戦前期福岡県の農民運動については、水平社運動との緊密な関係が一般論としては指摘されている。しかし緊密な関係の実態については、わずかな例外を除いては、必ずしも明らかにされているとは言えない。たとえば、1930年代において鼎立する三組合は、いずれも被差別部落を主要な基盤とし、その指導者が全国水平社の役員であるにもかかわらず、そのことは戦線統一に有効に機能していない。
これらの問題に納得のいく説明を与えるには、現在のところ依然として史料を集め、読み込んでいく作業を続けるしかない。本報告では、その中でも特に研究に乏しい日中戦争期の農民組合と水平社運動との関係について検討を試みたい。具体的には、全農全国会議の中核であった全農福佐連合会が、1938年の全農解体、大日本農民組合結成の過程で、組織内に大日農参加、日本農民連盟(東方会系)参加の両論がありながら、結局単独組合(西日本農民組合)結成を選択した問題を取り扱う。
とはいえ、かつて筆者が友人たちと編纂した『福岡県史近代史料編 農民運動(二)』に若干の関係史料を収録して以降も、史料状況はほとんど改善されていない。とりあえず、問題の所在を確認することだけでも試みたい、とした。