構成と内容
本書は、著者の卒業論文から博士論文まで約一〇年間の研究成果を集約したもので、構成は次の通りである。
序論(研究史の整理/課題の設定)
第一部・芸能興行の「場」
第一章 瀬戸内海地域における「場」の形成と展開
第二章 讃岐国金比羅大芝居と門前町
第三章 豊後国浜之市における芸能興行
第四章 伊予国三島市と地域社会
第二部・芸能興行と集団
第一章 豊後国杵築若宮市と?侠客
第二章 侠客集団の類型と構造
第三章 市・村と侠客
第四章 役者村と芸能者集団
結論(芸能と「場」の構造/芸能の「商品化」と侠客/近世的な「商品」としての芸能/今後の課題/あとがき)
第一部第一章では、「役者評判記」などを手掛かりに大阪の役者が西国にまで巡回している様子と、その中で、厳島などを媒介に、次第に西国の役者・芸団が進出していくことが確認される。
第二〜四章では、芸能の広域的な展開の結節点である、瀬戸内沿岸の三つの門前・祭礼・市が分析され、そこから「粋方」(「すいほう」「推放」とも)と呼ばれる侠客が検出される。一八世紀末〜一九世紀初頭以後、瀬戸内とそれを囲む広い地域で、祭礼・市における芸能興行を、「侠客」(顔役、粋方、手寄、目明など)が仕切る実態が現出した(著者はそれを「支配」すると表現している)。彼らは博徒で、遊女宿を経営し、その力は芝居興行のみならず市の諸売買にも及んだ(温泉場、浦辺筋にも関わった…第二部)。著者は、こうした事態は、近世における芸能興行の本質的な側面であると把握する。
なお、冒頭の論文は『身分的周縁』に書かれたもので、芸能の演者(役者・芸団)の側から、大阪との交流を一契機とする芸能・興行の広域的な展開を描いたものであり、そこに著者の時代認識と地域認識が示されている。
第二部では、杵築若宮市および国東半島と周辺とを主な対象として侠客集団・粋方の活動を見ながら、「侠客」の性格と近世後期社会での構造的な位置の検討が試みられている。著者は、粋方と遊女宿・浦辺筋(第一章)、角力渡世集団・「川筋目明仲間」(第二章)などの諸集団、また地域社会に土着する粋方的存在とが絡み合って展開している実態を見出し、これらの集団は同一性格を持つ侠客集団の類型と規定する。芸能興行はこうした「アウトロー」集団のネットワークの上に成立したことになる。
なお第四章では、この地域に散在する役者集団の性格を検討するが、著者は、その宗教性と寺社との関係を語る「由緒」を否定し、「アウトロー」ネットワークの「場」の中で役者・芸団の活動があると位置付ける。
序論と結論の部分では、「芸能の商品化」をキーワードに、芸能興行の「場」とあり方を総括し、その視点から研究史が素描されている。
粋方の存在や芸能興行における侠客や通り者の関与は、芸能史研究等では以前から知られ、若干の先行研究もある(京都では近世初頭から遊女宿のかかわりが指摘されている)が、その歴史的あり方は深く解明されてはいなかった。そこに、一八世紀末〜一九世紀初頭から、個別の市・祭礼でなく瀬戸内周辺という広域で、共通してこうした歴史実態が現出することを実証したのが、本書の意義・成果だといえる。これに奥州の守山藩の史料によった『目明し金十郎の生涯』(阿部善雄、中公新書)などの先行研究を併せれば、侠客的存在が芸能興行に深く関わるようになることは、全国的な動向と判断でき、そこに新たな論点が定立されたと言える。
著者の認識と論理にふれて
では、芸能興行は近世社会の歴史の中でどう位置づけられたか(主に第二部)、その点を見てみたい。
著者は、近世(後期?)に絞って「芸能の商品化」と概念化(?)し、吉田伸之を引きつつ、(後述の守屋に欠ける)構造解明を課題とし、侠客による市や興行の仕切り、市の領主による主導、「アウトロー」集団の介在、役者集団の展開(「由緒」を否定され、いわば「近世的商品」の生産者とされた)、などを析出する(商人、村落にも一部言及がある)。
「芸能の商品化」は、かつて守屋毅が提起したもので、守屋は神事、勧進、勧進興行等に特徴づけられた中世芸能からの脱皮としてこれを考察したものである。本書をみると、守屋とは違って、芸能、芸能民、上演(人々との接点のあり方)の歴史的特質という論点はほとんど捨象されていることがわかる。そこは本書の論理の特色とも言える(「構造」を歴史性を無視する言葉として使うなら、誤りだろう)。では、一体何からの「商品化」なのか?
