Home > ニュースレター > 世人大ニュース 本文
2008.09.12

2008年12月10日、世界人権宣言は採択から60年目を迎えます。
各方面で創意工夫をこらした取り組みを展開しましょう!

今年は世界人権宣言が国連で採択されて60年目にあたります。当大阪連絡会議は今年度、世界人権宣言のパネルや冊子を作成するなど、宣言のいっそうの普及に取り組んでいます。今号ではこの60年間で世界人権宣言が果たした成果を振り返り、これからの課題を提起いたします。(文責 事務局)

世界人権宣言60周年を迎えて
-成果と課題-

友永 健三(世界人権宣言大阪連絡会議事務局長)


世界人権宣言の採択とその後の発展

 世界人権宣言は、第2次世界大戦の反省の中から1948年12月10日、国際連合第3回総会で採択されました。世界人権宣言は、前文と30条から構成されていますが、その基本精神は、差別を撤廃し人権を確立することが恒久平和を実現することに通じるということにありました。本年は、この宣言が採択されて60周年という大きな節目の年にあたります。国内外の平和と人権をめぐる状況を直視したとき、世界人権宣言の普及・宣伝とその実現をめざした取り組みを強めていくことが求められています。

 この60年の歴史をふり返ったとき、世界人権宣言の内容を実現するために、さまざまな努力が積み重ねられてきています。その一つは、人権の基準設定です。世界人権宣言の内容を実現するために、国連は、1966年12月、世界人権宣言を発展させ、まもらせる方法を盛り込んだ国際人権規約を採択しました。また、人種差別撤廃条約(1965年12月)、女性差別撤廃条約(1979年12月)の採択など、今日まで30に及ぶ国際人権諸条約を採択してきています。

 二つ目には、世論喚起です。差別撤廃と人権確立に向けた国際的な世論を喚起するために、国際婦人年(1975年)、国際障害者年(1981年)等の国際年に取り組んできています。また、それぞれの差別の撤廃や人権確立を具体的に前進させるため、国連婦人の10年(1976年-1985年)や国連・障害者の10年(1983年-1992年)等一連の「国連10年」を提起してきています。差別の撤廃と人権を確立していく上で、教育が果たす役割が極めて大きいことから国連は、1995年から2004年まで、人権教育のための国連10年を提起し、世界中に人権文化を創造していくための取り組みを展開しました。2005年からは、人権教育の世界プログラムへと引き継がれています。

 三つ目の取り組みは、国際人権諸条約の実施確保です。国連は、国際人権規約をはじめとした国際人権諸条約の締結を各国に求めるとともに、条約の仲間入りをした国に対して実施状況に関する定期的な報告書の提出を求めています。それぞれの条約の履行状況を監視する委員会が、この報告書の審査を行い、その結果を国連総会へ公表してきています。また、国際人権自由権規約や女性差別撤廃条約の選択議定書等を締結している国の場合、個人からの国連への通報を認めています(日本は未批准)。国際人権諸条約の国内で実施を確保するために、国連は、条約を締結した国における裁判所での活用と、裁判所以外の救済機関、例えば人権委員会などでの条約を活用した救済にも力を入れています。1993年12月には、国内人権機関の地位に関する原則(パリ原則)を採択しています。

 今日パリ原則を踏まえた国内人権機関を設置している国は60ヵ国に及んでいます。(日本は未設置)

 四つ目は、人道に対する罪、集団虐殺、戦争犯罪を裁くための国際的な取り組みです。このため国連は、1998年7月、国際刑事裁判所規程を採択し、2002年、同条約の発効に伴い、オランダのハーグに国際刑事裁判所が開設されています。この他、地域的人権保障が整備されてきています。例えばヨーロッパでは1950年11月にヨーロッパ人権条約が、1961年10月には、ヨーロッパ社会憲章が採択されています。この内、ヨーロッパ人権条約については1998年11月以降、ヨーロッパ人権裁判所が個人からの申し立てを直接審理する権限を認められています。米州、アフリカ、アラブにおいても、同様に地域的人権保障に向けた取り組みが前進してきています。日本がその一員である、アジア・太平洋地域については地域的人権保障が整備されていません。

