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書 評
 
評者岩井健次
部落解放研究126号掲載

藤野豊著

日本ファシズムと優生思想

(かもがわ出版、1998年4月15日、46版、527頁、6,800円+税)

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はじめに

 生物学や医学の急速な発達がさまざまな問題を引き起こしてきている。とりわけ臓器移植にともなう脳死問題、延命技術の発達による安楽死・尊厳死の問題、遺伝子操作や生殖操作にともなう安易な生命操作の問題をあげることができる。

 脳死をもって人の死とすることになって1年が経過した。一方で移植に必要な臓器を長時間維持するのに有効な循環機能長期維持療法が報告されており、他方で、脳死患者が脳低温療法により意識を回復したという効果が報告されている。

 今のところ脳死移植を実施したという報告はないが、人工臓器が開発されるまで「移植や脳死に値する人間」と「移植や脳死に値しない人間」という選別が避けられないだろう。

 また、羊水検査や絨毛検査さらには受精卵の遺伝子検査などによる出産前検診で百数種類の疾患を診断できるようになっているが、今後さらに早期にかつ正確に障害児でないかどうかを診断できるようになるであろう。

 これまで障害児と診断された場合、中絶する傾向があったが遺伝子レベルでの診断が進むにつれ「出産に値する生命」と「出産に値しない生命」といった問題が生じないとはいえない。

 すでにクローン羊や牛は実用段階に入っているが、やがて「クローン人間」をという声が起こるかも知れない。早死にした子どものクローンを欲しいという要求、自分と同じクローンを残すといった要求、さらに臓器移植のためにクローンを作っておくという要求が近い将来起こらないとはいえない。その場合にも、同様に「価値あるクローン人間」と「価値のないクローン人間」といった問題が生じるであろう。

 このような「存在に値する生命」と「存在に値しない生命」といった生命の選別や序列化が生じる危険な現状に対して、本書は警鐘を鳴らすものといえよう。


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1 本書の概要

 本書は1〜6章と終章および3編の補論からなっており、(1)1920年代までの優生思想をめぐる論議がファシズム期に現実化される過程を明らかにすること、(2)優生思想を「断種法」「国民優生法」に限らず、ファシズム期の医療・衛生政策および人口政策全体のなかで検討していくこと、(3)「優生保護法」として戦後にも、優生思想が継承されたことの意味を検討することを目的としている。

 藤野によれば優生思想は日本ファシズム特有のものではなく、「文明開化」とともに輸入され、欧米列強との生存競争に勝ち残るための「人種改良論」が知識人に広がる中で、優生思想を受け入れる土壌が形成された。福沢諭吉は欧米人との雑婚による「人種改良論」を唱えたが、日本人間で遺伝に注意して配偶者を選ぶことで「人種改良論」が可能であるとするへルツの思想が広く支持されるようになった(補論(1)「近代日本と優生思想」)。

 被差別部落には遺伝的に心身に異常があるという偏見が広く流布しており、旧賎民と平民との通婚によって遺伝病が広がると考えられた。(補論(2)「部落問題と優生思想」)こうした偏見は日清・日露戦争後に一層流布されていった。

 また、日露戦争後に優生思想の論議が本格化し、第1次世界大戦期に日本民族の質的向上が具体的に論じられるようになった。この時期、優生思想に関して積極的な発言をしたものとして永井潜および氏原佐蔵があげられている。

 永井は外科手術により犯罪者などの悪質者を生殖不能にすること、性病患者を排除するため、国家の許可に基づく結婚を提唱している。(第1章「第1次世界大戦と優生思想」)また、廃娼運動・婦人運動などの社会運動からも優生思想への共鳴がみられるようになった(補論(3)「近代日本のキリスト教と優生思想」)。


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 その後、1920年代後半になると日本優生運動協会を設立した池田林儀や日本優生学会を設立した後藤龍吉が優生運動を広く民衆のレベルにまで拡大するのに大きな役割を果たした。

 池田は優生者の結婚率を増加するという建設的運動と劣生者の結婚率を減少するという制限的運動の2つの側面から結婚の改造に重きを置いていたが、やがて強制的外科手術の必要性も考えるようになっていた。

 この優生運動は優生思想の世論を喚起することに一定の成果をあげ、内閣直属の人口食糧問題調査会(1927年)の活動やそれまで優生政策には消極的であった内務省衛生局に影響を与えた。

