勝男さんはまず、商人には<1>問屋、<2>仲買、<3>小売、という三つの局面があることを念頭において皮革流通を検討することを立論の基底とし、身分社会における異端性を具有している点で商人は身分的周縁としての性格を持つとした。また、皮田身分の生業は地域・権力からの被差別視において考察すべきだとする、のびしょうじ氏の皮田生業構造論を踏まえて、近年の渡辺村についての研究を紹介しながら、渡辺村への皮革集荷、渡辺村皮革問屋の機能と集荷方法、渡辺村への輸送について、以下のように説明した。
まず、寛政3年(1791)の「津山藩日記」によれば、大坂への登皮は10年前の3分の1に減少したが、その原因は、播州・高木村などの皮田村による買い取りの増加による。また、天保13年(1842)の大坂町奉行の調査では、五畿内・西国・中国・山陰から渡辺村に積み登されてくる牛馬皮は平常は年10万枚に達するが、九州では領主が牛馬皮を買い取るようになり、姫路藩が革会所を設立したために、大坂への廻送量は減少している。
つぎに、渡辺村皮革問屋の機能には、皮の入札実施、国元買入支配人に対する大坂相場の連絡、個別領主の蔵屋敷から認可された「売支配」に基づく五歩口銭の徴収、荷主の宿の提供などがあり、集荷の方法には、前貸金による集荷、買い出し、委任された「売支配」による集荷、先納銀納入による一手買がある。
さらに、渡辺村への輸送は、弱小回船業者が担当し、船頭との貸付関係が生じる。輸送費用は渡辺村から買い付けの場合は渡辺村問屋、渡辺村への売り込みの場合は出荷側がそれぞれ負担する、などの特徴がある。