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書 評
 
評者N.T
研究所通信257号掲載
池田寛

自己概念と学力に関する理論的考察
ー部落の学力・生活実態調査の結果からー

(『大阪大学人間科学部紀要』22号1996年)

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 この論文は、表題のとおり、被差別部落の子どもたちの学力・生活実態調査の結果を踏まえて、部落差別の今日的な形態としての低学力、低学歴の実態を「自己概念」をよりどころに解明しようと試みたものである。筆者が解明の糸口にしているのは、部落の子どもの学力実態と自己概念の関係を明らかにした調査(箕面市―1988年、泉南市―1993年、大阪府―1989年)から導き出された1つの疑問である。即ち、「学力と自尊感情のあいだに相関があることが確かめられており、中学生のサンプルでは部落の方が部落外よりも学力は明らかに低いという事実があるにも関わらず、部落の中学生の自尊感情はなぜ低くないのだろうか。」という事実である。

 更に、その解明の方法として、アメリカのマイノリティ研究と日本の同和教育研究の接合といった試みがなされており、特に違った背景を持つ3つの研究分野との接合をめざしている。1つは自己概念または自尊感情に関する社会心理学分野の研究であり、ローゼンバーグは特に多く引用されている。そこでは、マイノリティの青少年の場合は学力が低くても自尊感情が低くないのは、その「原因帰属の仕方」に独特なものがあるとしている。さらには、部落の小学生の自尊感情が低いという疑問を解決する事実として、部落の保護者の教育に対する関心や学力を重視する価値観の高まりについて筆者は言及している。

 しかしその上で、それなら中学生も自尊感情が低いと言った結果が現れてよいのでは、という新たな疑問の提示をしている。その解明のために、オグブの「対抗的文化モデル」の理論が用いられるわけであるが、オグブがモデルとするアメリカのマイノリティの青少年像と部落の青少年像に違いがあることを指摘し、オグブの理論の部落問題への一般化は危険であると結論づけている。

 その上で、3つ目にコーヘンの「少年非行論」を用いつつ、運命論的ではないが、学校を媒体としてマイノリティの自己概念や低学力が現象化するといった、「再創造論」を提起している。

 ともすれば問題提示だけで終わりがちな部落の子どもの学力の問題に関わる課題について、アメリカのマイノリティ研究を引用することで、この古くて新しい「永遠の課題」に解明の展望を開く視点を提示し得た論文である。しかも、先述のような事実に基づいた問題意識に貫かれているため、アメリカのマイノリティ研究を、批判的な視点も持ちつつあくまで問題の解明を照らし出す為に取り入れているので、違和感なく読み進めることができた。その意味で、我々がアメリカのマイノリティ諸研究に接する際の視点の持ち方をも示唆してくれているといえよう。

 本研究所においても、9月に、アメリカからJhon.U.Ogbuさんを招聘しての研究会を開催した。その前に本論文だけでも読んで学習していたら、研究会への参加姿勢が少し変わったのではないかと、評者自身の不勉強を後悔している。

 「自己責任」「自己選択」「生きる力」が声高にいわれている今日、被差別部落の子どもたちの学力実態は新たに大きな課題となっている。現状の解明と克服の一視点として、必ず読み手に視野を開いてくれる論文である。