芸能民に着目すると、長州川棚の若島座などがこの地域を巡演している。川棚・田部は北九州の寺中(永井彰子の研究あり)と同じく九品念仏衆という歴史と性格を持つ芸能民集団である。杵築や国東方面では、古い由緒を誇る神社に奉仕し、民間陰陽師でもあったと伝える散所=役者村が散在し、芸能活動を繰り広げる。
役者集団が古く萬歳や神楽を演じ、近隣の寺社に奉仕した例は多く、民間宗教者であった事例も枚挙に暇ない(例えば播磨高室は陰陽師であった。東北の例として、盛岡、八戸の典屋=店屋があり。門脇光昭の研究によれば神社に奉仕する芸能民で、興行にも関与した)。国東半島は宗教活動が充満した地域である。
ところが著者は、それぞれに独自の宗教性を帯びた芸能集団のこの二つの歴史的性格を否定する。だが、細部はともかく、伝えられた「由緒」や文書、在地研究の論点を全て後世の創作とするのは、失当ではなかろうか。
芸能者と寺社との「場」を排除し、侠客らの「場」で性格付ける、これが本書の論理であり問題点である。
さて本書で取り上げられた、侠客と「アウトロー」集団の把握にも、やや強引な単純化がみられる。これは、著者の方法的立場(塚田孝に依拠)に関わる点である。
本書では、粋方という侠客だけでなく、芸能興行などに関して彼らと絡み合い行動を共にする幾つかの集団を、同質の集団と見、全体を「アウトロー」集団のネットワークと規定する。著者の言う「芸能の商品化」に必要な流通を担う存在として、そのネットワークが注目されているのである。
だが彼らの同一視、「アウトロー」視は妥当だろうか。
例えば角力渡世集団については、高埜利彦の研究等で独自のあり方が解明されている。その独自性を無視した議論は、一面的と言わざるをえない。
また、杵築・国東の役者集団の由緒や民間陰陽師という宗教的性格、さらには近在の神社との濃密な関係を「由緒」は信頼に値しないと簡単にしりぞける著者の議論は、芸能集団を論ずるに芸能の歴史的性格を見ず、史料の扱いや論理も恣意的なものと言うべきだろう。
評者は、侠客の進出の意味を歴史具体的に問うには、個々の差異を捨象して「アウトロー」視して一括する前に、粋方を含めて、それぞれ集団の性格を具体的に検討する必要があると考える(江戸では香具士の姿が見える)。
何故なら、近世社会にあっては、芸能民や民間宗教者、職能民の集団が近世的変容を遂げつつ様々に存立し、新たに生成したものも集団形成したが、それぞれが、様々な「伝統」をもとに権威や権域を主張し、また創出もしたからである。角力もその代表的な一例であった。著者自身が別稿で描いた「飴売商人」(吉田伸之編『商いの場と社会』吉川弘文館)も同様だろう。
幕藩権力は多様な権威を否定又は統制し、支配の一元化を指向したが、現実には寺社、本所、「賤民」頭などをも含めて、権威の源泉や拠り所は様々に残った。武士や公家の権威だけに着目し、公認された存在以外は「アウトロー」で一括すると、具体的矛盾も論点も捨象されるだろう。
一八世紀末以降の事態が、如何なる歴史変化なのか。侠客の進出の意味をどう考えるか。様々な歴史的要因との関係の上で、初めて的確に評価しうるのではないだろうか。
ふれられなかった論点
次に、本書に欠けている重要論点を見ておきたい。
一点は寺社との関係。金比羅は伊勢、宮島と並んで近世には代表的な門前の興行地である。ここでの芸能興行は近世中期までどの様な形で発展してきたのだろうか?
大三島、浜之市等は藩の梃子入れも受けて盛大化した祭礼市であり、著名な寺社の門前・祭礼・市における芸能興行という共通性がある。これら寺社では、古くから祭礼時等に奉納芸を執り行い芸能を催した。あるいは勧進興行もあったかもしれない。そこに社人らの関わり、芸能民などの関わりもあったろう。本書で分析された芸能興行は、その中でどのような位置にあるか、侠客はどのような土壌に進出したのか。他の諸集団とはどのように関わったのだろうか…? 神社文書などがあれば、より豊かな歴史像が描けるのではないか。
国東半島が、古くから宗教施設の集中する地域であることは先に述べた。芸能民と寺社とで形成する「場」の存在は研究史が示している。なお比較検討対象として、「宮地芝居」もある。「大芝居」と違う扱いを受け、江戸では中後期に香具士や乞胸の関与したことが知られている。
もう一つは、「賤民」・被差別民との関係。「賤民」が市・祭礼の警備に関わったことは史料にも出ているが、本書では検討されていない(意識的回避が明言されている!)。市・祭礼で市銭・津料などは存在しなかったか、櫓銭など興行権に関わるものはなかったのか…。史料の存否もあろうが、論点自体が意識化されていない。
さらに、淡路や徳島、愛媛などは芸能民・「賤民」の門付芸が極めて広範に展開された地域である。それは近世芸能を代表する人形浄瑠璃にもつながる。かかる門付・勧進と市・祭礼での興行とはどんな関係に立つのか。無い物ねだりかもしれないが、芸能の「流通」にとって無視できない点だろう。
以上二点の欠落は著者も認めてはいる。だが、芸能・興行の分析には不可欠な論点であり、「今後の課題」との扱いには大きな疑問がある。単なる欠落ではなく方法的立場での捨象、「賤民」の意識的な回避が見えるからである。
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オリジナル史料に基づく本書の綿密な作業からは多くを学ばせてもらった。対照的にその位置付けには落差を感じる。「学派」の狭い枠に頼るのではなく、対象に即した、広い視野での議論を望みたい。
※事務局注 本文中の侠客の「侠」はインターネット上では正字は表示できなかったため、俗字で表記しています。