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書 評
 
評者古久保 さくら
部落解放研究142号掲載

佐野陽子・嶋根政充・志野澄人編

ジェンダー・マネジメント
:21世紀型男女共創企業に向けて

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 「ジェンダー・マネジメント」という耳慣れないタイトルをもつ本著は、若手から熟年まで各年代の12名の人的資源・労働経済分野の研究者による共著である。新しいことばであるジェンダー・マネジメントとは、企業においてジェンダーにもとづく摩擦がいかに生じ、それをいかに御し、管理するのかという問題群を意味する。

 通常社会的性差と訳されることの多いジェンダーという問題を、ジェンダーという分割線で男性と女性に分けられることによって生じるさまざまな社会的制約・不平等の問題と認識していた評者にとって、そしてまた、ジェンダーの社会的形成において企業の役割あるいは資本制の役割を大きいものと捉える立場をとる評者にとって、「これからの企業経営・組織運営に役に立つことを目指す」本著の立場は、少々当惑するものであったことをまず最初に告白しなければならないだろう。経営学の専門家ではないフェミニズムに与する評者による書評はかなり偏った立場からのものとならざるを得ない。

 本著の構成は以下の通りである。

第1章 日本のジェンダーレス企業

第2章 男女の就職と初期キャリアの形成

第3章 女性にとっての日本型経営

第4章 日本型雇用システムの変革を導き出す

第5章 ファミリーフレンドリー企業と男女の雇用機会均等

第6章 アメリカ企業のセクハラ対策

第7章 学生の就業意識にみるハイブリッド化するジェンダー

第8章 女性企業化のマネジメント

第9章 コース別雇用管理とジェンダー

第10章 人材の流動化と男女のキャリア

第11章 再雇用制度は使命を終えたのか?

第12章 経営組織におけるジェンダー問題

 また、第1部「ジェンダーと企業の現在」と第2部「現代経営と女性のキャリア形成」に分けられており、その中に各6本ずつの論文が収録されている。さらに、各部の最後にスタディという特別な章を設け、男性ジェンダーに着目した人材マーケティングのあり方や女性の企業内キャリアを支えるメンターシステムが論じられている。

 本著は、12名の著者による論文集であり、必ずしも統一した主張があるわけではないが、議論の立て方には共通したものがあるように思われる。

 各章において、企業社会のなかで女性が直面する問題はさまざまな角度から具体的に明らかにされている。(男性の問題も第7章や第1部のスタディにおいては議論されているのであるが。)たとえば、就職時における差別的対応の問題、セクハラ問題、キャリア達成しにくいシステムの問題、不十分な再雇用システムの問題などである。

 評者が本著において最も勉強になったのは、キャリア形成あるいは能力開発において、非公式な人間関係のサポートが重要であるという指摘であった。たとえば、第2章においては、就職直後の労働現場での周囲からの期待が、やる気を引き起こし、将来的展望をもって仕事をし続けることにより、能力開発がすすむことが明らかにされている。また、第2部のスタディにおいては、女性特有のストレスを共有しアドバイスしてくれる女性メンター(支援者)の重要性が指摘されるとともに、仕事を進めるうえで必要な情報を獲得し、男性社会とのパイプ役を担ってくれる男性メンターを獲得できるか否かが、将来的なキャリア達成に対して与える影響が極めて大きいことが論じられているのである。

 能力とは、「個人」の努力の成果ではあるが、同時に個人的努力だけで自己貫徹的に開発しうるものではなく、他者とのかかわりの中で開発されていくものであることを明確に示したことは、能力がないから女性を登用しないという企業文化に対し、むしろ能力を開発するために、開発できる環境を整えるという責任が企業側にあるとして、企業側のいっそうの努力を期待する根拠となるであろう。

 さて、本著において特徴的なことは、このような企業内における女性の直面する問題の解決は、人権意識の高揚や社会正義の観点から必要とされるだけではなく、なによりも企業経営上のメリットがあると主張する点である。ただし、各論文において、女性の地位改善への意欲と企業経営にとってのメリットの強調とのバランスのとり方には若干の差異があるように見受けられる。

