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2008.07.23
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2007年度事業計画【1】 研究所事業の基本課題2007年度の研究所の事業計画を検討する上で、最低限必要な人権を軸とした内外情勢の特徴を以下に指摘します。 I.世界人権宣言の採択とその後の発展1.世界人権宣言は、第2次世界大戦の反省の中から1948年12月10日、国際連合第3回総会で採択されました。その基本精神は、「差別を撤廃し人権を確立することが恒久平和を実現することに通じる」ということにありました。それ以降、今日まで58年の歳月が経過していますが、この間、世界人権宣言の内容を実現するために、さまざまな努力が積み重ねられてきています。 2.その1つは、人権の基準設定です。世界人権宣言の内容を実現するために、国連は、1966年12月、世界人権宣言を発展させ、まもらせる方法を盛り込んだ国際人権規約を採択しました。また、人種差別撤廃条約(1965年12月)、女性差別撤廃条約(1979年12月)の採択など、今日まで30に及ぶ国際人権諸条約を採択してきています。 3.2つ目には、世論喚起です。差別撤廃と人権確立に向けた国際的な世論を喚起するために、国際婦人年(1975年)、国際障害者年(1981年)等の国際年に取り組んできています。また、それぞれの差別の撤廃や人権確立を具体的に前進させるため、国連婦人の10年(1976年-1985年)や国連・障害者の10年(1983年-1992年)等一連の「国連10年」を提起してきています。差別の撤廃と人権を確立していく上で、教育が果たす役割が極めて大きいことから国連は、1995年から2004年まで、人権教育のための国連10年を提起し、世界中に人権文化を創造していくための取り組みを展開しました。2005年からは、人権教育の世界プログラムへと引き継がれています。 4.3つ目の取り組みは、国際人権諸条約の実施確保です。国連は、国際人権規約をはじめとした国際人権諸条約の締結を各国に求めるとともに、条約の仲間入りをした国に対して実施状況に関する定期的な報告書の提出を求めています。それぞれの条約の履行状況を監視する委員会が、この報告書の審査を行い、その結果を国連総会へ公表してきています。また、国際人権自由権規約や女性差別撤廃条約の選択議定書等を締結している国の場合、個人からの国連への通報を認めています。国際人権諸条約の国内で実施を確保するために、国連は、締結した国における裁判所での条約活用と、裁判所以外の救済機関、例えば人権委員会などでの条約を活用した救済にも力を入れています。1993年12月には、国内人権機関の地位に関する原則(パリ原則)を採択しています。今日パリ原則を踏まえた国内人権機関を設置している国は60ヶ国に及んでいます。 5.4つ目は、人道に対する罪、集団虐殺、戦争犯罪を裁くための国際的な取り組みです。このために国連は、1998年7月、国際刑事裁判所規程を採択し、2002年、同条約の発効に伴い、オランダのハーグに国際刑事裁判所が開設されています。この他、地域的人権保障が整備されてきています。例えばヨーロッパでは1950年11月にヨーロッパ人権条約が、1961年10月には、ヨーロッパ社会憲章が採択されています。このうち、ヨーロッパ人権条約については1998年11月以降、ヨーロッパ人権裁判所が個人からの申し立てを直接審理する権限が認められています。米州、アフリカ、アラブにおいても、同様に地域的人権保障に向けた取り組みが前進してきていますが、日本がその一員であるアジア・太平洋地域については地域的人権保障が整備されていません。 6.差別撤廃と人権確立に向けて、国連の人権委員会や人権小委員会が重要な役割を果たしてきました。これらの会議では、委員国のみならず、専門家、さらにはアムネスティ・インターナショナルやヒューマンライツ・ウオッチ、マイノリティ・ライツグループや反差別国際運動などの国際人権NGOが大きな役割を果たしてきています。また、1993年6月、オーストリアのウィーンで開催された世界人権会議や2001年8月から9月にかけて南アフリカのダーバンで開催された反人種主義・差別撤廃世界会議等では、重要な宣言や行動計画が採択されてきています。 II.世界の人権状況と今後の課題1.1989年11月ベルリンの壁が取り払われ、1991年にソビエトが崩壊するなかで冷戦時代が終焉を迎えました。この結果、平和と人権が尊重される時代の到来が期待されましたが、現実には、世界各地で民族紛争が激化し、ボスニア・ヘルツェゴビナ等においては内戦が勃発し、民族浄化と呼ばれる深刻な人権侵害が生じました。 