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はじめに
最近では部落史に関する通史が書店の店頭を賑わすようになった。もちろん、その背景には教育現場からの要請や、高度に専門化された部落史に関する議論を平易に解説した書物の要望などさまざまな事情があるのだろう。
しかしながら、これらの部落史に関する「通史」とされているものは、実はさまざまな被差別民衆に関する事例を年代順に配列したに過ぎないものも多い。
これは、通史的叙述を行うためにはどうしても史料によってその詳細が明らかにできる部分をつなぎ合わせ、一つの物語を紡ぎ出さなければならないためである。
しかし、このような通史を読むことで新しい声もでてくることであろう。その一つが、複数の地域の歴史的事例のパッチワークでない、特定の地域についての詳細な歴史について知りたいというものではないだろうか。
このようななかで、近年各地では行政や地域を単位として、丹念な歴史の掘り起こしが進められている。本書『野洲の部落史』も、そのようななかのひとつである。
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本書の構成
『野洲の部落史』は全部で12章で構成されている。第1章では「原始・古代の近江」として野洲をはじめとした近江全体の自然地理的な景観や律令制下の賤民制について紹介し、第2章の「中世の近江」で中世の史料に見える湖南の三上散所等の中世「非人」について触れている。
第3・4章では近世の野洲に所在したかわた村の和田村について史料から明らかになることを詳細に見ていき、5章「近代の開幕」で、「解放令」以降の和田地区について紹介。第6章「部落改善事業の展開」第7章「融和運動の出発」第8章「融和新体制と戦時下の生活」で、戦前の諸事業と融和団体の明治会について詳細に触れられている。
そして、第9章「戦後初期の部落問題」第10章「初期の同和対策と和田支部結成」第11章「環境改善事業の時代」第12章「同和対策事業の見直しとこれからの和田」では、戦後の解放運動の流れを中心に和田地区の歴史を俯瞰している。巻末には本書の執筆にあたって使用された主要な文献資料が翻刻紹介されている。
このように、本書は古代から現代までの和田地区を中心とした歴史を平易に叙述している書物である。これは、それほど史料に恵まれているとはいえない同地域において、数年に渡る資料調査・収集を経た貴重な成果であるといえる。今後、近江の部落史について見る上では、1995年に刊行された『近江八幡の部落史』とともに必読の文献となるであろう。
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本書の内容について若干触れておきたい。近世の和田村の生業について、「検地帳」などに「かわはりは」の記載などがあることから、わずかに死牛馬の処理や皮革業に関わっていたらしいことが推測されていたが、同書では久保和士(『動物と人間の考古学』真陽社、1999年に主要な業績は収録されている)の業績によって、近年注目されはじめた考古学の成果も取り入れた叙述をしている。
すなわち、1975年度の和田集会所前の道路工事の際に発見された牛馬処理遺構について紹介し、解体痕の存在や小篠原の耕作条件を反映し、発見された獣骨には牛より馬が多かったことなどの重要な事実が紹介されているのである。
これにより、近世の和田村の斃牛馬処理権について、より具体的に明らかにすることに成功している。今後、文献によって明らかにすることの困難な地域の部落の生業・生活を見る上で、このような考古学の成果が一層注目されることであろう。
また、近代以降の内容についていえば、とりわけ興味深かったのは、これまであまり紹介されてこなかった融和団体である明治会について非常に丁寧に紹介され、その位置付けを明確にされていることであった。
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本書の内容に関わって
ところで、本書では和田村に関するごく初期の史料として文亀2年の史料に「ワタノヨツ」という人物の名前が見えていることをあげている。そして、その100年後の慶長7年「近江国野洲郡小篠原村検地帳」に「和田」の名請人として同名の人物が記載されていることを指摘する。この名称について本書では個人名であろう、としたうえで「身分的呼称の個人が踏襲されている」としている。
これについては、川嶋将生が「中世被差別民における『業』の伝承」(『「洛中洛外」の社会史』思文閣出版、1999年)において、散所法師熊や河原者岩などの同一の名前が長期にわたり史料に見えていることから、中世の被差別民のなかでは名前を継承していると見られる例を指摘し、これについて「その組織に付随する、なんらかの権益を維持・継承するために必要だったのではないか」とされている。
この川嶋の指摘は京都の事例に依拠したものであるが、この和田における名称の継承も、かわたの組織・権益に関わる可能性があるであろう。
そして、実際この人物は検地帳をみるかぎりでは和田に住んでいたと見られる5軒のうちでは、もっとも多くの土地を所有していたのである。このように、100年を隔て同一の名前をもつ人物が和田にいたということは、非常に重要な指摘であるといえよう。
しかしながら、この時期に「ヨツ」の語がかわた身分をさす言葉として使用されていたかについては、『日葡辞書』にも見えておらず、他の文献などによって確認する必要があろう。
また、かわた身分をさす語としてすでに使用されていたとしても、検地帳の名請人として、このようなかたちで身分名を個人名に代えて記載することがありうるのかなど、充分な検討をしておく必要があるだろう。
この「検地帳」の記載は中・近世の移行期における和田村に関する極めて貴重な史料でもあり、かわた身分の呼称に関しても重要な問題に関わりをもつ史料でもあるので、もう少し詳しい言及があればと思われた。
また、本書では戦後については地域から発掘された文献史料とともに、聞き書き集『人びとが語る暮らしの世界―野洲の部落史』から多くの人びとの生の声を引用されている。これにより、「文献・記録を中心に書かれた本書に厚みをくわえ、活気を与える」ことに成功していた。
とくに後半で語られる和田支部結成に尽力した山本政次についての語りはどれも彼に対する尊敬の念が感じられ、人びとに慕われた山本の人柄が伝わってくるものであった。
しかしながら、ここで使用された『人びとが語る暮らしの世界』が重要な成果であることに異論はないが、これらの聞き書きが刊行されるにあたっては一定の編集・整理の作業を経ている。
当然、そこで活字化された「語り」は、「生の声」をもとにしているとはいえ、編集者の問題意識や関心を全く反映したものにならないとはいえないであろう。とすれば、このような聞き書きを他の文献資料とともに利用することについてはやや疑問がないとはいえない。
むしろ、「地元関係者から独自な聞き取りを行」ったのならば、その成果を全面に出されたほうがよかったのではないだろうか。
労作に対して浅学にもかかわらず思いつくままに書かせていただいた。誤読・誤解による非礼もあるのではないかと思われるが、執筆者諸氏の御海容をこいねがう次第である。