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書 評
 
評者椎葉正和
研究所通信261号掲載
高 巖、T・ドナルドソン共著

ビジネス・エシックス 企業の市場競争力と倫理法令遵守マネジメント・システム

(文眞堂、定価2800円+税)

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 本書は、企業倫理の歴史的、経済学的、哲学的な根拠を明らかにし、その実践をすすめるためのテキストである。

 まず、今日あたりまえに存在する「企業」の歴史的生成過程を概観する。国家は別として「法人」的な組織構造をもっていたのは、ギルト(職人組織)や教会であり、利益を目的とする活動はベネチアに代表される中世の商人による「個人」の活動であった。それが、大航海時代の「東インド会社」に代表される組織的活動へとの変化するが、その責任構造や意思決定の方法は民主的ではなかった。

 経営と所有が分離され(株式会社)、各種法規が整備された20世紀以降、巨大な企業組織が社会と経済の根幹を形成するに至った。しかし、日本は欧米とは異なる生い立ちをもって、現在の企業システムを形成した。

 企業は、その経済活動を発展させていく中で、国境を越えて国家にも影響を与える存在となった。また、一地域の経済にとどまらず政治的にも大きな影響力をもつようになり、政治の決定過程に様々な影響を与えたり、介入したりしてきた。利益の前に、軍事力を動員した時代から、大きな政治力を行使する時代に入ったことによって、様々な対立や批判にさらされて、大きな利益と損失が背中合わせの状況になってきている。

 また、日本の汚職構造(官民癒着など)や経済犯罪(独禁法違反、インサイダー取引など)を例に出すまでもなく、「手段を選ばぬ」企業活動は、国際化・情報化の進んだ現在となっては、企業の利益につながるとは限らない。

 これらの認識の上にたって、企業活動=ビジネスを「ビジネスの社会契約」という観点で捉える。企業は消費者、労働者の社会的便益を提供し、社会的損失をできるだけ軽減すべく努力することがその存在価値であるという考えである。これは企業倫理の前提となる論理だが、これまで歴史的には多くの哲学的な議論や批判があった。経済哲学の中での議論、権利と義務、自由や所有権をめぐる論争、市場原理・競争原理を絶対視する論理など企業倫理と対立する論点を整理し、「ビジネスの社会契約」という原理を裏付けていく。またこの思想は決して西洋社会の特産物ではなく、東洋哲学にもつながるものであるという。

 最後に、日本とアメリカの企業風土の違いを説明しながら、アメリカのビジネス社会の制度改革と国際社会における制度改革の流れを紹介する。今となっては有名なISOマネジメント・システム規格、労働環境や労働者の人権を基準とした「SA8000」等を例にとり、国際的な基準に沿うことが多国籍企業に限らず、あらゆる企業に必要となってきていると説く。日本においては、欧米諸国よりかなり送れている企業の認識や実態を踏まえ、著者自身が関わった「倫理法令遵守マネジメント・システム規格ECS2000」を紹介している。

 法を守り、倫理に照らして恥ずかしくない企業活動をすすめるために、社内の組織改革を薦め、自発的な取り組みに導こうとしている。人権への侵害が国際的には「犯罪」と認識されている現在、日本国内においてもこの「倫理」の内に「人権」が当然含まれているという認識が企業に必要だろう。