 差別撤廃と人権確立に向けて、国連の人権委員会や人権小委員会が重要な役割を果たしてきました。これらの会議では、委員国のみならず、専門家、さらにはアムネスティー・インターナショナルやヒューマンライツ・ウオッチ、マイノリティ・ライツグループ・インターナショナルや反差別国際運動などの国際人権NGOが大きな役割を果たしてきています。また、1993年6月、オーストリアのウィーンで開催された世界人権会議や2001年8月から9月にかけて南アフリカのダーバンで開催された反人種主義・差別撤廃世界会議等では、重要な宣言や行動計画が採択されてきています。

世界の人権状況と今後の課題

 1989年11月ベルリンの壁が取り払われ、1991年にソビエトが崩壊するなかで冷戦時代が終了しました。この結果、平和と人権が尊重された時代の到来が期待されましたが、現実には、世界各地で民族紛争が激化し、ボスニア・ヘルツェゴビナ等においては内戦が勃発し、民族浄化と呼ばれる深刻な人権侵害が生じました。

 2001年9月11日には、同時多発テロが生起し、一瞬の内に3000名近い人々が亡くなりました。その後、アメリカのブッシュ政権は、アフガニスタン戦争、イラク戦争等に代表されるように、武力によって「テロ」を封じ込める戦略を採っていますが、事態は改善されるどころか泥沼化の様相を示しています。また、世界各地で、「反テロ」を理由に、法的な手続きを踏まえない身柄の拘束、拷問を使った取り調べ、電話の盗聴や監視活動の強化など、人権侵害が強まっています。

 さらに、インドやパキスタンの核武装につづいて、朝鮮民主主義人民共和国やイラン等の核武装が現実のものとなろうとしていて、核戦争の危険性が高まってきています。このような、人権と平和をめぐる厳しい状況を直視したとき、人権確立と平和擁護を求めた世界的な取り組みを飛躍的に強化していくことが求められています。

 国連は2006年6月、第一回人権理事会を開催しました。これは、これまで経済社会理事会のもとに設置されていた国連人権委員会を「格上げ」し、国連総会のもとに設置されたもので、47ヵ国が人権理事国として選出されました。また、国連の人権活動を担う国連人権高等弁務官事務所の予算や人員も大幅に増やされることとなりました。2006年12月、国連総会において、障害者権利条約、強制的失踪防止条約等が採択されました。さらに、日本の部落差別、インド等南アジアに存在しているダリット差別、アフリカのいくつかの国にも存在している同様の差別を撤廃するために「職業と世系に基づく差別」に関する特別報告者の取り組みが積み上げられ、2007年11月には「原則と指針」の取りまとめが行われました。

 2008年4月から人権理事会において全国連加盟国の人権の履行状況に関する普遍的定期的審査(UPR)が開始されましたが、差別撤廃と人権確立を求めた国連の人権活動を一層促進するための、国際的な努力を強化することが求められています。その一環として、新しく設置された人権理事国の一員に選出された日本に対する期待は大きいといわねばなりません。

 民族紛争の激化やテロの多発の背景には、自由主義市場経済のグローバル化のもとでの世界的な貧富の差の拡大と長期に及ぶ不正義の放置(その象徴がパレスチナ問題です)があります。このため、世界各地において差別とたたかい人権確立を求める団体や個人が一堂に会し、公正な世界を構築していくために2002年1月(ブラジルのポルトアレグレ)以降、世界社会フォーラムが開催されてきています。2007年11月には、ケニアのナイロビで第7回の会合が開催されました。今後、こうした取り組みを強化していくことが求められています。

日本国憲法の制定とその後の発展

 日本では、第2次世界大戦の反省の中から1947年5月3日、日本国憲法が施行され、本年で61年を迎えました。日本国憲法は、戦争放棄、主権在民、基本的人権の尊重、国際協調を基調としています。

 1956年12月、日本は国際連合に加入し、それ以降今日まで、国際人権規約(1979年6月)、難民条約(1981年10月)、女性差別撤廃条約(1985年)、子どもの権利条約(1994年4月)、人種差別撤廃条約(1995年12月)、拷問等禁止条約(1999年6月)等国連が採択した12の国際人権条約を締結してきています。

