本書は1996年の正編発行から3年後に発行された同タイトルの続編にあたる。
正編は、「主に近世(豊臣時代から江戸時代)に『えた』身分とされた人びと」(「序」にかえて)についての論稿を集めたもので、執筆者数20名。これに対し続編の執筆者数は33名。この違いにも明らかなように、同じく『部落史の再発見』を題名に掲げながら、その「部落史」が含有する対象と「再発見」で表現される研究視角の多様さは、正編に比べてかなりの広がりを見せていて、一読するとまったく違った印象を受ける。
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一口にいうと正編は、お堅い学術書ではないにしても、各論者の既発表論文のエッセンスが並べられているという印象を拭えず、それでも机に座ってきちんと読まねばならない堅い文章が多かった。
一方これとは対称的に本書は、被差別民をめぐるアンソロジーともいうべき体裁で、明るく、軽く、自由な雰囲気が行間にあふれている文章が多い。言葉は悪いが、寝ころんで読める、どこからでも読める「部落史」にできあがっている。
「女性や職人、芸能者、『夙』『ささら』『タイシ』『巫女』といったさまざまな被差別民にも登場してもらいました」(同前)という「部落史」の概念の拡大。「近年、少なくとも研究のうえでは歴史を考えるときに差別の問題は避けて通れない、あるいは日本社会を問い直す大きなテーマであること、別ないい方をすれば差別の問題が私たちの歴史や生活のごく身近な所にあることが、ほぼ共通の認識になりつつある」(同前)という状況の変化がうんだ、新しい研究視角の紹介。
こうした編集意図のもとに各論稿は集められたものであり、それはそのまま、やや視点や対象が拡散しつつある現在の「部落史」の研究状況を忠実に反映しているといえなくはない。
以下、本書のメリットと若干の展望を述べてみたい。本書はさまざまな論点と事例を提供しているが、評者の関心分野に基づき、時代が中近世に終始している点は、ご容赦願いたい。
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本書の印象を際立たせているのは、冒頭の「列島社会像の再発見へ」(網野善彦)である。ここで氏は、明治以降の日本の歩みを「「最悪」の選択」だと言い放ち、水田農業中心の社会観を「根拠のない思いこみ」だと喝破、こうした「歪み」や「誤り」を1日も早く克服しなければならないと読者を煽動する。
すでに人口に膾炙した氏の史観の反復といえばそれまでだが、ここではその史観を背景にして立ち現れる現実社会の変革の主張が、すでに発表されたどんな著書よりもあけすけに、遠慮なく述べられている点に着目したい。
その矛先は当然これまでの部落史研究にも向けられ、具体的には、「士農工商」という誤った身分制理解を前提に「農村」から疎外された被差別民が田畑を所有するようになることを「脱賎」だととらえる見方を転倒だといましめる。
凝り固まった部落史像という土に一振りの大鍬が振り下ろされる瞬間である。本稿を冒頭においた編者の意図はまさにここにある。続く各論は、この土の上に芽吹く新しい部落史の種となることが期待されているようである。
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では、そこからどんな芽が顔をのぞかせているか。編者のセールスポイントは次の2つの「価値観の転換」である。
(1)差別は権力者が一方的に民衆に押しつけるだけで成り立つのではなく、時には民衆自身が差別を求めていた
(2)被差別民は少なくともある時期までは、差別されると同時に特殊な能力を持ち、特別な役割を担うなど、地域社会にとって不可欠な存在でもあった
(1)は、農耕民化を求めつつかわた村と同様に思われることを迷惑とした夙の心情(森田論文)、「えた」身分の者と口論の末「えた」同前といわれたため三井寺に訴え身分が上であることを公に認めさせた「ささら」(和田論文)、百姓村の主導と藩の追認により入会差別を受けることとなったえた村(安達論文)、「えた」に対する村方のサトウキビづくりからの排除(山下論文)等の事例から導き出される。