2.2001年9月11日には、「同時多発テロ」が生起し、一瞬の内に3000名近い人々が亡くなりました。その後、アメリカのブッシュ政権は、アフガニスタン戦争、イラク戦争等に代表されるように、武力によって「テロ」を封じ込める戦略を採っていますが、事態は改善されるどころか泥沼化の様相を示しています。また、世界各地で、「反テロ」を理由に、法的な手続きを踏まない身柄の拘束、拷問を使った取り調べ、電話の盗聴や監視活動の強化など、人権侵害が強まっています。 3.さらに、インドやパキスタンの核武装につづいて、朝鮮民主主義人民共和国やイラン等の核武装が現実のものとなろうとしていて、核戦争の危険性が高まってきています。このような、人権と平和をめぐる厳しい状況を直視したとき、人権確立と平和擁護を求める世界的な取り組みを飛躍的に強化していくことが求められています。 4.国連は2006年6月、第1回人権理事会を開催しました。これは、これまで経済社会理事会のもとに設置されていた国連人権委員会を「格上げ」し、国連総会のもとに設置されたもので、47ヶ国が人権理事国として選出されました。また、国連の人権活動を担う国連人権高等弁務官事務所の予算や人員も大幅に増やされることとなりました。2006年12月、国連総会において、障害者権利条約、強制的失踪防止条約等が採択されました。さらに、日本の部落差別、インド等南アジアに存在しているダリット差別、アフリカのいくつかの国にも存在する同様の差別を撤廃するために「職業と世系に基づく差別撤廃」に関する特別報告者の取り組みが積み上げられています。 5.差別撤廃と人権確立を求める国連の人権活動を一層促進するための、国際的な努力を強化することが求められています。その一環として、新しく設置された人権理事国の一員に選出された日本に対する期待は大きいといわねばなりません。 6.民族紛争の激化やテロの多発の背景には、自由主義市場経済のグローバル化のもとでの世界的な貧富の差の拡大と長期に及ぶ不正義の放置(その象徴がパレスチナ問題)があります。このため、世界各地において差別と闘い人権確立を求める団体や個人が一堂に会し、公正な世界を構築していくために2002年1月(於 ブラジル・ポルトアレグレ)以降、世界社会フォーラムが開催されてきています。2007年1月には、ケニアのナイロビで第7回の会合が開催されました。今後、こうした取り組みを強化していくことが求められています。 III.日本国憲法の制定とその後の発展1.日本では、第2次世界大戦の反省のなかから1947年5月3日、日本国憲法が施行され、2007年で60年を迎えました。日本国憲法は、戦争放棄、主権在民、基本的人権の尊重、国際協調を基本理念としています。 2.1956年12月、日本は国際連合に加入し、それ以降今日まで、国際人権規約(1979年6月)、難民条約(1981年10月)、女性差別撤廃条約(1984年6月)、子どもの権利条約(1994年4月)、人種差別撤廃条約(1995年12月)、拷問等禁止条約(1999年6月)等国連が採択した12の国際人権条約を締結してきています。 3.国内における差別を撤廃するためにさまざまな取り組みが行われてきました。例えば、部落差別の撤廃については、1965年8月に内閣同和対策審議会答申が出され、「同和問題の早急な解決は国の責務であり同時に国民的な課題」であることが明らかにされ、1969年7月、同和対策事業特別措置法が制定されました。それ以降2002年3月まで33年間、「特別措置法」に基づくさまざまな施策が実施されてきました。 4.女性差別撤廃についても、1986年4月、男女雇用機会均等法が施行され、1999年6月には男女共同参画社会基本法が施行されました。さらに、2001年10月にはDV防止法が施行されてきています。子どもの権利に関しても児童福祉法(1948年1月)、児童買春、児童ポルノ禁止法(1999年11月)、児童虐待防止法(2000年11月)等が施行されてきています。 5.障害者に対する差別撤廃についても、身体障害者福祉法(1950年4月)、障害者雇用促進法(1960年7月)、心身障害者対策基本法(1970年5月)、発達障害者支援法(2004年12月)等が施行されてきています。このうち、心身障害者対策基本法については、1993年12月に障害者基本法に改正されました。高齢者の人権に関しても高齢者対策基本法(1995年12月)が施行され、高齢者虐待防止法(2005年11月)が公布されています。また、障害者と高齢者等の人権に関わってハートビル法(1994年9月)や交通バリアフリー法(2000年11月)が施行されています。 6.アイヌ民族の人権に関しては、アイヌ文化振興法が1997年7月に施行され、1899年に制定された名称からして差別的な北海道旧土人保護法が廃止されました。野宿生活者の人権に関しても、ホームレスの自立支援特別措置法が、2002年8月に施行されています。