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書 評
 
評者高見乾司
部落解放研究131号掲載

乾武俊著

黒い翁―民間仮面のフォークロア(1)

(解放出版社、1999年4月、A5判、233頁、5,000円+税)

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 私どもの「旧・由布院空想の森美術館/現・森の空想ミュージアム(宮崎県西都市)」では、300点を越える「九州の土俗面」と名付けた仮面群を所蔵しているが、そのなかに、「弘安2年(鎌倉中期)」の銘の入った翁面がある。

 その刻銘が真実その時代に彫刻されたものであれば、その翁面は現存する民間仮面の中でも最古級のものだということになる。真贋を研究者の判断、科学的鑑定などに委ねる前に、私は旅に出た。九州各地に残る田植え祭りや神楽などに登場する翁面を調査すれば、その性格や用途、起源などが類推されるのではないかと考えたのである。

 九州の祭りを訪ね、多数の翁面に出会い、私は、翁面の起源は田植え祭り・田楽にあるのではないか、という確信を得た。田植え祭りとは、神田に山の神を招いて五穀豊饒を祈願するものであり、里に下った山の神が、田の神=田主に変じるのである。

 山の神は、祖先神=翁として顕現する。翁面の発生は、地方の田植え祭りが宮廷や貴族の庭などで演じられ、大流行し、やがて田楽という芸能に発展し、地方に分布していった、平安後期から鎌倉ごろに求められるであろう。

 九州各地の神社に伝わる田植え祭りの起源や翁面の分布などもこれと一致する。


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 ところで、大分県中津市北原地区の原田神社に伝わる「北原人形芝居」はその起源を七百年前(鎌倉時代)とされ、地区民によって代々受け継がれてきた。

 北原地区の近くには古要舞(傀儡舞)で知られる古要神社、放生会の細男(せいのお)舞、鎮疫祭の蘭陵王の舞など古式の芸能を伝える宇佐神宮、さらには鬼会(おにえ)などの民俗行事が残る国東半島、神楽の伝承地域豊前地方などがある。

 北原人形芝居は、太閤記、日高川、阿波の鳴門などが演じられるが、それに先立ち、「翁渡(おきなわたし)」という演目が演じられる。翁渡は極めて神聖視される儀式の舞であり、天下泰平・国土安穏の祈擣であるとともに、延年の祝福舞であるという。翁渡では、神歌に続いて千歳の舞、翁の舞、三番叟の舞と舞われ、三番叟では、白い翁は白色の尉面を付けて舞い、黒い翁が黒い尉面を付けて舞う。

 白い翁と黒い翁は、しばし対面し、すれ違うように行き違いながら、激しく舞う。これを見た時、私は、「黒い翁」こそ、地の霊あるいは先住民の霊が変じた祖先神なのではないかと思い、ここにも仮面発生の謎を解く鍵が隠されていると思ったのである。

 乾武俊さんの著作「黒い翁」は、氏の生涯をかけた収集による仮面を手掛かりに、民間の仮面史の謎に迫る力作である。導入部は、氏の所蔵する仮面にまつわるエピソードやその性格分類である。

 そこでは、山の神の化身としての仮面と血の色、血と呪力の問題、被差別民と芸能発生の関連などが説かれながら、読者を核心部へと誘う。そして遠野地方のサムトの婆の例、修験道の「火王」「水王」、紀州の面売り、土佐の土俗仮面の例などをひきながら、仮面発生の原理とその骨格などについて論じるのである。


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 続いて、この書物の中核部分をなす「黒い翁」に至る。ここでは、氏の能楽研究、神楽・田楽などの民間芸能研究などの成果が、黒い翁面の発生すなわち仮面発生の源流をめぐる考察として見事に収斂されてゆく。

 黒い翁とは、那智田楽「シテテン」の顔を紙の幣で隠した(翁の原型であろうと著者は謎解きする)舞いであり、水海田楽能舞の眼球が腐敗して抜け落ちたような翁・阿満であり、上鴨川住吉神社「万歳楽」の白い翁の先導をする黒い翁(口吻をつぼめ深く面を隠している)であり、高知県本川神楽の若い女性にからみつき、みだらな所作をして笑われる翁、能「翁」において「露払い」の役をし、あるいは「面箱」を運ぶ狂言方、白い翁と謎の問答をし、呪力をもった鈴を手渡されて舞う黒い翁などなどである。

 この一連の考察から導き出される「黒い翁」のイメージとは、「里の神(白い翁)に対する山の神(黒い翁)」「国家を樹立した民族の祖神(白い翁)に対する制圧された先住民族の霊(黒い翁)」「権力者の象徴(白い翁)に対する被差別民の象徴(黒い翁)」などである。

 このことこそ、仮面史の謎を解明しようとする研究者がもっとも欲するデータである。この論考こそ、翁面に関する私の問いに答えを与えてくれ、謎に満ちた民間仮面の研究を一歩進めてくれたものだと確信するものである。

 以後、個人史的な述懐も交えた「道成寺」「弱法師」と続くが、乾さんの仮面論は完結しない。むしろすさまじい勢いで、何処へかとむかうエネルギーのようなものが発生しているような気がする。文中に漂う気迫は、後に続く私たちを奮い立たせ、そのエネルギーの渦の中に巻き込まずにはいないような気もする。私としては、それは望むところである。