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「もともと社会的平等が存在していないのに、『みんな平等に扱う』というのでは、結果の平等達成にほど遠い。アメリカにおけるアファーマティヴ・アクションのような強い法的規制を裏付けとした何らかの、職場と教育現場双方の不平等を是正する積極的措置がとられなければならない。女性も、外国人も、マイノリティも、障害者も排除した、日本人男性健常者のみの排他的な同質集団で構成維持されてきた日本の職場の閉鎖構造の根本的変革がともなわない限り、学校にできることには限りがある」。
ここには筆者の差別問題を考える根本的な考え方が示されている。また筆者は学校が変わるためには、日本人健常者の男性を基幹労働者として構成されてきた日本的閉鎖的職業構造の排他性が変わらなければならないとも指摘している。
さて本書は9章と付論からなるが、第七章「国際化とはどうすることか」では、以下のような3タイプの在日韓国・朝鮮人の女子学生を紹介している。
エスニシティの呪縛にかかって、ジェンダーの問題が見えていない現在の在日の運動に異議を唱える学生、マイノリティで女性であるという二重のハンディを自覚する学生、高校時代から在日の運動に関わってきたが運動をやっている人たちの「朝鮮に対する幻想」に違和感をもち、現在は運動と距離をとるようになった学生。
以上のことは、女性に焦点をあてた解放教育実践や部落差別を考える場合のヒントになるだろう。