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私は拙著で近世政治起源説を批判する一つの論拠として朝尾直弘さんの「近世の身分とその変容」をしばしば引用した。しかしその基礎となる論文「近世の身分制と賤民」(『部落問題研究』68輯)は1981年の発表である。
『歴史評論』582号(1998年10月)に篠宮雄二「日本近世における職人集団と地域社会」という大会の予備報告があり、そのなかで本論文の所在に初めて気が付いた。本論文の研究史総括をそのまま肯定するかどうかは別として、近時点での論点を知る手がかりとなる。要約すれば、以下の通り。
1980年代、高木昭作が支配の体系を総括する国家によって基本的な身分が最終的に決定されるとしていた議論に対して、朝尾直弘が身分を第一義的に決定するのは「地縁的・職業的身分共同体」だとする見解を示す。こうした両説を統一的に把握する一つの試みとして、吉田伸之は、身分を成立させる不可欠な要素として(a)職分=所有と経営の質および分業における位置、(b)共同組織=所有と経営の集団的保証、(c)役=社会の中での地位の公定と合意、の3点を示した。
一方、身分制論と並行して、塚田孝から「近世社会は社会集団(共同組織)の重層と複合によって全体社会が構成されている」とする「社会集団論」が提起され、諸社会集団を個別にではなく相互の関係として把握することが提起された。この問題に関して吉田は、小地域の編成・統合を実質的に担うヘゲモニー主体=社会的権力(具体的には都市の大店や在地の豪農)に注目し、この社会的権力を「磁極」として部分社会=「磁界」が形成されると論じ、これを単位社会構造と規定する。
本論文の筆者はここから、「諸集団間の関係論的把握を、特定の単位的な地域社会構造の内部においてみて捉え直すという作業が必要となってくる」「諸身分集団を地域社会の構成要素として正当に評価し、身分制論を単純な形で処理することなく、自覚的に地域論の成果に組み込むことが求められている」とする。
近年の部落史研究の関心から言えば、近世政治起源説で常に問題となる「権力」を幕藩権力のような一元的なものだけで理解しないで、さまざまなレベルでの権力を想定して現実を理解すること。「身分がつくられる、つくられない」の議論から早く脱して、諸被差別民が地域社会で「あるべくしてあった」こと、つまりどのような機能や役割を担うものとして地域社会で期待され存在していたのかを解明すること、につながっていくのだろう。(その他、「身分的周縁」論や、その背景にもある近世を「固い身分制社会」と理解する問題、近代社会への転換に関する議論など、論点は尽きない。)
こうした身分制をめぐる議論の細部にわたって論争を逐一追いかける必要はないとしても、時にいま焦点となっている議論と部落史研究がどのようにクロスしあるいは乖離しているのかをチェックしておくことは意味がある。その点で、近年刊行された主要な著書として、朝尾直弘『都市と近世社会を考える』(朝日新聞社、1995年)や塚田孝『近世身分制と周縁社会』(東京大学出版会、1997年)、久留島浩・吉田伸之編『近世の社会的権力』(山川出版社、1996年)、吉田伸之『近世都市社会の身分構造』(東京大学出版会、1998年)などの書評は、ぜひ欲しいところである。