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書 評
 
評者源勁一(摂津市社会教育嘱託指導員)
研究所通信234号掲載
新保真紀子

人権ブックレット52
いじめを越えて
生徒にラブレターを書こう

(A5判、 79頁、700円 + 税)

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同和教育こそ「いじめ」に立ち向かう本道

 何度か涙をこぼしながら読んで、さわやかな読後感を味わっている。いじめられっ子だった道子やトトロがようやく「NO」と自分の思いを突き出していく。いじめっ子のタカシやアキラ、そして人間と人間関係をなかなか信じることのできなかったアサコやタミエ、彼らが仲間や自分や人生や未来への信頼を獲得していく。これら多くの濃密な物語には、感動だけでなく、学ぶべき宝物やわれわれへの励ましがいっぱいに詰まっている。

 ひと言でいうならば、いま日本中で問題になっている「いじめ」は、同和教育の推進こそ真の解決への道だということを納得させてくれる。さらにいえば、目先の問題解決だけでなく、同和教育こそ、子どもに生きる勇気と力を与え、子どもたちのこれからの人生を保障し豊かにする取り組みだということを確信させてくれる。

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 今、子どもたちは人間らしく生きていきにくい状況に置かれている。その中で子どもたちは、いらいらし、呻き声をあげ、自分にも他人にも信頼を失い始めている。「いじめ」はその現象のひとつである。だからこそ「いじめ」を重要問題として多くの教師が真剣に取り組んでいる。「いじめ撲滅」などという管理的発想ではなく、人間関係のあり方や人間の生き方の問題として、全ての子どもに関連した大事な問題として正面から取り上げようとしている教師たちも多くいる。

 そこで新保先生は「生徒を信じることから始めよう」と教師たちに呼びかける。この呼びかけは単なる精神主義ではない。例えば「風紀検査(頭髪や持物のチェック等)などしない」という方針は、「そんなことを問題にしなくてもいいような、子どもと教師、子どもと子どもの人間関係を形成し、前向きの生き方を育て上げる」という具体的な大目標とセットになっている。

 そのためには、例えばいじめ等の問題やもめごとが起こっても、「ピンチを最大のチャンスにするために、安易な解決指針を示さずに、子ども集団に依拠しながら、子どもを励ましぶつかり合わせ、共に苦しみながら徹底して寄り添っていく。これは単なるテクニックの問題ではない。生活ノートや家庭訪問や個人的対話等を通じて子どもの生活や思いを知り、班作りや行事作りを通じて集団のあり方を育てる中で、「彼らなら乗り越えられる。その中で大きく成長する。」という見通しと期待を持っているからである。

 いじめやもめごとをなくすという目先の目標よりも、「集団の中での子どもたちの変革と成長」をこそ重視しているからである。

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 新保先生が「おわりに」のところで「こうして書いてみると、本当に私は泣き虫です」とか「生徒たちとの泣き笑いの生活」とか書いているように、自分を生徒と共に生きる一員と位置づけ、生徒に「生活や思いを語る」ことを要求するだけでなく、「ありのままの自分」を意識的にあるいは自然に表明している。だからこそ子どもの方も「(略)たぶん、本心を書いたのは、これが初めてです。なんかすっごい、楽になりました。先生が心を開いてくれてるのだから、私も開かなきゃズルイと思って書きました。」と反応してくる。

 こうした部分をはじめ新保先生がすばらしいドラマを作り上げていく力量は、読者にとっては「新保先生が自然に持っている人柄や能力」の問題と映り「だからこそ、こんなすごい実践が出来たのだ。自分にはとても無理。」と思えるかも知れない。たしかに人柄や能力の問題も無視はできない。

 しかし、新保先生自身が「タネもしかけもあります」として自分の実践の原則を整理して示しているところに見られるように、新保先生がやっていることは、実は同和教育が作り上げてきた諸原則に依拠し、それに命を吹き込もうとする努力である。その意味では新保先生に追いつき追い越すことは可能のはずなのである。問題は「生徒によって一人前の教師にしてもらっていくのです」という新保先生の基本姿勢に学べるかどうかだろう。