去る9月17日、第20回部落解放・人権啓発プロジェクト会議が開催された。以下その概要を報告する。(文責.事務局)
「第二次人権教育のための国連10年に向けて」
まず友永健三・研究所所長から、8年目に入った「国連10年」の取組の成果と問題点をふまえて、第二次「国連10年」に向けた取組を大阪の地から発信していく必要性が提起された。
1.なぜ、「国連10年」が提起されたか
「国連10年」が提起された背景には、冷戦終結後の世界各地でナショナリズムの台頭や民族紛争の激化等による深刻な人権侵害が進行していたことが挙げられる。それに対して、世界中で人権教育を推進することによって人権と民主主義に基づく世界平和を創造していくために「国連10年」が提起された。昨年の「9・11同時多発テロ」の発生とその後の「アフガン戦争」等々に見られる世界の人権状況を見たとき、「国連10年」に課せられた使命はよりその重要性を増している。
2.第一次「国連10年」の成果と問題点
取組を分析した際、第一次「国連10年」の成果と問題点は次のように整理される。
(成果)
(1) 人権教育の重要性に対する認識を国際的にも国内的にも一定程度高めることができた。
(2) 従来、学校教育、社会教育、職場研修などバラバラに取り組まれてきた人権教育を「人権文化の創造」という大きな目標のもとに総合的・計画的に実施していくための手がかりを作り出した。
(3) 人権教育を推進していくにあたっての重点課題として、各国に存在している被差別集団に光が当てられるとともに、人権との関わりの深い特定職業者に対する人権教育の重要性に対する関心が高まった。
(4) それぞれのレベルで人権教育を推進していくための体制と行動計画が一定整備された。
(問題点)
(1) 世界的にみたとき「国連10年」に全く取り組んでいない国がある。日本においても,全く取り組んでいない自治体がある。一定取り組んでいるところでも「国連10年」の位置付けが低く、体制や予算の面で不充分である。
(2) 「国連10年」行動計画が策定されているところでも、数値目標や予算を伴った実施計画まで具体化されていないところは少なくない。また定期的に行動計画を評価し、見直しているところは少ない。
(3) 人権教育が具体的な施策と結びつけて捉えられていない。このため人権の視点からあらゆる施策を見直したり,人権のまちづくりとの結合がなされていない。
(4) 情報化社会の到来、とりわけインターネットの普及をふまえた行動計画となりきっていない。具体的にはインターネットを積極的に活用した人権教育の推進とインターネットによる人権侵害への対応が行動計画に盛り込まれていない。
3.第二次「国連10年」に向けた取組を
バブル崩壊以降の長期経済停滞、戦後最高の失業率、年間3万人を越す自殺者。一方で、後を断たない児童・高齢者への虐待、インターネットによる差別扇動等々、国内的にも「国連10年」の持つ意義はきわめて大きい。
世界的に国内的にも第一次「国連10年」の残された2年間の取組を抜本的に強化するとともに、第二次「国連10年」を求めていく必要がある。その際、以下の点に留意すべきである。
・ 国際的に求められていること
(1) 国連をはじめ国際機関として人権教育の果たす役割に対する認識を高め、予算の配分や人員の配置などの面で「国連10年」に関する取組の優先順位を高めること。
(2) すべての国で「国連10年」にちなんだ推進委員会を設置し、行動計画を策定すること。推進委員会には政府のみではなく、専門家やNGOの代表や企業、労働組合など各方面から参画を得ること。
(3) すべての国での「国連10年」に関する取組を促進するため、地域的な会合を開催すること。その際、関係国の代表のみでなく専門家やNGOの代表の参画を得たものとすること。
(4) 国連として、人権との関わりの深い特定職業従事者向けの人権教育テキストを引き続き発刊するとともに、各言語に翻訳紹介していくこと。
(5) 情報化時代の到来、インターネット等の普及を踏まえた行動計画を策定すること。
(6) 国際機関・各国・NGO等での人権教育の取組を積極的に収集し、系統的に紹介していくこと。このため国連人権高等弁務官事務所の人権教育資料センターやホームページの充実を図ること。
(7) 第一次「国連10年」を総括し、第2次「国連10年」の在り方を提言するための専門家、NGO代表等によって構成される会合を国連主催で開催すること。
・ 日本国内で求められること
(1) 各方面で第一次「国連10年」にちなんだ取組の総括を行い、第二次「国連10年」の在り方を討議すること。
(2) 人権教育を推進していくことに役立つ実態調査を実施すること。
(3) 国や自治体レベルでの「国連10年」行動計画、「人権教育・啓発基本計画」を改訂・充実すること。また行動計画を実施計画まで具体化し,具体的な施策や人権のまちづくりと結合していくこと。
(4) 実態調査の実施や「国連10年」行動計画、「人権教育・啓発基本計画」の改訂・充実に際して委員会を設置し、各方面からの参画を得ること。
(5) 国レベルの「国連10年」の事務局、「人権教育・啓発推進法」の事務局を内閣府に設置し、体制を充実すること。
(6) 人権との関わりの深い特定職業従事者向けのテキストを策定し、研修カリキュラムの中に明確に位置付けること。
(7) すべての自治体で推進体制を整備し、「国連10年」行動計画、「人権教育・啓発基本計画」を策定すること。また人権教育・啓発推進センターを設置すること。
(8) 学校教育,社会教育,生涯学習の中に人権教育を明確に位置付けること。また、人権に関する大学院大学を設置すること。
(9) 企業や民間団体、マスメディア等各方面での人権教育の取組を強化すること。
(10) 世界人権宣言55周年の2003年に、日本の地において第一次「国連10年」を総括し、第二次「国連10年」を提起するための国連主催の国際会議を誘致し、開催すること。