1996年4月には、らい予防法の廃止に関する法律が施行され、永年国家によって強いられてきたハンセン病患者に対する差別法が撤廃されました。 7.日本においても、差別を撤廃し人権確立を実現していく上で教育が果たす役割が大きいため、2000年12月、人権教育・啓発推進法が公布・施行されています。また、差別や人権侵害の被害者を救済するため、2002年3月、人権擁護法案が国会に上程されましたが、新しく設置される人権委員会の独立性や実効性、さらにはメディア規制等の面で批判が強く、2003年10月、衆議院の解散で、廃案となっています。 8.情報化時代の到来とともに、新たな差別や人権侵害が多発してきています。こうした事態に対応するため、2002年5月には、プロバイダー責任法が、2005年4月からは個人情報保護法が全面施行されています。 9.国のレベルでの取り組みだけでなく、自治体レベルでも差別撤廃人権確立に向けた取り組みは前進してきています。1985年3月、大阪府部落差別調査等規制等条例が制定されました。それ以降、熊本、福岡、香川、徳島の各県で部落差別調査を規制する条例が制定されてきています。また、1993年以降、部落差別撤廃・人権条例が各地で制定され、2007年1月末時点でおよそ410に及ぶ自治体でこの種の条例が制定されてきています。 10.男女共同参画条例も千葉県を除くすべての都道府県で制定され、市区町村段階でも316の自治体で制定されています。(2005年4月現在)この他、子どもの権利条例、障害者差別禁止条例を制定する自治体が出てきています。人権侵害救済条例についても、鳥取県で2005年10月制定されましたが、2006年3月施行が凍結され、現在条例の見直しが行われています。国のレベルはもとより自治体レベルにおける差別撤廃と人権確立を求める上記取り組みに、被差別当事者を中心とした民間団体の血のにじむような努力が大きな役割を果たしました。 IV.日本の人権状況と今後の課題1.これまで紹介してきたような数々の法制度の整備に向けた努力にもかかわらず、日本の人権状況は深刻です。 2.子どもたちを取り巻く人権状況を見たとき、いじめや児童虐待が後を絶たない実情があります。また、国連自由権規約委員会、子どもの権利委員会等からの度重なる勧告にもかかわらず婚外子に対する民法上の差別規定(民法900条4号但し書きに婚外子の遺産相続を婚内子の2分の1とする規定がある)の是正が行われていません。女性の人権についても、セクシャル・ハラスメントやドメスティック・バイオレンスに関する報道が掲載されない日はないといった実情にあります。 3.部落差別についても、行政書士等による職務上請求用紙を不正使用した戸籍謄本等不正入手事件、調査業者による電子版を含む「部落地名総鑑」所持の発覚と回収、インターネット上での部落地名総鑑情報の流布に象徴される深刻な実態があります。在日コリアンをはじめとする外国人住民に対する住宅入居差別、商店等への入店拒否事件が各地で相次いで生起していますし、インターネット上などで「本国へ帰れ」等の外国人排斥の呼びかけが増えてきています。 4.グローバル化のもとでの競争激化、規制緩和が進行するなかで、国内においても格差が拡大してきています。この結果、野宿生活者、非正規労働者、フリーターやニートと呼ばれる安定した仕事に就くことができない若年労働者が増加してきています。また、少子・高齢化の下で、毎年2万人弱の割合で外国人労働者が増えてきています。 5.人びとの不満の増大を押さえ込むためにナショナリズムや国権主義に基づく主張が強まってきています。この結果、第2次世界大戦における日本の戦争責任の否定や、日本国憲法に盛り込まれた平和と人権に関する条項の見直しが主張されるところとなってきています。2006年12月には、教育基本法の改悪が与党によって強行されました。また、防衛庁の省昇格や日米軍事同盟の一層の強化、さらには集団的自衛権行使への自衛隊の参加や日本の核武装などが政府首脳から公然と語られるところとなってきています。しかしながら、この道は、いつか来た道で、国内での人権抑圧と、周辺諸国への戦争と侵略の道です。過ちは繰り返してはなりません。 6.私たちは、第2次世界大戦の反省のなかから生み出された世界人権宣言と日本国憲法の基本精神に立ち戻り、これを発展させる道を選ぶ必要があります。このためには、日本が締結した国際人権規約や人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約や子どもの権利条約等を国内で誠実に実施すること、このための国内法整備をすることが必要です。とりわけ、差別の禁止、被害者の効果的な救済を実施するための法制度の整備が緊急の課題として求められています。 7.