〈要約〉
●部落のジェンダー
本稿では、部落の人々が、「社会的・文化的な性差」であるジェンダーを、日常生活のなかにどのように組み込んできたのか、また、ジェンダー差別にどのように向き合ってきたのかを、語りのなかから掘り起こすとともに、部落差別とジェンダー差別との関わりについて今後の課題を提起する。
まず、年輩者の語りのなかに、息子に嫁をもらい、嫁は他家へ嫁にやるという、家制度のもとでの「嫁入り・嫁取り婚」の意識がまだまだ根強いことを指摘できる。このような結婚観を前提とすると、親としての子どもの育て方もおのずとジェンダー意識の強いものとなる。
嫁の場合は、いずれ他家へ嫁入りするものとして、嫁入り先で好かれるように、そのためには、嫁が他家へ行って困らないように、恥ずかしい思いをしなくていいように、そして、苦労に耐えることができるようにと、娘が嫁入りするまでに、親として厳しくしつけしようとする。
しかし、娘には、口やかましく言い聞かせるという親意識は、自ずと、娘と息子のしつけ方に差を生むことになりやすい。しかも、母親たちは、息子には、結構過保護的である。
息子たちは、母親に身の回りのことをしてもらって当たり前とみなしており、親と同居しているほうが楽で、彼らは、知らず知らずのうちに、女が家事をし、男は家事をしなくてもよい、という性別役割意識を内面化しながら大人に成長していくようである。
ところで、今日でも根強く残っている結婚差別は、実際のところ戦前からあったのではなく、戦後、恋愛結婚が一般化するなかで多発するようになったのではないだろうか。ムラの人間関係が閉鎖的であった時代には、男も女もムラの中か、あるいは、他の部落の人を紹介してもらって見合い結婚をしていたから、結婚差別はさほど表面化していなかったと考えられる。
そして、交際や結婚差別を受けるのは、男でも女でも同じかもしれないが、親の思いは、息子の場合と娘の場合とで、大きく異なる。息子の結婚相手としては、部落であろうと部落外であろうと、嫁に来てくれるのであれば、受けるという。
しかし、娘が部落外の男性と結婚したいと言い、相手の男性も結婚したいと思っていても、その男性の親や親類が反対しておれば、「針のムシロ」に娘を座らせるようなもので、親として、安心して娘を嫁にはやれない。「他家へ嫁入り」させてしまえば、娘がどんなにつらい目に遭おうとも親として何にもしてやれないという危惧が先行するからである。
ムラには、一生懸命に働いて家計を支えてきたたくましい女性が少なくない。また、部落差別からの解放をめざして運動してきた女性も少なくない。しかし、そのような女性たちのなかに、「女は男をたてるものであり、女は男に逆らってはいけない」という男性優位の価値観が、案外すんなりと根付いている。そして、父親をたてる母親の姿は、娘にも「男はたてんなアカンもんや」という価値観を身につけさせていく。
わが国が高度経済成長期に入った昭和30年代でも、部落では安定した収入のサラリーマンになる男性は少なく、既婚女性の多くは農業や家業に従事していたり、あるいは、家計補助のために肉体労働や賃仕事などさまざまな仕事に従事しており、専業主婦となる女性は少なかったものと推測される。
ムラの女性たちにとっても、仕事は生活を支えるため以外のなにものでもなく、それゆえ、「仕事」も「家事と子どもの世話」も行っていたのである。
「特措法」の下で、部落における皆保育が実現したことは、夫婦共働きを支援するものとして、まさに、男女共同参画社会をめざすという今日的な時代の先端を行くものであったと評価できる。
しかし、就労保障などにより、夫の収入だけでなんとか家計を維持できる階層が広がるなかで、とりわけ都市型部落では、保育所の存在が、既婚女性の安定就業率を高くすることには必ずしもつながってはいないのである。
また、部落出身の対象者のなかで、子育てに関わっている男性はいるものの、家事を協力しているという男性は皆無に等しい。しかし、ムラでは、男性が家事や子育てをしないことが、さほど問題とはみなされていないという印象を受けるのである。
なぜなら、夫たちは、家事をするようには育てられていないし、妻たちも、とりわけ部落出身の場合、嫁入り先でかわいがられるように、夫をたてるように育てられているので、夫たちに家事や子育てを期待しないで、一人で引き受けようとするからである。
ムラの中で、今日でも根強い男性優位の価値観や家庭内の性別役割分業観を変革していくことが、解放運動自体の新たな展望を切り開くことにもなると、期待したい。