次に、姫路工業大学の阿久澤麻理子さんから、各自治体における「国連10年」行動計画を調査する中で浮かび上がってきたいくつかの課題を提起していただいた。以下にその概略を記す。
1)世界人権宣言第26条「教育」権に対する考え方からみて
日本では人権教育啓発が「思いやり」や「やさしさ」という観念的・心情的で非常に価値中心的な言葉で表現されることが多い。もちろんそういう価値は、人間として大事にしなければならない点でもある。
しかし、「国連10年」では、それを土台にしつつも、どういう権利が社会の中に必要かということについて社会で合意形成をし、出来上がってきた「基準」や「文書」(これらを国連は国際人権基準と呼ぶのだが)を大事にしようという考え方である。日本の場合、非常に価値中心的な表現が多いということに考えさせられた。
次に、世界人権宣言の第26条は「教育を受ける権利」について書かれた条文だが、第1項で「教育を受けることは権利である」とし、第2項に「そこで受ける教育というのは人権の尊重と基本的自由を促進する内容でなければならない」と書いてある。
最近では、それに加えて「権利を学ぶことが人権である」という解釈が加わると国際社会では言われている。
ようするに、人権教育というのは自分以外のいろんな人たちの権利についても学んだり、理解しなければならない。しかし、「国連10年」の定義にも書いてあるように、何よりもまず、自分がどんな権利を持っているのかをきちんと学んで、それを枠組みにして社会を見て,問題がある場合は、その社会を変えるために行動していこうというスタイルの教育・啓発を重要な中身として進めているのである。
ところが、自治体の行動計画の中には、権利について伝えて、当事者が学ぶ機会を保障し、彼らが自分の権利について認識しめざめ,行動していけるように促そうという視点はない。
障害者問題を例に挙げれば、「障害者問題について理解しましょう」「交流やふれあいを増やしましょう」ということは言っているが、障害者自身が、自分はどんな権利を保障されるべきかについて学ぶ機会を保障し、障害者自らが社会を変えていけるようにサポートしようという文言は、自治体の行動計画の中には出てこない。
日本では、自治体が人権教育の主要な担い手になってきたため、行政に対して市民が積極的にモノ申すことを促すような人権教育の在り方を自治体自らが行動計画に書きこめたかと言えば、それは限界があったかもしれない。
2)「公権力」に対する視座・「市民」(NGO)に対する視座
市民に権利を学ぶ機会や場を保障し、彼らが人権というフレームから社会を見てどこをどう変えたらいいのか意見形成をして上げていく、それをサポートするのが人権教育だという側面が一つある。被差別の当事者を重視すると言ってもよい。
すべてを行政に要求すれば良いと言うわけではもちろんない。しかし、問題を解決するために行政はなすべきことがあると市民が考えた場合に、その実行を行政に要求したり、立法措置を議会に求める等々が必要である。あるいは、途上国の場合、企業による人権侵害が多いので、企業に対して発言・要求し、課題を上げていくことをサポートするために、人権を学ぶ場を保障するというスタンスがある。
このような人権教育のとらえ方は、当然のことながら、国や自治体が上から保障していく人権教育の中では十分になされないので、多くの国ではNGOとか人権運動団体がその役割を担っている。この構造が理解できない限り、「国連10年」の意義が十分に日本国内に伝わらないのではないかと危惧する。
3)「国連10年」は途上国を念頭においている?
国連の行動計画の中には識字のことなどが書いてある。あきらかに国連は途上国のことを意識してこの行動計画を作ったのではないかという意見がある。それは否定すべきことではない。世界の8割は発展途上国なのであり、発展途上国を抜きに普遍的な人権なんてありえないのだから。しかし、だからといってこの行動計画が日本には当てはまらないかといえば、むしろ、ここに重要なかぎがあるとわたしは考えている。
「国連10年」の行動計画には、「特定の職業従事者」の人権教育という視点を入れているが、これは国連が提起しなかったら、日本の行動計画にどこまで入ったかは、心もとないであろう。大きな権力を持った国家が市民の人権を侵害するという認識が国際社会では共有されている。だから、公権力の末端にいる人たちの人権意識が問題なのであり、公権力を持つ人(「特定職業の従事者」)に対する人権教育が重要なのである。これなどは、途上国があるからこそ、意識化された例だといえる。
逆にいうと、「国連10年」を意識しないでつくってしまった日本の行動計画や指針が、公権力の問題に鈍感になってしまう可能性があるのではないかと危惧している。
途上国では、90年代に入って多くの国で民主化運動が活発になり、それまでの独裁政治が変わっていく過程を経験している。そうすると、農民や漁民,都市の貧困層等々、政治的な決定のプロセスにこれまで声をあげられなかった人たちが民主化によって声をあげれば、まがりなりにも自治体の決定に影響を与えられるような時代になってきたのである。
だから、逆に住民運動を組織して農民や漁民、貧困層の人たちに権利について教え学ぶ機会を保障し,彼らが政治的な決定に影響を与えられるようにしようという、教育の視点が途上国では強いのである。
この視点を忘れてしまうと、「自分以外のだれか他人の人権問題について理解しましょう」という、単に教育のカリキュラムの中にその問題を盛り込めばいいというような「国連10年」の行動計画になりがちなのである。
「国連10年」が途上国に焦点を当てているからこそ、むしろ、私たちが忘れてしまうような人権教育の視点を与えてくれているのであり、それはきわめて重要な視点なのである。
「国連10年」の中には、公権力をどう見るかとか、どういうふうに人権教育がおこなわれていくべきかという、わたしたちの気がつかないような重要な視点がいくつか入っている。第一次「国連10年」が2004年で終わってしまった後、どうしていくのかということを考えていかなければならない。