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書 評
 
評者中村清二
研究所通信269号掲載
池田 寛

『学力と自己概念─人権教育・ 解放教育の新たなパラダイム』

(解放出版社、2000年9月、A5判207頁定価2400円)

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 本書は、著者が学力保障のみならず同和教育そのものの課題として「自尊感情」の問題を提起してからすでに10数年を経る中、ようやく一定の「市民権」を得てきた今日、改めてその問題意識と今日の課題を提起したものである。

 まず、「地域に根ざした人権教育の創造」で、改めて「自尊感情」を支える4つの柱を以下のようにまとめている。

 1つは、「包み込まれ感覚」というものである。これは、自分の身近にいる人が自分を温かく包み込んでくれているとか、自分を愛してくれているなど、だれかが自分の気持ちを分かってくれているという気持ちのことで、自尊感情の基礎にある。

 2つめは、「社交性感覚」である。これは、友だちが言ったことは自分はよくわかる、自分の言ったことは友だちがよく分かってくれる、という友だちとの心の通じ合いができているという気持ちのことである。

 3つめは、「勤勉性感覚」と名づけられるものである。自分はコツコツ努力する人間だという気持ち、何かやりはじめたら最後までやり通すのだという気持ちである。

 最後は、「自己受容感覚」というものである。いまの自分が好きだとか、自分の性格が好きという気持ちのことである。この反対は自己嫌悪感である。

 この自尊感情というのは、差別に対して立ち向かっていくときだけではなく、自分の生活を組み立てたり将来に対して方向づけていくときにも非常に大きな力をもつこと、部落の場合、「包み込まれ感覚」の平均点は部落外と比べて高いこと、しかし、15%ほどの子は極めて低いこと、そして、学力に関連性の強い「勤勉性感覚」は平均点が低いこと、などが指摘されている。

 また、今日的課題として3点ほどが提起されている。第1に、個と集団は対立するものではなく、個があって集団が成り立つのであり、集団の中にあって個は個らしさを獲得していくという点である。

 第2に、「同和教育の方法はスマートになってしまったが、いまこそ、部落の子どもたちの個人史をつまびらかにしなければならない」という点である。なぜなら貧しさや差別を自覚するはるか以前から、部落の子どもたちの個人史は始まっており、家庭の中や地域の環境、学校での人間関係や学習経験などが複雑に交互作用して、部落の子どもたちの意欲や志が阻害されているからである。

 第3に、「部落の子どもたちは、学力が低いにもかかわらず、自尊感情はそれに比例して低いわけではない」という事実であり、問題は、日本の部落の子どもたちだけではなく、アメリカの黒人の子どもたちにも共通する問題という点である。

 これらはいずれも今日的な同和教育実践の重要な点であると同時に、理論的課題でもある。本書はそうした点で刺激的な内容を含んだものである。