また、差別撤廃と人権確立を国の基本政策に明確に位置づけ、すべての府省庁の取り組みを総合調整し、計画的に施策を推進していくための法制度の整備が求められています。地方分権時代の到来を受けて、すべての自治体でも差別を撤廃するための条例や人権尊重のまちづくり条例を制定し、人権尊重のまちづくり、多文化共生のまちづくりに取り組むことも重要な課題となってきています。差別撤廃と人権確立を求める国際社会の流れと合流するために、国際人権自由権規約や女性差別撤廃条約の選択議定書等を一刻も早く締結し、個人通報にも道を開いていくことが求められています。 8.これらを実現していくためには、被差別の当事者、人権侵害の当事者の訴えにしっかりと耳を傾け、その願いを実現していくための運動の連帯構築と強化が不可欠です。そのための当面する取り組みとして、2006年12月、人権市民会議が取りまとめた「日本の人権法制度の整備にむけた提言」の普及宣伝と、実現に向けた取り組みを強めていくことが求められています。 V.部落解放運動の再建とその後の展開1.敗戦後間もない1946年2月、部落解放運動は、部落解放全国委員会として再建されました。これは、戦前の全国水平社時代の最高の運動形態であった部落委員会活動を継承するとともに、広範な人びとの結集をめざしたものでした。部落解放全国委員会は、日本国憲法の制定に際して差別の撤廃に役立つ規定を盛り込むことを求める取り組みを行いました。その働きかけもあって14条に「社会的身分又は門地」という差別禁止事由が、24条に「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」するとの規定が盛り込まれました。 2.1951年10月、『オールロマンス』差別事件が生起しました。この事件に対する糾弾闘争の中から、部落と部落民の置かれている劣悪な実態は、行政の怠慢、差別行政の結果であることが明らかにされ、その後各地で行政闘争が広がっていきました。この結果、部落解放運動に参加する人びとが次第に拡大し、1955年8月、部落解放同盟へと名称が改称され大衆団体としての発展がめざされました。 3.その後、国策樹立を求める請願運動が展開され、1965年8月、内閣同和対策審議会答申が出されました。答申では、部落問題の解決が「国の責務であり、同時に国民的課題である」ことが明らかにされました。「同対審」答申を受けて、1969年7月、同和対策事業特別措置法が制定され、その後2002年3月末まで33年間、一連の「特別措置法」に基づく施策が実施されてきました。この結果、住環境の改善を中心に部落差別の実態は、一定改善されてきました。 4.1963年5月、狭山事件が生起し、予断と偏見によって部落出身の石川一雄さんが逮捕され、1審では死刑、2審では無期懲役、最高裁では上告が棄却され無期懲役が確定しました。これに対して、差別裁判の取り消しを求めた運動が粘り強く続けられ、1994年12月には石川さんの仮出獄が実現し、再審を求めた運動が継続されています。この運動を通して1975年12月、部落解放中央共闘会議が結成されました。 5.1975年11月、部落地名総鑑差別事件が発覚しました。それ以降、今日までの究明活動のなかで、10種類に及ぶ地名総鑑が存在し、200を超す企業が地名総鑑を購入していたことが判明してきています。この事件に対する糾弾闘争を経て、東京や大阪をはじめ各地で部落問題をはじめとする人権問題に取り組む企業の会が結成されてきました。また、大阪では、1985年3月、部落差別調査等規制等条例が制定されました。 6.1979年8月、第3回世界宗教者平和会議(於 アメリカ・プリンストン大学)の席上で、日本の宗教界を代表して参加していた人物による差別事件が生起しました。この事件に対する糾弾闘争のなかから、『同和問題』にとりくむ宗教教団連帯会議が結成され、宗教界においても部落問題をはじめとする人権問題への取り組みが広がっていきました。 7.一連の「特別措置法」に基づく事業が実施されることによって、住環境面を中心に部落差別の実態は一定改善されていきました。しかしながら、差別意識は依然として根深く存在し、差別事件が後を絶たないという差別の現実を直視することのなかから1985年5月、部落問題の根本的な解決を目的とした「部落解放基本法」の制定を求める運動が本格的に開始されました。 8.1996年5月、地域改善対策協議会から意見具申が出されました。このなかで、これまでの取り組みによって同和問題は解決に向けて前進しているものの依然として重要な社会問題であること、同和問題をはじめ日本社会に存在する人権問題を解決することは国際的責務であること、「同対審」答申の基本精神を踏まえ、今後とも国、自治体、国民が主体的に同和問題解決に取り組む必要があること、同和問題解決に向けて残された課題を他の人権問題解決と結びつけて取り組んでいくという新たな方向性を持つことの必要性を指摘しました。 