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書 評
 
評者内田雄造
部落解放研究136号掲載

部落解放・人権研究所編

人権のまちづくり
―参加・交流・パートナーシップ

(解放出版社、2000年6月、A5判、222頁、2,200円+税)

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今年に入ってから、部落のまちづくり、アメリカのスラムや荒廃地区(これらは一般にマイノリティの居住地区である)のまちづくりを扱った本が相ついで刊行された。前者は部落解放・人権研究所編『人権のまちづくり―参加・交流・パートナーシップ』(解放出版社)であり、部落のまちづくりの事例報告とまちづくり論が収録されている。

後者は反差別国際運動日本委員会『アメリカの人権まちづくり―地域住民のチャレンジ』(解放出版社)で、アメリカのスラムや荒廃地区におけるコミュニティ デベロップメント コーポレイション(CDC)によるまちづくりの紹介がなされている。この2冊に、発展途上国の低所得者階層居住地のまちづくりを扱った、ホルヘ・アンソレーナ、伊従直子共著『スラムの環境・開発・生活誌』(1992年 明石書店)と穂坂光彦著『アジアの街 わたしの住まい』(1994年 明石書店)を加えると1990年代以降のまちづくりの全体像をおおよそつかむことができると思われる。

 そして近年におけるまちづくりの世界的な動向の中で、『人権のまちづくり―参加・交流・パートナーシップ』を改めて読み直すと、部落のまちづくりが大きく変容しつつあることが実感される。私は急速に変わりつつある部落のまちづくりの特徴として、第1にまちづくりのテーマ、スタイルが90年以前のそれと比べ大きく変化したこと、第2にアメリカのマイノリティの居住地区やアジアの大都市における低所得者階層居住地のまちづくりと、ほぼ同一のテーマとスタイルのまちづくりが展開されており、部落のまちづくりが国際的な潮流の一翼を担っていること、をあげたいと思う(ただし、この書評では第一の特徴に限定して論を展開する)。


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 私は、道路や港湾といったインフラストラクチャーの整備に特化し、産業基盤の整備を優先し、お上の手になる都市計画を批判し、それに対置して、住環境整備を中心に、福祉などソフトな分野をも重視し、住民参加を保障するものとしてのまちづくりを提唱してきた。都市計画の分野では、今日でもまちづくりはこのような意味合いで使用されている。

 一方、国際的に見れば、もう一つ別の流れとして、コミュニティ デベロップメントという概念が使用されている。これは20世紀初頭の、イギリスやアメリカの都市スラムの改善運動として展開されたセツルメント運動の流れをひくもので、コミュニティの総合開発を意味する。20世紀後半、国連を舞台に開発途上国の農漁村地区の開発に多用された概念であり、時とともにその内容に若干の変化はあるが、コミュニティの組織化(今日では住民の主体的な参加)、仕事づくり、家族計画、教育計画、公衆衛生、住宅建設など、まさにコミュニティの総合的な開発を意味している。

 私は1970年代の後半から展開された「部落解放地区総合計画」や、今日提唱されている「人権のまちづくり」は、大きくは部落を対象とするコミュニティ デベロップメントを運動として展開することと理解している。そして、この部落の運動としてのコミュニティ デベロップメントに触発され交流を重ねる中で、都市計画の分野でもまちづくりが大きく伸展してきたといえよう。


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 本書に収録されているまちづくり事例も、コミュニティ デベロップメントの色彩の濃いものから、物的なまちづくりといえるものまで、幅広く分布しているが、その中に共通する時代の精神を感じ取ることができる。

 ところで、コミュニティ デベロップメントとしての部落のまちづくり、とくに同和地区のまちづくりには、大きな2つのピークが存在する。そして、今日は、2つめのピークを迎えつつある状況と私は考えている。

