役を強制した、に整理できるだろうが、どれも論証・実証されていたわけではない。しかしもっと深い問題は、その背景にある歴史のイメージで、「差別はいつの時代も、あるはずがない。あってはならない」ことを前提にし、だから政治が…の目的で部落をつくった(残した)と説明してきた。つまり、差別があるのはノーマルな状態からの逸脱だというわけだ。しかし近世の身分制社会は260年間続いており、それを歴史の逆流だとか反動と見るわけにはいかない。「差別はあるべくしてあった」ことを説明する必要がある。
2.部落史を考える時も、古代・中世・近世・近代・現代という一般的な時期区分に従ってきたが、近年注目されているように1600年代、「かわた」身分が成立したと考えられる時期になお、「かわた」身分が賤視とともに畏れで見なされ重要な祭礼を担っていたという事実は明らかに中世的な差別の姿であり、従来の政治史に基づく時期区分では説明できなくなってきている。
そもそも、起源論は必要なのか。確かに史実を確定するために議論は必要だが、「どちらの歴史観が正しいか」という議論は不毛だろう。歴史観は個人の生き方と関わっており、複数あってもいいのではないか。もし起源論が必要だとしても、それはあくまでも起源の解明にあるのであって、直接に現状や将来の解放の展望を説明するものではない。
3.権力は身分あるいは差別をつくれるか。具体的には差別されていなかった者を被差別身分にすることができると考えていいのか、ということは大きな論点である。基本的に、朝尾直弘さんが指摘するように、「身分制度は、たしかに各時代の支配権力による政治的・権力的な規制や編成のこころみによって秩序化・制度化がはかられるが、身分そのものは、各時代の社会がそれぞれの特質に即して内在的に生みだすもので、したがって、社会構造のなかで広く人びとの存在形態、意識や感覚と切離すことができず、それらを含めて分析することを通じて把握され得る」(「近世の身分とその変容」『日本の近世』8<身分と格式>、1992年)と考える。これまで権力が部落をつくったと言ってきたのは、朝尾さんの言に従えば「支配権力による政治的・権力的な規制や編成のこころみによって秩序化・制度化」のことであって、身分そのものがつくられるわけではない。
4.これと関連して、従来は自明のこととされてきた、部落差別は「身分(的)差別の一形態」だという命題にも疑問が提示されている。近世政治起源説が説明できたのは、近世「かわた」身分の成立であって、差別の姿ではなかった。あるいは身分の成立で差別を説明できるのかのように考えてきた。しかし、例えば臼井寿光さんが指摘するように、夙は被差別民だが身分としては百姓と扱われているとか、同じ非人身分でも江戸と京坂では差別のあり様が違うことなど、身分と差別は関係が深いが、身分から差別が説明できるわけではない。
5.近世の被差別民の労働・生活史をどう見るかも大きな課題だが、『国際身分制研究会中間報告書』の総論(沖浦論文)のように、身分制社会ではあらゆる社会的権限が少数の支配者に掌握されるとか、土地への緊縛によって移動の自由が剥奪され上から一方的に課役が割り当てられると考えていたのでは、近世社会の実相は解けない。こうした身分制理解そのものが検討される必要がある。
6.「死牛馬処理」を「押し付けられた」「人の嫌がる」仕事と見なすわけにはいかない。それは押し付けられてできる仕事ではなく、技術や知識、経験、伝統が必要であり、自負がある。「死牛馬処理」が一方的に「人の嫌がる」仕事と見なされていくようになるのは、恐らく18世紀の転換があってのことだろう。
7.最後に、近世でも部落差別を「身分(的)差別の一形態」とする考え方に疑問が出てきているのであり、近代の部落差別・部落問題を近代の身分制の問題として解明しようとする姿勢には慎重であってほしい。