Home書評 > 本文
書 評
 
評者永瀬康博
部落解放研究136号掲載

「荒川部落史」調査会編

荒川の部落史―まち・くらし・しごと

(現代企画室、1999年12月、A5判、185頁、1,800円+税)

-----------------------------------------------------------------------------

 本書に記載されている13代目弾左衛門は明治22年に亡くなりその後分骨されて神戸市東灘区住吉東町の鬼塚墓地に墓碑が建立されている(杉本照典稿「13代目弾左衛門(直樹)百回忌・神戸集会に寄せて」『ひょうご部落解放』32、1988年9月)。

 筆者が現在勤めている勤務先からこの墓地まで歩いて10数分の所にあり、何度か訪れたが探しあぐねていた。そうこうしている内にふと「弾」の墓石文字が目に入った。

 その時やっと結縁できたという思いがし、同時に東京のお墓にもお参りしたいという気持ちがおこった。しばらくするとその機会はめぐってきて、本書の著者の1人である藤沢靖介さんを訪ねた。

 弾左衛門のお墓から関係する各所を休日にもかかわらず案内して頂いた。それが三河島であり木下川であった。関西については拙稿「近世の皮革経営の実態」(『ひょうご部落解放』92、2000年3月)で渡辺村の大坂問屋中が皮革流通を掌握していたことは理解はできていたが、関東についてはわからないというのが実感であった。この度の書評の機会は関東の皮革業を知る上で筆者にとって時機を得た思いであった。

-----------------------------------------------------------------------------

 さて本書の「はじめに」に重要なことが記載されている。1点は荒川の部落は明治以降にできあがった部落であること。2点めは江戸時代からの部落の歴史と深いかかわりをもって形成されていること。そしてこれを明らかにすることが本書の目的のひとつであると述べていることである。この文言に沿って以下内容を見ていきたい。

 本文の構成は10章で内容の流れはおおよそ編年順になっている。1章は近世以前の関東の皮革業の姿を簡潔にまとめている。2・3章は一連の内容として読むとわかりやすい。

 近代明治のはじまりでは、弾直樹を中心とした江戸時代からの皮革業が近代への生き残りをはかったことを述べ、日常の履物などの民間需要にその道を見いだしたこと。一方で軍靴などの軍需に対する需要の高まりの中でタンニン鞣しの導入が急がれていたことが述べられている。

 4章は三河島の皮革業に携わった人びとが滋賀県の山川原と甲田地区の出身者が多いことを聞き取りの中から明らかにしている。そして元々は三河島より南の新谷町で皮革業を営んでいたのを移転により三河島にやって来たと述べている。そして新谷町にはもはやその面影はないが、新谷町に移住して来た人びとの菩提所「墳墓の地」であることは今も変わりないとこの章を締めくくっている。

 5章は4章を受けて移転の原因について述べてある。明治に衛生観念が普及した事と何度となく発生する伝染病の流行が皮革業への差別と反発に結びついたことを述べ、その帰結として明治25年に「魚獣化製場取締規則」が制定され、新谷町から三河島に移転が強制されたことを明らかにしている。

 6章からは明治末から大正の三河島の様子を述べている。前半は、既設の胞衣処理場・皮革工場の移転・火葬場・下水処理場の設置と三河島が終末処理場としてのイメージが出来上がり、皮革業もこのイメージの中に含まれてしまったことを述べている。

-----------------------------------------------------------------------------

 後半は、全世界を巻き込んだ政治と経済の激変の中で皮革業もその渦中にあり、あいつぐ戦争により軍需品を生産する皮革業が隆盛と衰退を繰り返していたことを述べている。

 7章は6章のような状況を受けてそれでは住民の実生活はどのようであったのかを、聞き取りの中から廃品回収業・男・女・信仰・職工と外国人に分けて当時の様子を語っている。

 8章はこの当時の三河島では水平社運動が個人の運動であったことを述べている。そして東京の解放運動にとっては皮革業者の支援を得ていた同愛会の運動が重要な意味をもっていたことを述べている。

 9章は第2次世界大戦の前の一連の統制経済のことを述べている。その中で犬皮革統制会社の実態を明らかにしている。また草加市の皮革業がこの当時の三河島からの工場移転であることも述べている。

 10章は「おわりに」と続く終戦後から現在のことについて述べてある。1950年の皮革統制撤廃と朝鮮戦争特需による皮革産業の好況を述べている。そして昭和30年代以降は民需を中心に生産が展開するのである。このころになると筆者の経験と本書の内容が重なってきている。

 記憶の中でも10年単位でタンニン鞣しの茶色い革が合成皮革に置き換わっていったように思う。それは三河島の工場数が盛時には50を超えていたのが、現在は8工場に減少したことに表れている。


-----------------------------------------------------------------------------

 現在のように商品の陳腐化の速度が加速している中で、革がもつ耐久性は要求されなくなったのである。それよりは感性にうったえる素材としての革のファッション性が求められているのである。

 また三河島の皮革工場の跡に空き地が目立ち、その中の空間に高層の住宅が建っている。皮革と関係のない新しく来た住民と、これまでの皮革業に関連した住民との中で、新しいまちづくりが今後の解放運動の課題であり、方向であるとまとめている。その中で阪神大震災の長田のことも触れてソフトの面で参考になるとしている。

 地震の時筆者は長田に勤務しており、地震前の下町の典型的な長い長い商店街と木造2階建てのお年寄りが住みやすい町は、現在はコンクリートの高層建築が林立しており、夜になると寸断された商店街が暗い闇に沈んでいるように筆者の目には映るのである。

 ハード面では今だに防災都市としての都市計画が先行しているようである。この町をこの通りを歩いてみたいと思うようになってこそまちづくりは成功といえるのではないかと考える。