 1つは1970年代の後半から80年代にかけて多くの同和地区で大々的に展開された「部落解放地区総合計画」(「総計」と略称された)である。1965年の同和対策審議会の答申の後、解放同盟は部落解放基本法の性格を併せもった事業法の制定と、国による部落解放総合計画策定(そのモデルは戦前の融和事業完成10ヵ年計画)を要求した。国は基本法の要求には答えず、1969年に同和対策事業特別措置法を制定し、また同和対策長期計画は事業内容を列挙したものにすぎず、計画の体をなしていなかった。これに対し、解放同盟は、地区毎の総計の策定を対置し、大阪ではこれらの総計の多くは70年代後半に策定され、80年代から90年代の前半にかけて事業化が図られてきたといえよう。

 しかし、90年代になると、どの地区でもかつての総計をそのまま事業化することへの見直しをせまられ、さらに形式はともかく実質的には総計自体が再検討されることとなった。その代表的な事例が西成地区街づくり委員会によって1997年に策定された「未来に輝く人間都市−西成のまちづくり」であろう。その背景にはバブル経済が破綻し、同和地区への公共投資が抑制されさらには削減されたこと、公共住宅に応能応益家賃制度が導入され、公共住宅を軸とした総計では不十分となったことなど外的要因もあるが、一方で生活水準の向上に伴い住民の要求も多様化し、低水準な公共住宅への入居忌避や中堅所得層の地区外転出も目立っており、明らかに計画の見直しが必要とされた。

同時に、公共住宅の建て替え、地区の高齢者への福祉サービス提供など新しい課題も増えていた。そして、解放運動自体が第3期を迎え、かつての格差論にもとづく行政(への要求)闘争中心のまちづくりから、多様な生活要求に対応した自立支援と自前の計画・事業、周辺地区と一体のまちづくり、部落の伝統文化の再評価などの新しい内容がまちづくりに求められてきているといえよう。

 そしてあえて誤解を恐れずに述べると、かつての「部落解放地区総合計画」はつくらねばならない計画であり、実現せねばならない事業であったのに対し、今日のまちづくりでは、まちづくり自体を楽しむことにアクセントが置かれているといえようか。


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 日本の都市計画において、木造住宅が密集する既成市街地のまちづくりは最大のテーマであり、同和地区のまちづくりはその先進事例であると私は主張してきた。70年代後半からの部落解放地区総合計画における、運動としての環境整備、きめ細やかな住民参加、総合計画の一環としての環境整備、特別措置法による住民負担や自治体財政の負担軽減措置、小集落地区改良事業に代表される柔軟な事業手法を大いに評価してきた。今もこの主張・評価は変わらないが、90年代の人権のまちづくりは、明らかに内容的に一段とレベルアップしたといえよう。

 90年代以降のまちづくりでは、まちや住まいをつくる楽しさが強調され、さまざまな参加のまちづくりが試みられている。一方で、部落の伝統をふまえて、集まって住む楽しさがうたわれている。高齢者福祉が重視され、住みつづけられるまちづくりがテーマとされている。また、周辺地区と一体となった校区まちづくりとともに行政との関係ではパートナーシップのまちづくりが追求されている。多様な生活要求に対応した自立支援施策と自前の計画・事業の展開も目を見張るものがある。

 私たち都市計画の分野でまちづくりを主張してきた者にとっても、この部落のまちづくりの変容は驚きであり、その意味するものは極めて魅力的である。私たちの分野のまちづくりも今後急速に変化・発展していくものと思われるが、部落のまちづくりはその方向を指し示すものといえよう。

 部落のアイデンティティの希薄化、コミュニティとしての部落の弱体化、青年層の解放運動離れと、部落解放運動をめぐる状況のきびしさはさまざまな分野で指摘されており、私もそれを否定する者ではない。しかし同時に、本書に掲載されているさまざまなまちづくりの中に、私自身新しい時代の息吹きを感じたことも事実である。本書にとりあげられた事例を踏まえ、おのおのの部落で内容豊かなまちづくりが展開されることを心から期待したい。