このうち前2論文は、「夙」や「ささら」が自らの身分的アイデンティティの根拠を「えた」との対比に置いていたことを示す。ことあるごとに「えた」との差異を強調し説明することが「夙」や「ささら」には必要とされたが、それは「平人」の差別意識の要請にもとづくものであった。「えた」との差異をことさらに強調する「夙」や「ささら」の言説は、「平人」の差別意識にどのようにフィードバックされたのだろうか。
後二者は、村方の生産活動から「えた」を排除する根拠として、差別意識が利用された事例である。ここでは、「えた」に対する村方の差別心が「えた」との入会や共同の生産活動からの排除を導いたと説明されるが、村方は、そんなに隙あらば「えた」を排除しようと躍起になっていたのだろうか。
むしろまず生産活動を独占したいという村方の意向があり、そのために「えた」を排除する論理として旧来の差別意識が公の場に担ぎ出され、そうした意識を公権力が認知し制度化することによって、近世の差別が強制力をもった、これが新たな視点として強調されるべきことではなかろうか。
昨今の「公」「私」をめぐる議論は、西欧における「公」(public)が権力と対抗する「公衆」の意味で普及したのに対し、日本においては「公私」が「官民」の意に置き換わり、「公」の主体が重層化したことを明らかにしている。
さらに下位の「公」が「私」的であることもまた上位の「公」によって承認されたとされる(水林彪「わが国における「公私」観念の歴史的展開」『日本史における公と私』所収)。「えた」村を入会から排除した近隣百姓村が「社会的権力」(安達論文)として共同性(公)を維持しようとすれば、その共同性存立に伴って不可避的に外に向けて発生する差別性を、より上位の封建支配権力(公)に承認させる必要があった。幕藩権力による差別政策の展開は、これら民衆の共同性に裏打ちされた差別性を掬いとりつつ、統治のための制度として固定化したものにすぎない。
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もう1つの「価値観の転換」は、(2)でいわれる被差別民の職能と地域社会との関係である。近世になると見せ物の空間に閉じこめられてしまった女性の「大力」(細川論文)、庭作事から排除されていった「河原者」(川嶋論文)。いずれも、地域社会にとって特別な能力をもつ不可欠な存在であった被差別民がなぜどのように変容したのかではなく、地域社会が被差別民の特殊能力をなぜ必要としなくなったのかが問われている。
これに対する答えを本書に求めれば、近世になると「神仏事や聖なるものに対する意識が減退する」(笹本論文)との概括ではやはり不十分であろう。この点、生類憐み令の殺生抑制策が、牛馬犬の殺生や遺体処理を生業とするものへの以前からの卑賎視と畏怖感を強化したという仮説(塚本論文)は、まさにその政策を受容した民衆の意識が明らかにされることによって、さらに説得力をもつものになるはずだ。また、近世中期の民衆意識の変容は中世以来の「情念的賎視」(森田論文)にも影響を及ぼしたはずであるが、そのあたりの説明を聞いてみたい気がする。
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以上のような見方に立つとこれまで時の権力者に責任を負わせてそれで済ませていた差別の問題は、実は民衆自身の問題なんだということがはっきりしてくるだろう。「彼らはなぜ差別されたか」ではなく、「われわれはなぜ差別したのか」「われわれは彼らの能力をどうして必要としなくなったのか」と。
近年、多様な被差別民の実態の掘り起こしはめざましく、それらを包み込んだ歴史観の構築が求められている。今後、本書のなかで提示されたさまざまな事例と視点が、地域社会との関係のなかでさらに深められることを期待したい。
むろん本書の中にはこれまでの研究の蓄積の要約や事例の羅列に留まったり、現時点での評価が欠けていてやや消化不良を起こしている論稿もなくはない。しかしそれらの凡庸さが目につくのも、数多の斬新な考え方や部落史を見渡すうえでのヒントの中にあるためであり、従来の研究に違和感をいだかせる役目を担っているととるのは、編者に好意的すぎるであろうか。
寝ころんで通読し、さまざまな被差別民の姿を目にし新たな研究視角を発見した読者は、むくっと起きあがり、本書が提示したさまざまな論点を自分なりに追究せざるを得ないだろう。