本書の中心舞台の1つ、大阪府高槻市東北部の「成合北の町」は、在日韓国・朝鮮人集住地域の形成史における1つの典型をなしていると思われる。戦争末期、日本軍がここで行った大規模軍需工事に大量の朝鮮人(一説に7000人)その他が動員され、飯場が作られたのが始まりで、戦後、そこにとり残された朝鮮人たちによって集落が作られた。1983年時点の集落規模につき、居住世帯「34」、という記録がある(高槻むくげの会編「高槻の韓国・朝鮮人実態調査報告書」1984年、7頁)。
ここの土地は戦時中に軍が地主から強制収用したものであったから、居住者と日本人地主との間で占有権をめぐる係争が長く続いた。両者の間で土地の売買に関する合意が成立するのは、1983年のことである。この合意を俟って、1985年、高槻市は地区の住環境整備にとりかかる。
しかし、背後に山、前は田圃によって周囲から孤絶した成合は、戦後数10年の永きにわたり上下水道もなく、衛生、防犯、消防、交通から教育、職業にいたるまで、あらゆる面で劣悪を極めた生活環境であったという。当然、周囲から向けられる差別と偏見の眼差しは凄まじく、成合は「ブタ小屋」と呼ばれていたと本書は記している(120頁)。宇治の「ウトロ」や川崎の「池上町」などが想起される。
このような地域社会の「土壌」から1972年、いわば生まれるべくして生まれたのが、青年サークル「高槻むくげの会」である。「むくげの会」は、たとえば高槻市職員採用試験における国籍条項撤廃運動をはじめ沢山の運動成果を勝ち得てきたが、活動の中心は、「(1)差別をしない・させない・ゆるさない人間作り・仲間作り、(2)自分たちの生き方を前向きに考えて行く、(3)日本人との関係において対等な関係を模索して行くと同時に、在日韓国・朝鮮人同士間の中でも対等な関係を作っていく」(『第10回民闘連全国交流集会資料集』1984年、63頁)ことを目標に、1978年以来、成合を含む市内3つの在日韓国・朝鮮人集住地域で行っている「地域子ども会」活動である。
この子ども会事業は1985年に市教委に移管されるが、これも「むくげの会」が教育事業の制度的保障を求めて市と交渉して勝ち取った一大成果である。現在、高槻市は、教育委員会社会教育部の下に「在日韓国・朝鮮人教育事業」を設置し、3名の専従担当者と2名の非常勤職員を配置している。
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さて、本書は教育社会学者の金泰泳さんが、自らも指導員として右の子ども会に参加しながら、そこに集う若者たちの多彩な生き方に共感しつつ「アイデンティティ・ポリティクス」に関する研究を行った貴重な成果である。
「アイデンティティ・ポリティクス」の生活史研究は被差別部落に関しても、すでに西田芳正「アイデンティティ・ポリティクスの中のアイデンティティ―被差別部落出身者の生活史調査を手がかりに―」(『ソシオロジ』37巻2号、1992年)という先駆的研究があるが、本書の主要なデータも在日韓国・朝鮮人の「生活史」である。都合14人が登場し、その内むくげの会と子ども会の関係者で10人を占めている。それは、(1)むくげの会の代表者、(2)子ども会の指導員を務める青年たち、(3)過去に子ども会に児童・生徒の立場で参加した青年たち、および(4)現在参加している生徒である。年齢別では40代1人、30代3人、20代5人、10代1人(むくげの会以外の4人は7〜80代2人、40代2人)で、30代以下は、みな移民の第3世代である。
その一人、(4)のSは、現在高校2年生。小学校時代の彼女は、1週間のほとんどを子ども会行事で過ごした時期もあり、チャング(朝鮮の太鼓)など韓国・朝鮮に関することなら何でも興味をもったという。こういう児童を「子ども会育ちの子」というそうである(180頁)。
中学に入ると同時に自分の意志で本名を使い始める。本名を使って生活するSは、やがて子ども会事業のシンボル的な存在となり、毎年、年度始めにクラスの日本人生徒の前で「在日朝鮮人としての思いを語る」ことを教師から求められた。
日本人生徒が在日韓国・朝鮮人としてのSの立場を理解することが、彼女の民族的アイデンティティを保障することであり、彼女のためでもある、と教師は考えたのである。責任感の強いSは、この役割――私の言葉では〈民族役割〉――に対する期待に応えようと努力する。だが努力すればするほど、自分をさらけ出し、身を削ることになる〈民族役割〉が、しだいに重荷ともなるのであった。Sはいう、「誰の前でも言ったらええってもんちゃうやろ」
Sは高校入学と同時に本名から日本名に戻した。今も高校の友人には「在日」であることを隠している。その理由に中学時代の右の役割体験があったことを、著者は強調する。「本名を使って生活するということは、『在日朝鮮人としての責任』を常時担わなければならないものなのだ。
