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書 評
 
評者N.S
研究所通信241号掲載
金泰泳

アイデンティティ・ポリティクス超克の<戦術>
―在日朝鮮人の子ども会活動の事例から―

(『ソシオロジ』第42巻3号、社会学研究会、1998年2月)

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 戦後、在日朝鮮人のアイデンティティ形成において、「民族的覚醒の論理」は大きな位置を占めていた。しかし、「この論理は、人間を民族や祖国の一員と規定し、その考え方が共有される<場>で生きることが自然で本質的なことであり、またそうすることによってしか「在日」の<不遇性>は克服されない」とするもので、ますます多様化する「在日」の「生」の現実を覆い隠してしまう。

 他方、なお現在も社会には民族差別を生み出す構造が温存されており、「あくまでも『個』の解放」「アイデンティティの選択の自由」というだけでは、実践的解決にはつながらない。

 こうした論を進める著者は、「否定されるべきは集団的アイデンティティを必然的なものとする考え方(「一枚岩のアイデンティティ」)であり、必要に迫られた『戦術的アイデンティティ』は積極的に擁護すべきなのである」、「解体すべきものに依拠せざるをえないところから、私たちは出発することになる」とし、「在日のアイデンティティの必然から便宜への移行という可能性」を、大阪府高槻市の在日朝鮮人子ども会活動から検証しようとされている。

 こうした問題意識は、今日の部落青年のアイデンティティを考える時、極めて共感できる部分である。

 しかし、「解体すべきものに依拠せざるをえない」という考えは、「否定されるべきは集団的アイデンティティを必然的なものとする考え方」という指摘と少し距離があるように感じた。また単なる表現上の問題ではないと思うが、「必然から便宜への移行」という「便宜」の言葉にも少し異和感を感じた。

 この点は、部落青年の問題に引きつけて、今後、私達自身も検討していかなければとの思いを強めた。