 ここでは企業経営上のメリットを強調する第1章の佐野陽子「日本のジェンダーレス企業」の論文をとりあげたい。佐野の本論文では「リクルート社ではなぜ女性が輝いているのか」という副題にあるように、1998年度に朝日新聞文化財団から「女性が働きやすい」賞を受賞したリクルート社の、ジェンダーレス・マネジメントのあり方を紹介している。佐野は、その中でリクルート社の人事担当者の、後発企業であるゆえに優秀な男子学生が採用応募してこなかった状況の中で優秀な女子学生に着目したという弁を紹介している。このようなジェンダーレスな(現実には採用は男女半々程度になるように調整されている)採用のうえに、リクルート社の社風である企業外労働市場でも通用するエンプロイアビリティ(雇われる能力=労働市場における優位性)を高めようとするキャリア形成支援策の男女格差のない適用がなされた結果、女性の管理職登用の道がひらけ、女性労働者の積極的な労働意欲が引き出されたというのである。高い労働意欲は企業収益にプラスに作用することは間違いがない。ゆえに、このリクルートの事例は、女性は早期退職する傾向が統計的に高いので女性は採用しないとする「統計的差別」を企業戦略として選択しなかったゆえに、「女性が差別されて男性より低賃金であれば、女性を雇う企業はコストが安くてすむ」というメリットを最大に享受しているすぐれたジェンダー・マネジメントの事例だというのである。佐野は、それゆえに、企業が不合理な差別をすることは経済不合理であると主張する。

 しかし、この議論を読むとき、評者はアンビバレントな思いにかられる。はたしてこのような企業による「経済合理性」の追求は、「女性」にとってはメリットがあるであろうか。

 ここで評者は、黒人フェミニストであるベル・フックスの「傷」という概念を思い出さないわけにはいかない。ベル・フックスは成功した黒人がいることをもって人種差別はなくなったとする主張に対し、反論する。成功した黒人は、差別に基づいてめったに与えられないチャンスを獲得し成果をあげるために、過剰なほどの勤勉さをもって努力し続け、そしてまた成功しなかった=「怠け者」の黒人を差別するが、その差別的な社会規範への過剰な適応こそが、成功した黒人の受けている人種差別の「傷」のたまものなのである、と。

 日本の労働市場において、女性の能力開発に積極的な企業に所属する女性たちが、男性と同等という「恵まれた」チャンスをまえに、裁量権の大きい仕事を任されたときに男性以上の意欲をもって仕事をすることは、まさしく「傷」の賜物ではないのだろうか。もちろん本人は「女性全体の利益のために」と思っているわけではあるまい。むしろ、ジェンダーから自由になった「個人」としての能力・業績による評価を求めているのであろう。それにしても、冷徹な現状判断―女性にとっては非常に「恵まれた」状況という認識―が、いっそうの労働意欲を高めることは十分考えられる。これこそが、企業経営にとっては(たとえ佐野のいうように差別的賃金に基づかずとも)、有能な女性を活用するメリットであるが、同時にそれは、過重な負担を女性に負わせることになるだろう。

 このように考えたとき、「女性が輝いている」企業戦略の経済合理性を主張し、女性の活用を求めるだけでは企業社会におけるジェンダーの問題は解決しないのではないか、という危惧を感じざるを得ない。

 しかしもう一方で、アンビバレントにも、こうも考えるのである。経営メリットを追求しながら女性の労働市場へのコア部分への参入を称揚することが、結果的に女性基幹労働者の量的な拡大をまねくとすれば、それは新たなる労働文化の展開を予感させるのではないか、と。第5章で論じられているように、女性基幹労働力の量的拡大は、必然的にファミリー・フレンドリーな企業文化を必要とすることになるからである。

 労働市場のコア部分への女性の参入をめぐっては、フェミニズムの中でも1990年代以降、議論のあったところであり、むしろ現実が議論よりも先に進展しているようにも見受けられる。本著においても指摘されている通り、現実の進展が、「統計的差別」の根拠を掘り崩しつつあることを考えるとき、女性労働力利用の経済合理性を主張することは、そのことの危険性を認識してもなお、ジェンダーという社会的制約を変容させるためには必要なことと判断せざるを得ない。

 その意味で、本著は多くの人に読まれて欲しい著書であると考える。