そうした生き方に彼女は少し疲れたのである」と。ここで著者がいう「在日朝鮮人としての責任」とは、要するに「差別―被差別関係」から、「民族性をアピールしていく」在日朝鮮人と「それを受けとめ尊重する」日本人との関係形成へ至る定型化された〈一本道〉を歩みつつ、他者をもそこへ引き入れることが求められている、そういう「責任」のことである(189頁)。
しかし未知の生を求めてやまない高校生のSは、この〈一本道〉を窮屈に感じはじめている。重荷でもある。彼女は今、この道も含む他者との豊かな関係の可能性を模索している――。
このようなSの生き方を、著者は「個人としてのありのままの自分」とか「差別社会を生きる便宜的な戦術」とか、その他さまざまに解釈している。「ありのまま」と「便宜的」の関係がちょっとわかりにくいが、いずれにせよ、著者はSのケースが「アイデンティティ・ポリティクスを超える」生き方をもっともよく表現していると考えていることは間違いないであろう。
但し唯一可能で理想的な「超え方」と見ているわけではない。本書には前記(1)〜(3)の人びとの生活史を通して多様なバリエーションが紹介されている。それらは〈民族役割からの超出〉の類型化の可能性を示唆していて、私には興味深かった。
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「アイデンティティ・ポリティクス」とは、著者によれば「支配文化から押しつけられた否定的イメージから、被抑圧者自らが語り直す肯定的イメージへと政治的に是正しようという運動」のことであり、それは「他者を固定的なカテゴリーに押し込めることによって、一貫した固定的な自己のアイデンティティを形成するための《装置》の役割を果たし」ているという。
本書は、この《装置》の諸機能に関する研究といえるわけだが、しかし、「子ども会」活動の目的が冒頭に引用した3点に要約できるとすれば、それはある種の「人間作り」と「仲間作り」による〈社会形成〉でもあるから、たんなる「イメージの是正」にはとどまらない、より広範な教育運動であるともいえるわけで、それをいかなる意味で「アイデンティティ・ポリティクス」と呼ぶのか、その説明がないと多方面から疑問が出るだろう。
それから、「アイデンティティ・ポリティクスを超えて」どこへ行くのか、あるいはどこへ行くことができると考えるのか、そこを見据える研究者の勁い視点も必要となろう。その際の本書の枠組みは必ずしも明示的ではないが、どうも(a)「民族などマイノリティのアイデンティティ」と(b)「個人のアイデンティティ」による、(1)2項対立(a→b)と(2)弁証法(a*b→c)の2つの論理が想定されているように思われる。高校生のSは今、(1)から(2)への移行期にある。
しかし(b)の説明がないので、(1)(2)のいずれも、超え出ていく方向がイメージしにくい。本書では「個人としてのありのままの自分」という表現も頻出するが、「個人」も「自分」も自明視されていて、これらの言葉の多義性に配慮がなされていないように思われる。
たとえば右の(1)の解釈として、〈民族役割〉から下りてみたら、〈甲羅のないカニ〉になっていた――そんな〈孤立イメージ〉も(b)にはアリかもしれない。とりわけ未成年層は生活構造が相対的に小さいから、かれらにはこのイメージがある程度あてはまると仮定できるし、また、マイノリティの閉塞状況を視野に入れておくという意味でも、一定有効な枠組みとなりうるだろう。
しかし著者はどうもそんなことが言いたいのではないらしい。「個人」などというものはいろんな解釈を許す代物で、私ならそうも・考えてみる、というだけのことである。いずれにせよ、「支配文化」への対抗軸として「民族」と「個」の二変数をおくだけでは(196頁)、著者もその認識を志向しているかに見える「『生活者』としての側面」(177頁)は、なかなか解明が困難であろう。ならば教育社会学はどのような論理(分析枠組み)を用意するのだろうか。
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全体に本書はエスニシティの〈広い世界〉にひっぱられるあまり、著者の固有の研究対象たる世代と主題――若者の教育――に即したエスニシティ論の構築がやや弱いように思われる。著者の解釈がところどころわかりにくいのは、この論理と対象のズレに起因しているのではないか。今後、著者はどちらをどちらに合わせていくのだろう……。
概念や枠組みに関するコメントがつい長くなってしまって恐縮だが、著者への期待が大きいだけに基本的な点を問うてみたく思っただけであって、これが本書の評価を決定づけるものではないことはいうまでもない。
すでに与えられた紙数もオーバーしており詳しくは紹介できないけれども、本書は第3世代のみならず、移民の第1世代と第2世代の生活史からもエスニック・アイデンティティに関する論点を丹念に索出している。
ご自身も移民の第3世代である金泰泳さんが、年上の世代や「むくげの会」の同世代の同胞との交流を通して、在日朝鮮人としての、教育者としての、そして研究者としての自らの「複合的アイデンティティ」を模索した30代の記念碑として、私は本書の上梓を心から喜ぶものである。