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一人ひとりの幸福追求と、よりよい社会の実現にむけたいとなみは、本来車の両輪とも言えるものであり、今日のまちづくり・地域づくりで求められているソフト面の重視も、この視点からの位置づけが不可欠だろう。
そのためには、幸福追求を阻害する部落差別をはじめとする社会的な不正義を取り除く取り組みとともに、住民・市民自身が、自らの生きていく地域と社会について「こうありたい」という願望と意志を見つめ、考え、議論し、そのあり方を切り拓いていきうる力を身につけていくことが求められる。このことは、人々が「なりゆきまかせの客体から、自らの歴史をつくる主体」となる(ユネスコ学習権宣言)道筋とも重なる営みである。
表題の2冊の本は、この課題を考える材料を提供してくれる。
?は、「公共の、だからみんなのものである公園。けれどもそのみんなのなかに、わたしは入っていない。」との実感から、公園という公共施設が多くの場合利用者との間に見えない壁を持っているとし、それに対する公園計画と管理運営への住民参加を、「地域住民の共有地として公園をとらえ、地域の共有空間を住民自身がつくりだし、その使い方を自分のものにしていくこと」「それはまた、地域の空間のあり方を、住民が自分で決めて責任をもつことが権利であると同時に義務でもあることを、住民も行政もともに認識すること」だとして、各地の事例を紹介している(公園そのものに加えて、コミュニティセンター建設や集合住宅建て替えの事例も含む)。
?は、都市計画行政やまちづくりの取り組みの中で、「バリアフリー」の課題を目に見える物理的な領域だけでなく、障害や世代、文化や習慣、民族や宗教などによる「社会的バリア」の克服をめざすべきとの視点について、「コミュニティ・ガーデン」の取組みを中心に、アメリカにおける提起の経過や市民参加論・地域開発論などとの関わりを説明している。
両著から得ることができる視野と視点は大いに発展させるべきである。特にでは、身近な生活の場をなりゆきにまかせるのではなく、自分たちの希望を地域で表現していきながらお互いの利害や価値観を調整(対行政も含めて)し、「公共」というものを自分たちで紡ぎ出しつつある、根本的に楽天的でたくましい住民の姿が描かれている。
ただ、あえて希望を言うならば、住民が公共空間をつくりだし、またソーシャルバリアフリーの視点を社会に定着させるためには、どんな条件が必要なのか、またそれ以前に、それらを妨げるものがあれとすれば何なのかについて、もっと掘り下げてもらえればと思う。ではその点についての示唆が見られるが、では提起された理念と紹介された日本国内の事例の間に落差が目立った。
しかしこれは、両著への注文というよりも、現実にさまざまな困難を抱えながら、一人ひとりが大切にされ、生き生きとした人生を送れる地域社会づくりを実践している現場からこそ、両著の提起を発展させた叙述を生み出す必要がある。部落解放運動の地域づくりの取り組みとその分析に寄せられる期待は大きい。