Home書評 > 本文
書 評
 
評者安川寿之輔
部落解放研究130号掲載

ひろたまさき著

差別の視線
―近代日本の意識構造―

(吉川弘文館、1998年12月、46判、237頁、2,600円+税)

-----------------------------------------------------------------------------

1

 本書は、「近年の歴史学の衰弱」の原因として、「「近代」の呪縛からいまだ解放されていないことと、全体史への視野の喪失とがある」と考える著者が、「「近代」の相対化と「全体史」への挑戦を試みた論稿」を選んで編集した意欲的な労作である。

 書名となった「差別の視線」については、「眼差しによる権力が差別をつくりだしていっている、あるいは差別を現象させている」という考えを前提にして、

(1)「文明とか国民国家の論理から生みだされる社会的規範の意思とか感情とか、感受性を肉体化した「視線」」という意味であり、

(2)国家や資本のイデオロギーに加えて、「「視線」には民衆自身が生みだす性格もきわめて濃厚」で、「民衆の生活のシステムが差別感をつくりだしていく問題も」あり、

(3)その「「視線」が被差別者につきささるとともに、被差別者自身にも内面化され」て、「自分自身をおとしめ、縛ってしまう」とともに、「植民地帝国になっていくころから」は、「自己救済をはかるための差別の序列化をはじめ、「被差別者間の序列化と相互対立」の社会現象も生じることが指摘されている。

 目次を紹介しよう。


-----------------------------------------------------------------------------

まえがき

「世直し」に見る民衆の世界像

日本近代社会の差別構造

明治期における「女のつくられる過程」

文化交流史とは何か

インタビュー 差別の視線と歴史学(聞き手・成田龍一)

-----------------------------------------------------------------------------

 本書の中心をなす論文は、史料集・日本近代思想体系22『差別の諸相』(岩波書店、1990年)の解説論文として書かれた「2 日本近代社会の差別構造」であり、本書全体の半分近い分量を占めている。また、「あとがき」に代わる末尾のインタビューは、著者の「年来の友人」成田龍一がその『差別の諸相』の編集意図などを尋ねたものである。したがって、この書評もこの両者を主要な対象とする。

 「差別現象を全体としてとらえる……歴史研究」をめざす著者は、「差別」の多様なあり方のために、差別の個別研究が全体史へと展開しがたいという事情に加えて、個別史の研究がその「特殊性」を強調しようとして「賎視の根源」が前近代の歴史に求められる傾向があるために、全体史への展望が困難になると指摘する。

 これに対して著者は、「社会的差別の最も基本的な問題は、被差別者の側に「差別」の原因があるのではなく、差別者の側に原因がある」のであるから、「差別者たちが正当とする社会秩序や制度……その秩序観や人間観」に「「差別」をつくりだす根源」を求めなければならないと主張する。

 旧来の差別研究では、「近世的な差別が、不徹底な近代化によって、封建遺制として残ってしまい、そこに、差別の原因があるという把握」に傾いていたが、著者は近代こそが問題だとして、その立場を、ひろたは「「近代」こそが差別を生みだす」「「近代」の論理が差別をつくる」「差別は、「近代」によって再編成されるというか、あらたな原理によって生みだされる」と主張する。評者は、近代社会の差別についてのここまでの著者の主張は当然の道筋であり、積極的に賛成である。


-----------------------------------------------------------------------------

 問題は、著者が差別を生みだすという「近代」「「近代」の論理」の内容が不分明であり、読者は、本書によって「近代」の呪縛から解放され、「近代」を相対化する筋道をはたして理解・把握することができるのかどうかについて、評者は不安を感じるのである。

 もちろん著者は、「近代の「人間平等」観念」が問題であるとして、その観念は「登場の当初から」特定の階層・性・人種に限定された自由平等と、普遍的な自由平等という「両義性」をもっていたことが問題であり、また、「近代社会というのは、差別からの解放の契機をつくりだしつつも、他方で差別を深化させる」という側面や事実を問題にしている。

 そして、「差別のない人類世界」の創造のためには、「近代社会のもつ固有の差別の根源をたち切り克服すること」が必要であると適切に指摘しているのであるが、ここでいう近代社会の「固有の差別の根源」がなんであるかが不明である。

 もちろん、日本近代社会の事実にそくして、著者はまた、

(1)「文明の名前によって野蛮を排除していく」こと、

(2)国民形成によって「国民という一見すると平等な統合のもとで差別が現れてくる」こと、

(3)天皇制の「万世一系の伝統性」を問題にしており、(1)では「文明度による序列化こそ、日本人の対外意識―西洋崇拝と東洋蔑視」を生み、「学問が決定的な重要性をもつと観念」される結果、無知無学の者が「同情のない蔑視」を受け、(2)では「日本国民とはとうてい言えない野蛮人がいて、これは一緒にできないということで差別」が生じ、(3)が華士族的な「血統的差別秩序への衝動を生」むことを指摘している。


