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書 評
 
評者野口道彦

部落解放研究135号掲載

橘木俊詔著

日本の経済格差

(岩波書店、1998年11月、新書判、212頁、660円+税)

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 今、日本では階層的な不平等が拡大しているのだろうか。バブル経済が崩壊してから長期的な不況にみまわれ、企業の倒産が続出している。中小零細企業だけでなく、これまで大丈夫と見られていた銀行、保険会社、証券会社、百貨店など大手企業が解体に追い込まれている。完全失業率は、2000年3月についに4.9%に達した。

 戦後55年間、かって経験したことのない高水準である。街を歩けば、たくさんの野宿生活者に出会う。公園や河川敷、高架下の青テントの数は、増え続けている。大阪市立大学の行った1988年夏の調査では、野宿者は大阪市内だけで8,660人が確認されたが、2年後の今日では、その数は、どう控えめに見積もっても、1万人は確実に超えているだろう。

 これらの事態から、現在日本では、階層的な不平等が着実に進行しているだろうと直感的に受けとめることができる。しかし、この動向は短期的なものなのだろうか、それとも構造的なものなのだろうか。日本は、これからどのような方向に進もうとしているのだろうか。

 このような疑問に答えるのが、橘木俊詔『日本の経済格差』である。彼は、日本で素朴に信じられていた平等神話――日本の社会は欧米に比べて所得配分では平等性が高く、貧富の差も大きくはないという神話――は崩れつつあるとみる。あるいは、「分野によっては平等の事実まで既に崩れてしまった」とみる。この問題意識から日本社会の不平等化を明らかにしている。

 構成は、「第1章 平等神話は続いているか」、「第2章 戦後の日本経済社会の軌跡―分配問題を通して」、「第3章 不平等化の要因を所得の構成要素から見る」、「第4章 資産分配の不平等化と遺産」、「第5章 不平等は拡大していくのか―制度改革」となっている。

 橘木俊詔は、不平等性を所得配分と資産配分に分けて、それぞれについて検討している。不平等性を示すジニ係数をつかって所得分配を検討した結果、明らかになったことは、(1)この10年間(1980―93年)に急速に不平等度が高まっていること、(2)先進諸国の中で最も不平等度が高いことである。日本はアメリカ以上に不平等であると指摘している。この点は、驚くべき指摘である。課税前の所得で比較したにせよ、アメリカでは、数億円の報酬を得ている社長もめずらしくないという事実からは、にわかに信じがたい。これについては、反論も多くでている。


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 一方、資産分配においては、(1)他の先進資本主義国と比べて日本の不平等の程度は低いものの、(2)バブル経済によって、資産配分が極端に不平等化したこと、(3)バブル崩壊後も、ややおさまったものの依然として不平等化は持続的に進行していることを明らかにしている。また、資産配分の分析で、帰属家賃という要素を導入して考察している。この本の白眉は、所得の再分配過程に注目した分析である。

 所得の再分配は、租税、社会保険料、社会保険給付(公的年金、医療給付など)、社会保障給付(生活保護費、児童手当など)によって行われているが、その再配分効果を分析し、(1)再分配前の所得分配は、年々不平等化している、(2)租税と社会保障をあわせた再配分効果は年々強くなっている、(3)しかし、再配分前所得に関する不平等度の増加率が相当高い、(4)その結果、再配分後所得の不平等度を緩和できていない、(5)平等化するためには、「現在採用されている再配分政策よりももっと強い政策を租税と社会保障にもたせる必要がある」、(6)あるいは、「現在の再配分政策を保持するなら、再配分前の所得分配を今の水準からもっと平等化に向かわせる必要がある」とした。このような動向を踏まえて、どのような政策をとるのが望ましいのか。橘木俊詔は自らの価値判断を明確にしたうえで、政策的提言を行っている点が、この本の面白いところである。


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 彼は、ロールズの公正理論を高く評価している。ロールズの公正理論というのは、(1)自由の優位性の原理:すべての人は広範囲の自由に対して平等な権利をもつ、(2)マクシミニマム原理:世の中には不平等は存在するが、最も不遇な人の利益を最大にすることが政策の目標になるというものである。

