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書 評
 
評者渡辺俊雄
研究所通信242号掲載
小谷汪之

「穢れ意識と賤民差別―方法的検討」

『東京都立大学人文学報』287号<シンポジウム/差別と人権と歴史学>、1998年3月

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 インドの制度史の研究で第一人者の筆者・小谷さんは、近年精力的に穢れ意識の問題を取り上げ、議論を活性化させようとしている。本稿のポイントの1つは、「穢れ」観念は多義的で、さまざまな文化的文脈のなかでそのあり方を明らかにすべきであり、1つの本質に還元しないこと(還元できると考えないこと)が必要だとする点だ。そこから著名な『汚穢と禁忌』(メアリー・ダクラス、思潮社、1985年)などの本質規定(本質規定すること、そのもの)を批判し、『マヌ法典』などに依拠しながら穢れの分類を試みる。

 そこから小谷さんが導き出した仮説によれば、すべての穢れ観念が差別に結び付くわけではなく、「さまざまな被差別民のうちの一部分に対して、穢れの観念が事後的に結びつけられた」「差別と穢れ意識とは、もともとは、無関係だった」(P.15〜16)

 私はインドの歴史をよく知らないが、チャンダーラへの差別についてはそうなのかもしれない。とすれば、同じ穢れ観念といってもインドと日本ではかなりそのあり様は違うと考えるべきなのか。そうだと仮定して、この見取図で部落史が解けるようには思えない。

 かわた身分への「賤民」身分視が強化されていくのは、近世中後期に強まっていく種姓意識と結びついていることは否定しないし、さらに遡って中世後半に山水河原者の又四郎が「屠家に生まれしを悲しむ」と言ったのも、そうした種姓意識の現れである。しかし、それ以前にも死牛馬処理や皮なめしをしていた河原者たちが穢れ観念で見なされていた。まだ「賤民」と見なされていなかったかもしれないが、すでに賤視されていたことは事実であり、「事後的に」穢れ観念と結び付いたわけではない。当初はある状態・行為が穢れと見なされていたのが、ある時期から身分・あるいは家筋そのものが穢れていると見なされるように、「穢れ」観念の変化として考える方が妥当なように思う。

 また具体的にインドのチャンダーラやシュヴァパチャについて言えば、「もともと、文化を異にする異質な集団で、狩猟文化(「殺生」、皮はぎ、肉食)と密接なつながりをもっていた…(その後、つまり紀元前8世紀頃以降、彼らは)定住農耕社会の周縁に組み込まれて、人々の忌避するような仕事をするようになっていった。このように、彼らの場合には、文化(生活様式)の相違から発生した差別に、さらに血統性(種姓意識)が加重されることによって、代々穢れがみについて、けっして取ることができない存在という、賤民観念が生まれた」(P.16)とする。

 ここでは、それまで独自の狩猟文化(「殺生」、皮はぎ、肉食)をもって(恐らくは差別されずに)生きていた異質な集団が、農耕社会の周縁に組み込まれたことによってそうした仕事・文化が「人々の忌避するような仕事」(文化)と見なされるようになったことが重要で、その前提があって初めて彼らは最下層の身分と位置付けられ、血統性=種姓意識が加重していくことになる。ただし、インドでは畏れと穢れの問題がどうなのか、小谷さんがどう理解しているのかは、明確ではない。

 ちなみに小谷さんは、『部落解放なら』第7号・第8号(1998年)に「差別と罪と穢れ」(1)と(2)を掲載し、穢れ観念について同様の見解を提示している。その中で「被差別部落に対する差別は民族差別、障害者差別など他の差別とは歴史起源的にはまったく異なる固有の差別ということになってしまう」(P.7)ことへの危惧を表明されているが、それはどうか。差別一般というのは後世の人が分析する時に用いる概念で、歴史的にもまず差別一般であって「事後的に」穢れ観念が結び付くのではない。すべての差別にはそれぞれ差異・違いがあり、起源を異にし、たどった歴史も違い、現状(現象)も異なり、それゆえに解決の道筋も違う、固有な差別であるのではないか。