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本書は、「総合学習としての情報教育」のあるべき姿を探ることをとおして、メディアリテラシー教育の必要性を示している。情報、メディア、というと、すぐ想起されるのはパソコンであろう。しかし周知のとおりパソコンだけがメディアではない。
本書には「『メディア』とは、情報を人から人へ伝える媒体をいう(そのなかには、テレビやラジオ、新聞などのマス・メディアの他にコンピュータや写真、映画などを含めるのが一般的だが、音声や言語それ自体を含めることもある)。また、「『リテラシー』とはもともと書字文化(口承文化に対するものとして)を継承し発展させるのに必要な知識・態度・技能をさす概念である。」と述べられている。
その様に考えると、本書にある、我々が自由時間のうちメディアに接している時間は平日96.5%、土曜95.7%、日曜96.2%という数字も頷けるではないか(NHK放送文化研究所1995年10月国民生活時間調査より)。問題はそれだけの時間接しているメディアからの情報を受取手が無批判に受容していくことである。
10月26日付けの毎日新聞の朝刊に掲載された読書世論調査には、この1ヶ月に読んだ週刊誌のベスト1位、2位が、「週刊女性自身」「週刊現代」であるとあった。しかもメディア接触率を見た場合、書籍は急落し、雑誌は大幅に増えているという。このような雑誌からの情報のみを無批判に受け入れているとしたら、人権文化の広がりという視点から考えただけでも憂慮すべき事態であるといわねばならない。
このような実態に対して、情報そのものを規制する考えのみでは問題は解決しない。必要なことは、その情報を批判的に読んでいく能力を受け手が身につけること、情報を選び取っていく力をつけることであろう。
本書では次のように述べている。「メディア・リテラシーでいう能力とは、情報をたんに受け入れる対象としてではなく、批判的吟味の対象にする能力であることをまず確認しておく。」
その様な視点で見たとき、ユニット1「切り取られた世界」で写真を使って学習を進める案は極めて興味深くおもしろいと感じた。またパソコンを私たちの道具として考えるならば、このユニット以上の多様な実践が数多可能になるであろう。かつて鉛筆と消しゴムが子どもたちの学習に登場したときにそれ以前には想像もつかなかった程の変化が学校教育の場に生じたように。
最後に本書には、表題にあるごとく図書館が取り上げられている点も特筆しておきたい。情報を得る手段として図書館を活用していくことは教育の中でもっと取り上げられて良いことであるし、年々著しくなる活字離れに対しても図書館教育は一石を投じることができるはずである。2003年度からは11学級以上の規模の学校に司書教諭が配置される。図書館教育の持つ意味を今一度見直す必要がある時期に来ているのではないだろうか。