 国内における差別を撤廃するためにさまざまな取り組みが行われてきました。例えば、部落差別の撤廃については、1965年8月には内閣同和対策審議会答申が出され、「同和問題の早急な解決は国の責務であり同時に国民的な課題」であることが明らかにされ、1969年7月、同和対策事業特別措置法が制定されました。それ以降2002年3月まで33年間、「特別措置法」に基づくさまざまな施策が実施されてきました。

 女性差別撤廃についても、1986年4月、男女雇用機会均等法が施行(1999、2007年大幅改正)され、1999年6月には男女共同参画社会基本法が施行されました。さらに、2001年10月には、配偶者暴力防止・被害者保護法(DV防止法)が施行(2004,2007年改正)されてきています。子どもの権利に関しても児童福祉法(1948年1月)、児童買春、児童ポルノ禁止法(1999年11月)、児童虐待防止法(2000年11月)等が施行されてきています。

 障害者に対する差別撤廃についても、身体障害者福祉法(1950年4月)、障害者雇用促進法(1960年7月)、心身障害者対策基本法(1970年5月)、発達障害者支援法(2004年12月)等が施行されてきています。この内、心身障害者対策基本法については、1993年12月に障害者基本法に改正されました。高齢者の人権に関しても高齢者対策基本法(1995年12月)が施行され、高齢者虐待防止法(2005年11月)が公布されています。また、障害者と高齢者等の人権に関わってハートビル法(1994年9月)や交通バリアフリー法(2000年11月)が施行(2006年12月両者の法律が「高齢者・障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律」として一本化)されています。

 アイヌ民族の人権に関しては、アイヌ文化振興法が1997年7月に施行され、1899年に制定された名称からして差別的な北海道旧土人保護法が廃止されました。また、2008年6月6日、衆・参両院は、アイヌ民族を先住民族であるとした決議を採択し、政府に本格的な取り組みを求めました。この決議をうけて、政府もアイヌ民族を先住民族であることを認め、有識者懇談会を設置、新たな政策のあり方の検討を開始しています。野宿生活者の人権に関しても、ホームレスの自立支援特別措置法が、2002年8月に施行されています。1996年4月には、らい予防法の廃止に関する法律が施行され、永年国家によって強いられてきたハンセン病患者に対する差別法が撤廃されました。また、2008年6月11日は「ハンセン病問題基本法」が制定され、患者の名誉回復と福祉の増進等が盛り込まれました。

 日本においても、差別を撤廃し人権確立を実現していく上で教育が果たす役割が大きいため、2000年12月、人権教育・啓発推進法が公布・施行されています。また、差別や人権侵害の被害者を救済するため、2002年3月、人権擁護法案が国会に上程されましたが、新しく設置される人権委員会の独立性や実効性、さらにはメディア規制等の面で批判が強く、2003年10月、衆議院の解散で廃案となっています。

 情報化時代の到来とともに、新たな差別や人権侵害が多発してきています。こうした事態に対応するため、2002年5月には、プロバイダー責任法が、2005年4月からは個人情報保護法が全面施行されています。

 国のレベルでの取り組みだけでなく、自治体レベルでも差別撤廃と人権確立にむけた取り組みは前進してきています。1985年3月、大阪府部落差別調査等規制等条例が制定されました。それ以降熊本、福岡、香川、徳島の各県で部落差別調査を規制する条例が制定されてきています。また、1993年以降、部落差別撤廃・人権条例が制定され、2008年5月末時点でおよそ420に及ぶ自治体でこの種の条例が制定されてきています。

 男女共同参画条例も千葉県を除くすべての都道府県で制定され、市区町村段階でも316の自治体で制定されています。(2005年4月現在)この他、子どもの権利条例、障害者差別禁止条例を制定する自治体が出てきています。2007年7月には、千葉県で障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例が施行されています。人権侵害救済条例についても、鳥取県で2005年9月制定されましたが、2006年3月施行が凍結され、現在条例の見直しが行われています。

 国のレベルはもとより自治体レベルにおける差別撤廃と人権確立を求めた上記に紹介してきた取り組みに、被差別当事者を中心とした民間団体の血のにじむような努力が大きな役割を果たしました。

