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評者s.k
研究所通信252号掲載
伊藤悦子・外川正明・竹口等

「被差別部落の大学生にみられる進学達成要因
―成育史の聞き取り調査を通して―」

『研究紀要』第4号、世界人権問題センター、1999年3月15日

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 本論文は京都市の同和地区出身の大学生を対象に行った成育史の聞き取り調査を通じて、大学進学を達成できた要因を検討したものである。その問題意識や新しい調査手法による取組みは興味深いものがある。

 進学要因は多様で複雑にからみあっていたが、まず、親の教育戦略という大枠があり、その具体化において教師や学習センターあるいは塾が機能し、その家庭で子どもの主体的な学習態度が形成されるという構造をもっていると述べられている。統計調査では同和地区の家庭の場合、進路展望が低く家庭における学習習慣が確立できていない傾向が指摘されているが、今回の調査対象者の多くの家庭は進路展望が高く学習習慣が確立されていることがわかった。しかも、それを受けて子ども自身が大学進学するにあたっての学習意欲を持ち、学習効率、家庭の経済的状況を考えて教師や学習センター、塾などを使い分けている。

 友人関係を通してみても、部落外の友人との接触の中から受けた様々な影響が大学進学への意欲や展望を持つことにつながったと語っている。逆に部落内の同世代の友人とは距離を置いているとも。それは、その時々によって、自分にとって必要なものとそうでないものを区別し、使い分ける能力を親(または、教師などキーパーソンになる人)の教育戦略から学び、自分の中で培っていったということだろう。

 部落外の友人との交友を通して、部落内外の「差異」に気づく。そして「部落」との一定距離を置くようになったことが語られている。しかしそれは決して自己と部落問題とを切り離すといった意味ではないと書かれているが、部落内の友人とは切り離れているのではないか、と感じた。つまり、大学進学やそれを目指す学習に取り組むには、なにより教育達成を重視する部落外の友人との交流を深めることが重要であるということになってしまうのではないか。

この論文はテーマや聞きとり対象者に限定があるとはいえ、また、私が短絡的に捉えてるような気もするが、大阪の同和教育を受けて育った私には、本論文での進学するための学習と、同和教育とがひどく矛盾してるように感じる。進学達成と同和教育がめざしてきたこととがどう両立したのかどうかについても触れてほしかった点である。