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本論文は、これまで学術的にはほとんど扱われてこなかった、部落の生活文化とそれらの親子間での継承に焦点を当て、家族・親族ネットワークの聞き取りを通じた質的調査によって、部落の学力問題に潜在する文化的問題を提起している。
最も重要な指摘は、部落の生活が「私財を蓄え、将来のために投資する」「ストックの生活」ではなく、「不安定な生活条件のなかで、日銭を稼いだものが持たざるものに融通するという」「フローの生活」だという点ではなかろうか。「フロー」というこの分野では耳慣れない概念をあくまで仮設的なものとしつつ、「フロー」に押しとどめている要因を探る今後の研究の方向性を示している。
評者自身も部落アイデンティティ研究を志す立場から地域での参与観察を行っているが、西田の指摘は自分自身の印象とも合致する。これもあくまで評者の仮説であるが、部落を「フローの生活」に押しとどめている原因として、「あるべき制度を積極的に利用する」という意識がどこかで働いていると考えられるのではないか。一般社会では生活保護などの福祉を受容することは「恥」と考えられるが、運動の成果である同和対策事業には「差別からの保障」という大義名分があるために、さらには本論文でも指摘されている「履歴効果」によって、「フロー」することを押しとどめない要因が働いていると思われる。
「ストック・フロー」という概念は、これまでの生活を見つめ直す重要な指摘となっている。部落の子育て観を上手く変化させることができれば、これまで相反するベクトルと考えられてきた「ムラのぬくさ」と、学力向上のための生活基盤作りとを上手く調和させることもできるのではないか。学力は一朝一夕に身につけられるものではない。ねばり強さが必要とされる。そして、それらの意識を生み出すメリハリのついた生活も必要だろう。
さらに、「ムラのぬくさ・フロー」などの生活文化とともに、その中心・ベースとしての部落アイデンティティたるものがあるのかないのか。あるとすればいかにして伝承され、継承されるのかを知る地域に密着した研究が、学力問題とパラレルなものとして、今後進められるべきだと思われる。