9.その後の取り組みによって、部落解放基本法の制定そのものは実現していないものの、基本法案に盛り込まれていた「教育・啓発法的部分」が2000年12月、「人権教育および人権啓発の推進に関する法律」(「人権教育・啓発推進法」)として公布・施行されています。その後、基本法案に盛り込まれていた「規制・救済法」部分の実現に向けた取り組みが展開されています。 10.2000年4月、「地方分権一括法」が施行されました。このことによって、部落問題の解決についても都道府県や市町村の占める比重が高くなってきています。このため、今日、410を超す部落差別をはじめあらゆる差別の撤廃をめざす条例や人権尊重の社会づくり条例が果たす役割は大きくなってきています。とりわけ、これらの条例を活用した人権のまちづくりが今後の部落問題解決の中心テーマとなってきています。 11.1970年代の後半に入り、部落解放運動は、国連の人権活動との連帯を本格化させ、国際人権規約の批准運動に取り組み1979年6月に批准を実現しました。その後、人種差別撤廃条約の批准運動にも取り組み1995年12月に加入を実現しました。その後、これらの条約を活用し、部落問題をはじめとして日本に存在する差別問題、人権問題の解決に向けた取り組みを強めてきています。 12.1988年1月、全世界から一切の差別を撤廃することをめざして反差別国際運動(IMADR)が結成され、1993年には国連人権NGOとして承認されましたが、その際、部落解放同盟とともに部落解放研究所(当時)が大きな役割を果たしました。反差別国際運動をはじめとする国際人権NGOの活動によって、今日、日本の部落差別は、インドをはじめ南アジア各国に存在するダリットに対する差別、さらにはアフリカにも存在する同様の差別とともに「世系(descent)に基づく差別」あるいは「職業と世系に基づく差別」として把握され、これらの差別が国際人権法によって禁止される差別であることが明らかにされてきています。 13.こうして、部落解放運動は、戦前の糾弾闘争を中心とした全国水平社の運動(第1期)、部落差別の実態の改善を求める戦後の行政闘争(第2期)の経験を踏まえながら、1980年代の中葉から、部落問題の根本的な解決と国内外の差別撤廃をめざす共同闘争を軸とする第3期の運動を展開してきています。そして、21世紀に入った今日、部落問題の解決は、全国民的な課題であるのみならず、国際的な課題としても注目されるところとなってきています。 VI.部落問題を取り巻く現状と今後の課題1.2002年3月、33年間続いてきた「特別措置法」時代が終了しました。しかしながら、このことは部落差別が撤廃されたことを意味するものではありません。部落差別を撤廃するための方策として、「特別措置」という方法を採用することが終了したことを意味するだけで、今後は一般施策を活用(改善、創設を含む)することによって、部落差別を撤廃していくことが求められています。しかしながら、「特別措置法」が終了したことをもって、同和行政を廃止したり、大幅に縮小している自治体が少なくありません。 2.国家財政や自治体財政の悪化が進行するなかで、公共事業や社会保障が大幅に削減されてきています。また、規制緩和のもとで競争が激化した結果、企業倒産が相次ぎ、働く人びとのリストラが強行されてきています。この結果、日本社会も格差が拡大する社会となってきています。 3.同和行政の廃止や大幅縮小、公共事業や社会保障の削減、企業倒産に伴うリストラの強行、格差社会の拡大は、部落で暮らす人びとにも深刻な打撃を与えています。政府は、1993年に同和地区生活実態把握等調査を実施しましたが、それ以降、今日に至るまで同様の調査を実施していません。早急に今日時点の全国における部落差別の実態が明らかにされる必要があります。 4.「特別措置法」が終了し部落差別撤廃に向けた行政的取り組みが後退していること、日本社会で暮らす人びとの生活が苦しくなり、そのはけ口を求める傾向が強くなってきていることなどを背景に、悪質な部落差別事件が多発してきています。差別落書きや差別投書、嫌がらせ電話、さらにはインターネットでの差別的な書き込みが増加してきています。 5.部落差別に基づく結婚差別や就職差別、さらには不動産の売買や取得にかかわった部落差別事件も後を絶たない実情にあります。2004年末に兵庫県で行政書士が職務上請求用紙を不正使用し、大量に戸籍謄本等を不正入手していた事件が発覚しました。その後の究明活動のなかで、大阪府、愛知県、東京都等においても同様の不正入手事件が発覚してきています。また、この事件を究明していく過程で、大阪の調査業者から、電子版を含む新たな部落地名総鑑が回収されるところとなってきています。