日本の人権状況と今後の課題

 これまで紹介してきたような数々の努力にもかかわらず、日本の人権状況は深刻です。

 子どもたちを取り巻く人権状況を見たとき、いじめや児童虐待が後を絶たない実情があります。また、国連自由権規約委員会、子どもの権利委員会等からの度重なる勧告にもかかわらず婚外子に関する民法上の差別規定(民法900条4号但し書きに婚外子の遺産相続は婚内子の2分の1という規定がある)の是正が行われていません。女性の人権についても、セクシャル・ハラスメントやドメスティック・バイオレンスに関する報道が掲載されない日はないといった実情にあります。

 部落差別についても、行政書士等による職務上請求用紙を不正使用した戸籍謄本等不正入手事件、調査業者による電子版を含む「部落地名総鑑」所持の発覚と回収、インターネット上での「部落地名総鑑」情報の流布に象徴される深刻な実態があります。在日コリアンをはじめとする外国人住民に対する住宅入居差別、商店等への入店拒否事件が各地で相次いで生起していますし、インターネット上などで「本国へ帰れ」等の外国人排斥の呼びかけが増えてきています。

 グローバル化のもとでの競争激化、規制緩和が進行する中で、日本においても格差が拡大してきています。この結果、自殺者が10年連続して3万人を超えていますし、野宿生活者、非正規労働者、フリーターやニートと呼ばれる安定した仕事に就くことができない若年労働者が増加してきています。

 人びとの不満の増大を押さえ込むためにナショナリズムや国権主義に基づく主張が強まってきています。この結果、第2次世界大戦における日本の戦争責任を否定する論調や、日本国憲法に盛り込まれた平和と人権に関する条項の見直しが主張されるところとなってきています。2006年12月には、多くの人びとが反対するなか、教育基本法の改訂が強行されました。しかしながら、この道は、いつか来た道で、国内での人権抑圧と、周辺諸国への戦争と侵略の道です。過ちは繰り返してはなりません。

 私たちは、第2次世界大戦の反省の中から生み出された世界人権宣言と日本国憲法の基本精神に立ち戻り、これを発展させる道を選ぶ必要があります。このためには、日本が締結した国際人権規約や人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約や子どもの権利条約等を国内で誠実に履行すること、このための国内法整備をすることが必要です。とりわけ、差別の禁止、被害者の効果的な救済を実施するための法制度の整備が緊急の課題として求められています。

 また、差別撤廃と人権確立を国の基本政策に明確に位置づけ、すべての府省庁の取り組みを総合調整し計画的に施策を推進していくための法制度の整備が求められています。さらに、地方分権時代の到来を受けて、すべての自治体でも差別を撤廃するための条例や人権尊重のまちづくり条例を制定し、人権尊重のまちづくりに取り組むことも重要な課題となってきています。この他、差別撤廃と人権確立を求めた国際社会の流れと合流するために、国際人権自由権規約や女性差別撤廃条約の選択議定書等を一刻も早く締結し、個人通報にも道を開いていくことが求められています。

 これらの課題を実現していくためには、被差別の当事者、人権侵害の当事者の訴えにしっかりと耳を傾け、その願いを実現していくための運動の構築と強化が不可欠です。そのための当面する取り組みとして、2006年12月、人権市民会議が取りまとめた「日本の人権法制度の整備にむけた提言」の普及・宣伝と、実現に向けた取り組みを強めていくことなどが求められています。

 最後に、世界人権宣言の取りまとめに大きな役割を果たした故エレノア・ルーズベルトさんが、世界人権宣言10周年にちなんだ講演の中で語った言葉を紹介しておきたいと思います。「普遍的人権とは結局、どこから始まるものなのでしょうか。それは身近な小さい場所、それも、あまりにも近くて小さいので、どんな世界地図にも載っていないような場所から始まるのです。しかし、この小さな場所こそ、一人ひとりの人間にとっての世界なのです。自分が暮らす地域、自分が通う学校、そして自分が働く工場や農場やオフィス。一人ひとりの男女、そして子どもは、このような場所で差別のない平等な正義、平等な機会、平等な尊厳を求めています。そこで人権が意味を持たなければ、ほかの場所でもほとんど意味を持ちません。身近なところで人権を擁護する積極的な市民活動がなければ、より広い世界での進歩など到底、期待できないのです。」