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この論文は、障害者であり女性であったり、少数民族の女性であったり複数の差別の間の複雑な関係を解き明かすために「複合差別」という概念を採用している。
筆者の問題意識の出発点は、たとえば被差別者の社会的集団内で性差別を問題化することがしばしば困難なことに見られるように、「全ての被差別者の連帯」を強調する理想主義がかえってそこにある差別を隠蔽する効果を生むため、むしろ「様々な差別」のからみあいをときほぐすことが必要だという認識である。
筆者はケーススタディとして「女性と障害者」をあげ、1970年代に優生保護法改悪阻止の運動の中で出てきた「産む、産まないは女性の権利」を主張したリブの運動に対する障害者団体からの批判とそれに対するリブの自己批判をとりあげる。
女性・障害者のケーススタディは、最近、母体保護法に胎児条項を入れようとする動きが鮮明になる中で「自己決定」という美名の下で障害胎児の中絶が容易に導入されるようとしている今日、フェミニズムははたしてこの歴史的な論議を克服しているのかどうか考えさせられる。
筆者は、いくつかのケーススタディを紹介した後に、差別の複合性を理論化するために別表のような概念を導入する。論文では、個々の事例についてシュミレーションしているが、これを見るだけでも差別間の関係の複雑さを感じる。
筆者は、最後に解放の戦略についても述べているが、それについては本文をお読みいただきたいと思う。
評者の力不足で適切な紹介ができなかったが、私たちは仕事の中で(例えば講座の企画や出版etc.)差別問題を論じているが少なくともこれまで差別間の葛藤やねじれを十分に視野に入れてはこなかったのではないか、と思う。また、少なくとも今日の諸学問の中の差別論の水準を視野に入れることが不可欠だと感じたが、いかがなものだろう。