改めて、これらの事件の全容解明と、これらの事件の根絶に向けた抜本的な法制度の整備が求められてきています。 6.2006年5月の連休明けに「飛鳥会問題」が発覚して以降、大阪市、八尾市、京都市、奈良市等において、部落解放同盟関係者による不祥事が捜査当局によって摘発されるところとなってきています。こうした一連の事態に対して、部落解放同盟大阪府連、京都府連、奈良県連、さらに中央本部は、関係者を除名処分等にするとともに見解を発表しています。そのなかで今回の事態に関する謝罪の意を示すとともに社会的信用の回復に向けて組織の総点検運動を展開するところとなっています。一方、大阪市、八尾市、京都市、奈良市等は、被差別の当事者との協議を経ないままに一方的な同和行政の見直しを発表するところとなっています。また、これら一連の不祥事を取り上げた新聞やテレビ、さらには週刊誌等マスコミの報道は、部落解放運動史上かつてない規模に達しています。これらのなかには、社会一般に存在する部落に対する差別意識を拡大、助長するおそれが大きいものも含まれています。 7.この結果、80有余年に及ぶ部落解放運動によって積み上げられてきた部落差別撤廃に向けた数々の成果が水泡に帰してしまうだけでなく、部落差別が深刻化しかねない現状があります。このような不祥事が生じてきた原因を究明し、今後の部落解放運動や同和行政のあり方が明らかにされる必要があります。また、この間のマスコミのこの問題に関する報道を分析し、部落差別撤廃に向けたマスコミの社会的責任が明らかにされる必要があります。 8.なお、2007年から「団塊の世代」が定年を迎えます。この結果、同和行政や同和教育の経験を持った人材が、自治体や学校を去っていくことになります。このため、新たな人材を養成するための特別の取り組みと、定年した経験のある人材の積極的な活用が求められます。 以上のような人権を軸にした情勢に関する基本認識を踏まえ、2007年度研究所事業の基本的な柱を12項目に整理して提案します。 1.「職業と世系に基づく差別」の撤廃にちなんだ取り組み近年、国連は、日本の部落差別やインドをはじめとする南アジア諸国に存在するダリット差別、さらにはアフリカのいくつかの国にも存在する同様の差別等を「世系に基づく差別」もしくは「職業と世系に基づく差別」としてとらえ、実態の把握、差別撤廃に向けた方策の究明に取り組んできています。とりわけ2007年度は、国連・人権小委員会のもとに設置された「職業と世系に基づく差別」に関する特別報告者による最終報告が提出される年にあたっています。また、人種差別撤廃条約についての日本政府報告書が取りまとめられる年にもあたっています。このため、研究所として以下の取り組みを実施します。
2.「人権教育のための世界プログラム」にちなんだ取り組みの実施2005年1月から開始された「人権教育のための世界プログラム」も、3年目を迎えました。このプログラムの第1段階は、2007年12月までの3ヶ年とされ、初等・中等学校制度における人権教育の推進に重点がおかれています。「いじめ問題」に象徴される学校における人権侵害の実情をみたとき、「世界プログラム」を踏まえた取り組みは極めて重要な課題となってきています。また、「人権教育・啓発推進法」が公布施行され6年が経過しました。この法律がどのように活用されているかを調査し、提言をまとめる必要があります。このため、研究所として以下の取り組みを実施します。
3.「2005年人権問題に関する府民意識調査」結果の分析を踏まえた今後の啓発のあり方の提言2005年8月から10月にかけて人権問題に関する府民意識調査が実施され、2006年3月、報告書が公表されました。この結果を見ると人権問題に関する府民の意識は改善されてきた面がみられる一方、部落問題に関する意識については、忌避意識を中心に後退した面があることが明らかになってきています。その原因の究明とともに、効果的な啓発の方向が示される必要があります。このため、研究所として以下の取り組みを実施します。
4.「人権侵害救済法」(仮称)の早期制定に向けた取り組み2001年5月、人権擁護推進審議会から「人権救済制度の在り方について」の答申、同年12月、「人権擁護委員制度の改革について」の答申が出されて早や5年が経過しました。また、2002年3月に「人権擁護法案」が国会に上程され、2003年10月の衆議院開催に伴い自然廃案になってから3年を経過しましたが、「人権侵害救済法」(仮称)の制定は、いまだにめどが立たない状況にあります。さらに、「鳥取県人権侵害救済条例」が2005年10月に制定されましたが、弁護士会やマスコミ関係者などからの批判があり、2006年3月、同条例の施行を凍結する条例が制定されました。その後「条例見直し検討委員会」が設置され、本年夏をめどにとりまとめが予定されています。 深刻な人権侵害が後を絶たない日本国内の状況や、パリ原則を踏まえた国内人権機関を設置している国が60ヶ国で設置(アジア・太平洋地域では12ヶ国)されている状況を踏まえたとき、一日も早く日本の地においても「人権侵害救済法」(仮称)の制定を実現させる必要があります。このため、研究所として以下の取り組みを実施します。
