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はじめに
本書は、「あとがき」の冒頭に「本書に収めた諸論文も(略)いずれも近代の大阪を研究対象としたものであり、(略)近代日本の研究に少しでも貢献し、研究を前進させることができたり、近代日本の理解に役立つところがあれば幸いである」と述べられているように、大阪をフィールドとした近代日本の地域史的研究であって、近代大阪の部落史研究そのものではない。
巻頭の「『解放令』前後の部落」は、部落解放の問題を多次元な分野で全体的に分析する必要があるという視点から、解放令公布前後の部落解放問題の実態を職業・戸籍・地租・徴兵令とのかかわりあいで考察したものであるが、他は、政治・社会・文化といった広い分野にわたる実証研究である。
しかし、ここでとりあげられるテーマは、いずれも非権力・反体制的な民衆運動やそれにかかわる問題であり、部落問題と共通の基盤を有している。それらは、しばしば部落解放運動と直接関わりを持っており、広い意味で「部落問題」であると言えよう。
本書の今一つの特徴は、「あとがき」にも述べられているように「先入観にとらわれず、できるだけ史料に忠実に、実証的に考察」するという研究方法であり、目に触れることが困難な貴重な史料も復刻掲載されている。著者のユニークな実証研究は、すでに定評のあるところであるが、このような方法が、かえって著者の優れた問題意識と鋭い批判精神を表現するのに有効に機能しているように思われる。
個々の論文の内容を紹介するゆとりはないので、はなはだ恣意的であるが、その若干に触れておきたい。
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1、「解放令」と大阪
「明治初年の戸籍と大阪」は、壬申戸籍が近代部落史にとってきわめて重要な問題であるにもかかわらず、その編成過程は意外に理解されておらず、明治4年戸籍と混同するなど誤解と混乱をもたらしているものがあると批判する。
2 、民権運動と大阪
「明治前期における大阪の民衆運動」「枚方地方の自由民権運動」「堺における自由民権運動」は、大阪を舞台として展開した各地民権家の活動に目を奪われ見失われがちであった大阪市中・堺・府下農村部在住の民権家の活動や、それに刺激された民衆運動を明らかにする。活動は、政党運動、新聞雑誌・政談演説会などによる啓蒙運動、請願運動など多岐にわたり、要求も国会開設にとどまらず、地価引き下げ・減税・分置県から小作料引き下げ・部落解放にいたるまで、多様なものであったことを明らかにする。さらに運動の中心となった請願運動に大阪における民衆運動の特色を見出し、地域連合組織を基盤として運動を展開し要求を実現していくものとして評価している。
「大同団結運動と大阪の倶楽部」は、本書のために新たに執筆された長編の力作である。日本立憲政党や自由党があいついで解党した後、1887年(明治20年)に大阪談話会が設立されるが、同年12月の府会議員選挙で候補者の予選、選挙運動に政治倶楽部の有効性が確認されると大阪市中をはじめ府下各地で倶楽部が設立された。
第1回衆議院議員総選挙を前に大同団結運動が始まると、大阪では大阪苦楽府と月曜会が相対立しながらもこれに加わった。これら倶楽部の設立・活動状況を明らかにするとともに、東雲新聞を通じて行われた大阪苦楽府の月曜会批判に引きずられ月曜会の評価が実際に反して低くなっていることを明らかにし、その再評価を提唱している。
3 、大正期大阪の文化運動
沢田正二郎とともに新国劇をおこした倉橋仙太郎が大阪府下に設立した新文化村運動をとりあげる。従来、この運動はほとんど知られなかったのみならず、大阪における文化運動に対する関心そのものが乏しかっただけに、意義深い論文であるといえる。水平運動や農民運動における文化活動と密接な関係にあったことも明らかにされている。