-----------------------------------------------------------------------------

 以上の本書の「近代における差別の論理」が、成田龍一が評価するような「画期的な視点」かどうかは別として、明治前期日本社会の「差別の諸相」についての妥当なアプローチであることに異論はない。

 しかし、著者以上に「近代」の呪縛からの解放と世界史的な「全体史」への挑戦を期待する評者は、読者は以上の分析から、日本における「近代」の呪縛からの解放の具体的道筋を探りだせるだろうか、という強い不安を感じるのである。

 本書の差別からの解放の道筋をあえて単純化してみると、(3)から天皇制の廃止が必要というのは分かりやすい。しかし、(1)から「文明的諸価値」の廃止では意味不明であり、(2)から「国民国家」の廃棄が示唆されているが、(1)(2)とも、本書では何が問題であり、どういう解放への道筋があり得るかなどについて十分書かれていない。

 本書にいきなり解放への道筋を期待することの性急さを自覚しないわけではないが、本書自身も「近代社会のもつ固有の差別の根源」とか「一国史的な研究の限界」「「文化交流」という概念は、実現されるべき」概念などという魅力的な表現を随所に記述し、著書の帯にも「近代の相対化をめざす全体史の試み」と書かれているのである。

 世界史的な「近代の論理」を提示した仏人権宣言は「すべての市民は、……その能力にしたがい、かつその特性および才能以外の差別をのぞいて、平等にあらゆる公の位階、地位および職業に就任」できると規定し、本人の能力以外の人種・性別・社会的身分などによって差別されないこと、換言すれば、能力の違いによる区別・優先・排除などは差別でないと宣言した。

 この「能力主義」の原理こそその克服の道のりの展望は絶望的に困難であるが、近代社会の「固有の差別の根源」そのものではないのか。

 また、「近代」が一般に資本主義社会であることを考えると、マルクスが「ユダヤ人問題によせて」において、人間の自由と平等をたてまえとする私的所有の社会のもとでまさにその原理によって、必然的に人間の差別と敵対が惹起され、「人間のあらゆる奴隷制が生産にたいする労働者の関係のうちにふくまれ、かつあらゆる奴隷的関係がこの関係の変容と帰結にほかならない」と主張した問題を近代日本社会に即して問題にできないのか。

 さらに、コンドルセが「自分の才能を完成し、……能力を身につけ、生得の才能を十全に発達させるための便宜を各人に保障すること、またそれによって国民の間に平等を実際に樹立」するために、フランス革命議会に「教育の機会均等」原理にもとづく公教育計画を提案したが、資本主義社会における「教育の機会均等」原理は「不平等になる機会の平等」しか保障しないという問題を、福沢諭吉の教育論や「学制」以後の近代日本の学校教育制度に即して問題にできないのか。


-----------------------------------------------------------------------------

 評者の期待する考察すべき方向を勝手に示唆したところで、同じ福沢研究者としての具体的な疑問を書いておこう。著者は、福沢諭吉が「合理主義者であったので、神権的あるいは仁君的な天皇像には批判的」であったとして、「聖明の天子、賢良の臣、難有御代、楽き政府などとは、元来何物を指して云ふことなるや。偽に非ずして何ぞや。……」という彼の「覚書」を引用したうえで、しかし福沢は『文明論之概略』で「血統」を保持する天皇の存在を肯定した、と記述している。

 この記述は、福沢が同じ「覚書」に「日本の人心は、正に国王の聖徳を信じ、相将の賢才を信じ、……、親方を信ずる時代なり」と書いている事実を無視している。

 これは見落としというより、著者の日本「近代の相対化」の姿勢の不徹底の問題でないのか。福沢が「合理主義者」であるという意味は、神権的天皇制の欺瞞を充分承知しながら、「日本の人心」に即してむしろそれを選択したことに求めるべきであり(「愚民を篭絡する一欺術」)、天皇の神権性などに「批判的」であったことに合理性を求めるようでは福沢にたぶらかされたことになり、そんなやわな姿勢では、日本「近代の相対化」を望むことはできない。

 関連して『差別の視線』での福沢の位置づけへの不満を書くと、「西洋崇拝と東洋蔑視」の日本人の対外意識を問題にするなら、福沢が日清戦争より十年以上前の壬午軍乱・甲申事変の時以来、朝鮮人・中国人に対する蔑視・偏見・マイナス評価を垂れ流し、天皇の海外出陣まで呼号し、日清戦争になると「チャンチャン」呼ばわりまで始め、出陣兵士に「北京中の金銀財宝を掻き浚へて、彼の官民の別なく、余さず……チャンチャンの着替までも引っ剥で持帰ることこそ願はし」と、アジア太平洋戦争期の「三光作戦」の勧めまでした事実に論及すべきである。日本「近代の相対化」は、丸山真男らによって美化された福沢の徹底的な見直しなしには始まらないというのが評者の立場である。