 他方、昨今のエコノミストの間では、規制緩和論が花盛りである。アメリカのレーガン、ブッシュの共和党政権、サッチャー政権が、公平性を犠牲にして、経済効率化をはかり、景気の回復をもたらした。日本でもそれにみならって、経済の効率化を図るべきだという論調が勢いをもっている。規制緩和、市場原理による自由な競争、所得の累進性を見直し、高所得者優遇の税制にし、活性化をはかるべきで、公平性が犠牲になるのもやむをえないとする意見である。

 橘木俊詔は、ロールズの公正理論を原点に置いているが、それだからといって、徹底した平等主義的な政策を支持しているわけではない。例えば、年功序列型賃金をめぐる議論にそれが現れている。橘木俊詔は、平等についての考え方に質的な変化が起こったとみている。すなわち、従来は、平等を働きぶりにかかわらずすべての人を平等に扱うこととみていたが、最近は、働きぶりに応じて処遇することを平等と考えるように変わってきたとみる。

 このような意識の変化を踏まえて、「貢献」、「必要」、「努力」の3つの要素を考慮し、賃金体系を見直すことを提案している。これは、年功序列型賃金の見直しになる。すなわち賃金決定において、もう少し若年の賃金を上げ、中高年を下げ、下方修正すること、および職務給(どのように仕事をしているか)と職能給(どのような働きぶりか)のウエイトを増すことを提言している。このように「貢献」や「努力」に応じた格差づけを行えば、不平等性が増すが、「効率」のためにはやむをえないと橘木は考えている。

 そこで生じた不平等は、税制や社会保障によって、所得の再配分を行い、不平等を是正していけばよいというのが、彼の立場である。この点では、平等性を重視した政策を提言することになる。そうしても、レーガン、サッチャー流の新保守主義者が危惧するような、勤労意欲や貯蓄意欲を減退させることは日本では起こらないとみている。

 この点では、「効率性」と「公平性」とのトレード・オフの関係はないとみる。「効率性」と「公平性」との関係をどうみるのか、極めて重要なポイントである。それによって政策が大きくことなってくる。橘木俊詔は、アメリカでは、効率性と公平性のトレード・オフの関係が成り立っているとしても、日本では、そのような関係は、まだ成立していないとみている。なぜ日本ではトレード・オフの関係が生じないのか。

 経済原理的にそうなのか、それとも現象的にそうなっているだけなのか。これは純経済学的に説明できる問題なのか、それとも労働観や人生観など価値観にかかわるため社会学的分析なしに、説明できないのか、この点が今ひとつ明晰でない。今後、さらに詳しく展開されることが期待される。

 先に述べたように、橘木俊詔はジニ係数によって日本の不平等度の動向を鮮やかに解明した。しかし、ジニ係数による不平等度の測定という技法は、基本的には働きぶりに変わらずすべての人を平等に扱うという前提のもとに作られており、総賃金格差の変動をみるには有効であっても、格差そのものが、適切な基準によるものかどうかは一切考慮されていない。

 つまり、彼が指摘するように平等観に質的な転換がみられるとすると、働きぶりや貢献度に合致した賃金支払い制度になっているかどうかをジニ係数による不平等度では判定できないという致命的な欠陥をもつ。そうだとすると、今、新しい平等観にもとづいて不平等性をどのようにとらえるのか、この点が重要な課題となってくる。

 「貢献」、「必要」、「努力」を客観的に――あるいは誰しも納得がいくように――測定するということが、人事考課の難問であるとともに、マクロ経済の課題でもある。橘木自身、累進消費税の提唱、相続税の強化、税制と社会保障制度の統合、「公的年金民営化論」に反対、セーフティーネットとして生活保護や失業保険の重視など、具体的な政策を提言している。

 これから国政レベルで、経済の効率化・活性化のためにさまざまな制度改革が提唱されるだろうが、より一層の不平等化を促進するのか、それとも不平等を是正するのか、それを識別するためにも経済学的な知、社会学的な知がより一層必要となってくる。そうした点で、橘木俊詔の『日本の経済格差』は、大きな示唆に富む本である