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1 はじめに
松下さんは、本誌の第118号(1997年10月)と第120号(1998年2月)の2号にわたって「大阪における同和教育の到達点と課題」を発表している。その内容は、1965年から1994年にかけての30年間に、同和教育実践として発表されたレポート約400本を分析したものであった。
いわば大阪の同和教育実践の時代的な流れを受けとめながら、その特徴をおさえて一定の総括を試みたものとなっている。本書はこうした研究の蓄積をふまえ、同和教育運動が積み重ねてきた成果とは何か、また同和教育実践が「転換期」を迎えているという時期に、お互いに共有すべき課題とは何かをまとめたものといってよい。
松下さんは教育現場に身を置きながら、大学院修士課程に進学した機会をとらえて、自らの教育実践の意義と問題点を整理するとともに、これからの向かうべき方向性と同和教育実践から発信すべきものを明らかにしようとした。
「問題意識と課題」の中で、第1にこれまで同和教育実践が大切にしてきた「自分の生活をみつめ、語り、仲間とつながる」ことの積極的な意味づけを行おうとしていること、第2に同和教育に関する理論的研究の不十分さを少しでも埋めたいという意欲に満ちたものとなっている。
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2 実践をもとに理論的な整理をめざす
本書の特徴の1つは、小学校教育の現場経験の豊富な松下さんが、これまで理論的な先行研究が乏しいなかで、同和教育運動の遺産と教訓を確認しつつ、整理と位置づけを試みていることである。
とりわけ自分が出会ったさまざまな課題をもった子どもたちの具体的な姿を通して提起しているだけに説得力がある。このことは、実際に同和教育実践に取り組み、悩んでいる教師の励ましになるであろう。また本書に紹介されている豊富な事例の数々は、現場教師たちに自分のクラスの子どもにも共通する身近なものであり、共感を呼ぶことになるに違いない。
第2の特徴は、国内外の心理学に関する先行研究に学びながら、課題を背負った子どもの自立を励ますために、社会心理学、行動心理学、教育心理学などの心理学的アプローチを重視していることである。とりわけ教師のカウンセリング機能の大切さにも注目している。
松下さんが指摘するように、同和教育運動と心理学的アプローチとは「相いれない歴史」にあったといえなくもない。部落問題を社会構造としてとらえる見方からすれば、「個人の心のあり方」とする心理学的な見方を回避しようとする人びとが多かったことも事実であろう。
私が「いえなくもない」と表現したのは、たしかに心理学発想から距離を置いていたにしても、子どもの気持ちをくみ取り、「足で稼ぐ」ことをめざした教師たちが、被差別の子どもや保護者たちに寄り添い、話し合いをなによりも大切にしたなかに、無意識ではあるが、実質的にはカウンセリング機能を担っていたと解釈できるからである。
松下さんが心理学的アプローチを重視した背景には、ともすれば限られた範囲で受けとめられがちな同和教育実践を、被差別部落を含まない学校などで、ひろく共通課題にする可能性を見いだそうとしたからでもあった。
第3の特徴は、これまでの同和教育実践の成果のとらえ直しを試みていることである。同和教育が大切にしてきた「集団主義」にしても、当初は集団としての組織力を重視する立場から「集団づくり」と呼んだり、「仲間づくり」と呼んだりして、なし崩しに変わってきているではないかと指摘する。現在ではお互いの「思いを共有する」ことを重視する結果、「人間関係づくり」というべきではないかという。
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3 「みつめる」「語る」「つながる」を三位一体とし、アイデンティティの確立へ
松下さんは、これまでの同和教育実践の成果として、「みつめる」「語る」「つながる」という3つに重点を置いている。「みつめる」とは「生活をみつめる」「差別の現実をみつめる」「親の労働・生い立ちをみつめる」などを通して、自分との関係性をとらえ、かつ心情的な側面を育てることを意味することから、心理学用語としての「自己洞察」と位置づける。
「語る」とは「生活を語る」「自分の立場を語る」「つらいことを語る」ことであり、他者との関係性における「自己開示」を意味する。「つながる」とは「仲間づくり」でもあり、「仲間とつながる」「思いでつながる」ことから「人間関係づくり」と位置づけている。
「自己洞察」「自己開示」「人間関係づくり」という概念を用いながら理論的な整理をすすめ、しかも、この3つは子どものアイデンティティの確立にあたって密接に絡み合い、三位一体になって子どもの心理学的発達を促すことを論じた。
「自己洞察」にしても、自己の内面化のみに傾斜するという立場ではなく、歴史、社会、文化と個人との関わりを重視するエリクソンの業績をふまえている。
「自己洞察」を促す教育の営みとして、教師によるカウンセリング機能と教科学習や人権学習などの学習機能の2つがあり、後者の方法論として生活綴り方、聞き取り、フィールドワークなどをあげている。とりわけ聞き取りの大切さをあげ、それを受けとめる子どもの側の条件づくりをぬきにあり得ないことを力説する。
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「自己開示」では、「語る」ことと「綴ること」を峻別し、他者との関係性について成立する「語る」ことの意味を重視する。子どもの主体性を軽視し、形式のみが先行する「自己開示」が、子どもの心を深く傷つけるだけになってしまう危険性があるという指摘も間違いない。
「語る」という作風が、同和教育運動の中で一定の影響力をもった事実を受け、とくに兵庫を中心に作り上げられた作風が、大阪をはじめ各地の同和教育運動に影響を与えた。
「語る」ことの意味を取り違え、子どもたちの主体性を無視する傾向にあったのではないか、教師の自己満足に終わっていたのではなかったか、と自らの自己批判を踏まえながら指摘していることは誠実である。
そうした傾向が見られたのは、被差別の生徒たちの身を切るような思いで立ち上がった兵庫の高校生たちの闘いの意味を抜きに、安易に「語らせる」という形だけを模した結果ではあるまいか。
仮に「語る」ことの総括をするとすれば、1969年はじまった兵庫県下の独自の高校「一斉糾弾」闘争(資料、『問われているもの』明治図書、1972年など)の意味とその後の経過を掘り下げることを抜きにあり得ないだろう。
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そのほか松下さんは、各地の調査で取りあげられているセルフエスティーム(自己肯定感)の大切さを、子どものアイデンティティの確立に結び付けて論じている。
自らの経験と理論的整理から「学業達成が自己概念に影響を与えるのではなく、重要な他者からの評価を媒介にしている」「子どもたちのアイデンティティの確立にむけては、学業の能力以上に、この人間関係の能力、スキルをどれだけ身につけているかということが大きく関わってくる」こと、とくに子どもの主体性を無視し、教師が求める「子ども像」を押しつけることが、逆に子どもを追いつめ、アイデンティティ形成の障害になっていると指摘している点などを私達は受けとめなければなるまい。
この本は、「綴る」ことへの評価についての言及などで、いささか断定的なところ(綴ることについて松下さんは「あくまでも自分自身をみつめるために行う自己目的的なもの」としているが、必らずしもそれだけではない)が気になるが、自ら出会った子どもたちの実態に即しながら、その経験と理論的整理を結び付けた意欲的な作品である。現場から提起された同和教育実践の理論的研究の一つとして、高く評価したい。