 その後池田や後藤は1930年に設立された日本民族衛生学会の理事として優生運動を進めていく。この頃に日本医師会は悪質な遺伝病、低能者、変質者、常習犯罪者にたいしては断種することを認め、日本赤十字社は「衛生展覧会」「民族衛生展覧会」を通して優生思想の普及に乗りだし、日本民族衛生学会が設立されるなど優生思想を受け入れる世論が成立した(第2章「優生運動の展開」・第3章「人口問題と優生政策」)。

 また日本民族衛生学会は優生思想を広げ、優生政策を進める上で優生学的に「アイヌ民族」を劣等民族と規定し「滅ぶべき民族」として流布するために偏った調査を実施した(第5章「アイヌ民族と優生思想」)。

 その後、ナチスの「遺伝性疾患子孫防止法(断種法)」に刺激され、日本でも断種法の論議が盛んになり、1935〜1937年にかけて帝国議会に断種法案が提出され続けるようになった。

 しかし、審議未了で成立しなかった(第4章「ナチズムへの憧憬と警戒」)。やがて、盧溝橋事件を契機に日本が全面的な帝国主義侵略戦争を開始するようになり、国内では国家総動員法を公布、大政翼賛会の結成によりファシズムが完成した。

 そして日中戦争の長期化と占領地を維持するための人的資源が必要となってくるなかで、厚生省が新設され、人的資源として利用できない病者や障害者の断種を可能にする国民優生法が1940年に公布された。

  ただし、ハンセン氏病は、除外されていたが実際には継続されていた。また、健兵を増殖するために国民体力法も公布された。そして人的資源という観点から被差別部落の人びとの健康問題が論議されるようになった(第6章「ファシズム体制下の優生思想」)。

 1945年、第2次世界大戦後、ファシズムの崩壊と民主化の改革が進められたが、「国民優生法」は1948年、戦後の経済混乱の中で人口抑制を目的として、その根幹となる優生思想を残したまま「優生保護法」として生き残った。そして、優生保護法は改正を重ねる度に、断種の対象を拡大してきた(終章「戦後民主主義下の優生思想」)。


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2 障害者の人権との関連

 本書を通して優生思想の流れを極めて大雑把に見てきた。この後には、1996年、多くの批判が寄せられていた「優生保護法」が改正され「母体保護法」が公布されたと続くことになろう。

 周知のように「優生保護法」の第1条、目的は「この法律は優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」と規定され、その対象者として遺伝性精神病質、遺伝性身体疾患、遺伝性奇形、らい疾患など障害者を対象とするものであった。まさに、障害者は「存在してはならないもの」、生きる資格のないものと見られていた。

 障害者はファシズム期においては健兵として、ファシズムが崩壊しても生産者としては役立たないものと見なされていた。そして現在、優生保護法は廃止されたが、医学・生物学の発達に伴い病者・障害者の生命が否定される危機にある。

 安楽死問題や脳死問題とも共通するが、出生前検診によって障害児の生命が否定される根底には、「障害をもって生きることは本人にとって不幸」であり、「社会にとっても負担」であるという理由が考えられる。

 しかしながら、障害がなくても不幸な人はおり、障害があっても幸せな人がいるのであり、障害によって幸不幸が決まるものではない。つまり、障害のない「健常者」が幸せになれるという思い上がりがある社会、障害のため行動や労働が制限されるから不幸だとみる社会が障害者を不幸にしているのである。

 ヘレン・ケラーをはじめ多くの障害者が「障害は不自由ではあるが不幸ではない。障害者を不幸にしているのは社会である」といっているように、行動力や労働力に人間の価値を置く社会が不幸にしているのである。

 そういった社会においては「健常者」と比較して行動力や労働力が劣る障害者は社会の負担となるのである。こういった比較の社会では、「健常者」の中にあっても少しでも行動力や労働力の劣る人や老人は社会の負担と考えられる危険がある。全員がクローン人間のように全く同じものでない限り、常に誰かが社会の負担としてはじき出されることになろう。

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 以上のようにみてくると、「障害をもって生きるのは本人にとって不幸」という見方も「社会にとって負担」だとする見方も間違っているばかりでなく、危険な立場でもあるといえる。

 本書は500頁におよぶ大書であり、各章とも豊富な資料・文献に基づいて論証されている。しかし、終章では「断種数」と「人工中絶数」の変遷を示しながらも、人工中絶数と医学や生物学(出生前検診)の発達との関連を視野に入れていない点に物足りなさを感じる。そのためか優生思想によって「存在に値しない」と差別され続けた病者・障害者の生(命)に関してほとんど触れられていないのが残念である。

 そこで、著者の視線を通して最近の生物学や医学の発達と障害者問題を見ていくことで書評とした。医療関係者とともに障害児教育に関わる人も一読することで日々の障害児との関係に新しい視点が見えてくるであろう。