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書 評
 
評者N.T
研究所通信263号掲載
長尾彰夫・浜田寿美男編

「教育評価のポリティックス分析」

『教育評価を考える─抜本的改革への提言─』

(ミネルヴァ書房、2000年2月、A5判230頁、定価2200円)

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 本書は、国民教育文化総合研究所(日本教職員組合が運営する研究所)が1996年〜1997年度に組織した「教育評価委員会」に関わった6名の学者が執筆者となって、今大きくクローズアップされつつある教育評価の問題について様々な角度から論じた興味深い本である。

 構成としては第1部 教育評価の構図、第2部 学びの場と教育評価、第3部 社会的選抜と教育評価の3部より成るが本論文は第1部の後半部に位置している。それぞれの論文は関連性を内在させながらも、明確なつながりを持って書かれているわけではなく独立した問題意識で論じられているため、本論文に絞って紹介することとする。

 筆者によれば、「教育評価のポリティックス」とは、教育評価をめぐっての権力関係分析である。本論文では教育評価にかかわっての公簿である指導要録(学校教育法施行規則第12条、第15条)に焦点をあてつつ、教育評価論におけるタテマエとホンネの乖離現象を公的に生み出す構造を解き明かそうと試みている。

 教育現場において教師がどれだけ多大な時間を「通知票をつけること」や「指導要録の記入」に費やしているかは教育現場に身を置いたものであれば誰もが実感していることであろう。しかも、「理念的には教育活動の点検と修正のためとしての教育評価」を目指そうと考えている教師たちにとっては、矛盾した作業との板挟みにより精神的な悩みも増大することとなる。

 しかし、これまでは指導要録での評価が、国のカリキュラム基準である学習指導要領に準拠することによって、この悩みを解決させてきたと筆者は解き明かす。なぜなら学習指導要領に準拠しながら教育活動の点検と修正を行うことによって、そこで獲得される学力もオフィシャルに認定されたものとなるからである。

 したがって教育活動の全てを学習指導要領に収斂させていくことが教師の悩みの救済になり、教育活動の合理化と効率化ともなるというのである。しかも、教育評価は子どもや保護者を従わせる権力的作用となっていくにも関わらず、何らかの形で社会的な選抜といった場面や機会において有効で役立つという基準においてみる限り、子どもや保護者の側からも一方的な拒否の対象とはなり得ないという巧妙な仕組みが語られている。

 しかし、1998年の12月に告示された「新学習指導要領」で新設された「総合的な学習の時間」は評価論的に一石を投じるものとなった。そのインパクトは次の2点である。まず従来の教育評価政策のなかで緊密な対応関係を余儀なくされた学習指導要領と指導要録の連動は、学習指導要領に何の目標も内容も示さないものとしての「総合的な学習の時間」の登場により、いま、大きくゆらぎはじめていることである。2点目は学校と教師の教育評価に関わっての新しいアカウンタビリティへの要請である。筆者は新しい教育評価のポリティックス構造の分析から総合学習を引き金としての教育評価改革の展望を提示して論を結んでいる。

 教育評価をめぐっての問題はこれまで理念的なもの、或いは解決不可能なもの、取り除くことのできないジレンマとして語られることが多かった。今、このような権力構造の枠組みとの関係で何故このような仕組みが稼働しているのかと行った視点から評価の問題を捉えることが必要である。教育は大きな改革の時期を迎えている。今こそ、本書を手がかりに教育評価改革について単なる理念ではなく、切り開くべき展望として論議すべき時がきているのではないか。