福岡県では、1932(昭和7)年にはじまる地方改善応急施設事業に呼応して、融和団体である福岡県親善会による部落経済更生運動が、1934年からはじまった。一方、全国水平社九州連合会は第6回大会(1930年)は、「改善費は全額国庫負担の賠償金として増額しその使用権を獲得」することを運動方針として打ち出していた。この頃から各地の全水活動家の融和事業への接近が見られるようになる。
そして、1934年頃から、活動家の行政機関への就職、中堅人物講習会への参加、管外優良施設視察への出張、県議補欠選挙に出馬した親善会役員出身候補の推薦などであった。すなわち、水平社活動家の行政、融和運動と協力関係への転回が成されたといえよう。
1936年の全水県連大会では、部落委員会活動と経済の確立を基本方針として、地方改善事業の主導権をとることが目指された。そしてそれは、1937年福岡市融和会設立に際して数人の役員を送り込むことによって一定の成果をみた。
(里上龍平)
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