5.部落問題解決に不可欠な実態調査の実施を求めた取り組み実態の把握は、物事を解決していく上でまず行わなければならないことです。しかしながら、部落問題解決を考えたとき、国のレベルでは、1993年の実態調査以降実施されていないという問題があります。この間、13年もの歳月が経過しており、格差拡大社会到来のもとで部落差別の実態も大きく変化しているものと考えられます。一方、自治体のレベルではいくつかの実態調査が実施されてきています。例えば、府県レベルでの部落の生活実態調査をみると、2000年には大阪府、鳥取県、香川県、千葉県、三重県等で実施されていますし、2005年にも鳥取県と福岡県で生活実態調査が実施されています。今後、自治体レベルでの実態調査結果の分析と提言とともに、1993年の政府の実態調査結果と比較可能な全国レベルの実態調査の実施が求められています。このため、研究所として以下の取り組みを実施します。
6.「人権のまちづくり」にちなんだ取り組み部落差別がすぐれて地域に対する差別であるという特徴をもっていること、今日の差別意識や差別事件の内容を分析したとき「ねたみ差別」が強いこと、さらには、部落解放運動は自分たちが暮らしている地域を人権が尊重され住みやすい地域につくりかえてきている運動であることといった特徴を考慮したとき、部落における残された課題の解決を隣接地域が抱えている同様の課題解決と結びつけて取り組んでいく運動=人権のまちづくり運動の強化は、決定的に重要な課題となってきています。その一環として、部落差別撤廃・人権条例を活用したまちづくりをはじめ、各地で取り組まれている創意工夫をこらした実践を紹介し、ネットワークを構築していくことが求められています。このため、研究所として以下の取り組みを実施します。
7.行政書士等による戸籍謄本等の不正入手事件、部落地名総鑑差別事件のあらたな局面に対応した取り組み2004年末に兵庫県で行政書士による戸籍謄本等の不正入手事件が発覚し、その後の究明活動によって、大阪府、愛知県、東京都等でも相次いで同様の事件が発覚してきました。部落差別はもとより、プライバシーを侵害するこうした行為に対する批判が高まり、住民基本台帳法の改正により住民基本台帳は、2006年11月から原則非公開になりました。また、戸籍法についても改正に向けた議論が行われ、2007年の通常国会で議論される予定となっています。現時点で判明している戸籍法の改正案は、請求者本人確認の厳格化や違反した場合の罰則強化などが盛り込まれていますが、戸籍謄本等を取られた本人への通知など不正入手根絶に向けて決定的に重要な改正事項が盛り込まれていないといった問題点があります。 一方、部落地名総鑑事件についてもあらたな局面を迎えています。2005年末から2006年にかけて、大阪の調査業者から3冊の「地名総鑑」が回収されました。この内、1冊は第8のコピーで、他の1冊はタイプ印刷された横組みの新たな種類の「地名総監」のコピー、さらにもう1冊は手書きの新たな「地名総鑑」のコピーでした。この結果、少なくとも10種類の「地名総鑑」が存在することが明らかになってきました。2006年9月末、フロッピーに収録された2種類の「地名総鑑」が大阪の調査業者から回収されました。一種類は第8、もう一種類は先に紹介した新たに回収された手書きのものを収録したものでした。電子版の「地名総鑑」が回収されたことによって、簡単に複製・保存されている可能性が極めて濃厚になってきています。2006年10月20日過ぎ、インターネットの2ちゃんねるに、「部落地名総鑑」と題して全国37都道府県、約430ヶ所の地名と所在地等の一覧が流布されていることが明るみになってきました。周知のように、インターネット上の情報は、瞬時にして世界中に発信され、膨大な人々によってアクセスされる可能性があります。こうして、「地名総鑑」事件は、深刻な様相を呈するところとなってきています。真相究明とともに、抜本的な方策の確立が求められています。このため、研究所として以下の取り組みを実施します。
8.狭山第3次再審、司法の民主化に向けた取り組み2005年3月、狭山事件の再審請求に関わった特別抗告が棄却されました。国連自由権規約委員会などから求められていた証拠開示が行われず事実調べもないままでの一方的な棄却決定に各方面から強い批判の声があがりました。(研究所も抗議の声明を発表) 弁護団は、2006年5月、東京高裁に対して第3次再審請求を行いました。現在、「狭山事件の再審を求める市民の会」(庭山英雄代表)を中心に「新100万人署名」運動が展開されています。 狭山事件は、部落差別とともに、日本の犯罪捜査や取調べ過程における人権侵害、検察や裁判官に対する人権教育の不十分性とが結びついて生み出されたものです。狭山事件をはじめとする冤罪事件を根絶するためには、取り調べ過程の可視化、証拠開示等、司法の民主化とともに、警察官・検察官・裁判官等に対する人権教育の推進が求められています。このため、研究所として以下の取り組みを実施します。
9.「飛鳥会問題」等から表面化した部落解放運動の不祥事、自治体の対応の問題点、マスコミ報道の問題点等に関する取り組み2006年5月の連休明けに「飛鳥会問題」が表面化し、これ以降大阪府八尾市、京都市、奈良市等で、部落解放同盟の関係者による不祥事が次々と発覚し、関係者が逮捕されるという深刻な事態が生じてきています。また、大阪市、八尾市、京都市、奈良市等の自治体行政における対応が問われるところとなってきています。さらに、これらの問題を新聞、テレビ、週刊誌等がかつてない規模で取り上げるところとなってきましたが、それらには差別を助長するおそれが大きいものが含まれているという問題が生起してきています。こうした事態に対して、部落解放同盟大阪府連、京都府連、奈良県連、中央本部等は、関係者を処分するとともに見解を発表し謝罪の意を表明しています。また社会的信用の回復に向けて、組織の総点検運動等を開始しています。一方、大阪市、八尾市、京都市、奈良市等は、被差別当事者との協議を経ないままに一方的な同和行政の見直しを発表するところとなっています。今回の一連の事態は、80有余年に及ぶ部落解放運動の成果や33年間に及ぶ同和行政の成果等を水泡に帰すだけでなく、部落と部落解放運動に対するマイナスイメージを急速に拡大しかねないものです。一連の不祥事が生起してきた原因の究明、とりわけこれまでの部落解放運動の問題点、同和行政の問題点、マスコミ報道の問題点等を早急に究明し、今後の部落解放運動のあり方、部落差別撤廃・人権行政のあり方、マスコミ報道のあり方等を明らかにしていくことが求められています。このため、研究所として以下の取り組みを実施します。
10.日本国憲法施行60年、日本の人権法制度の整備に向けた取り組み2007年は、日本国憲法が施行されて60年という節目の年にあたります。この憲法が第2次世界大戦の反省のなかから生み出されたものであり、それゆえ、戦争放棄、主権在民、基本的人権の尊重、国際協調を基本理念にしていますが、この基本精神を守り発展させていく立場から日本国憲法の「改正」論議に参画していく必要があります。その一環として、研究所も参画している「憲法問題プロジェクト」の提言の普及・宣伝に取り組む必要があります。また、2006年12月、人権市民会議から「日本の人権法制度に関する提言」が取りまとめられ公表されました。研究所としても、この作業にも積極的に参加しましたが、「提言」の普及・実現に向けた取り組みが求められています。このため、研究所として以下の取り組みを実施します
11.国際人権大学院大学(夜間)の実現に向けた検討の深化2000年9月に国際人権大学院大学(夜間)大阪府民会議が結成され、7年が経過しました。この間、府民会議の総会の記念講演等で各方面からの提言をいただいたり、各種プレ講座を開催してきています。近年、専門職大学院が増加してきていますし、キャンパスを持たない株式会社立のインターネット大学院が誕生するところとなってきています。また、国際的にも、人権をテーマにした大学院が増えてきています。さらに自治体、学校、企業、民間団体等において専門的な知識を持った実務家の養成が本格的に求められるところとなってきていて、国際人権大学院大学(夜間)の必要性が高まってきているといえます。このため、研究所として以下の取り組みを実施します。
12.研究所創立40周年(2008年8月)にちなんだ企画の確定と実施部落解放・人権研究所は、1968年8月創立されました。(創立当初の名称は大阪部落解放研究所) 2008年8月には、創立40周年を迎えることとなります。このため、以下の柱に沿って記念の取り組みを追求します。【資料5.】
なお、研究所を支えていただく正会員や特別会員の拡大に向けて関係方面の参画を得たプロジェクトチームを設置するとともに、2008年から公益法人制度が抜本的に改正されるため、研究所のあり方についても理事会を中心に検討をしていきます。 各部室等の重点課題1.総務部
2.啓発企画室
3.研究部
4.図書資料室
5.編集販売部
6.国際関係
7.原田伴彦記念基金
8.大阪の部落史委員会
9.国際人権大学院大学(夜間)の設立に向けて
10.部落解放・人権研究所識字支援「安田識字」基金について
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