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書 評
 
評者(柏木智子・郭嫻/大阪大学大学院生)
研究所通信283号掲載

大阪大学大学院人間科学研究科池田寛研究室

『協働の教育による学校・地域の再生-大阪府松原市の4つの中学校区から-』

(231頁,A4判,実費頒価)

《最終回》

―松原第七中学校区に焦点をあてて―

 本章は、松原市第七中学校区の先駆的な取り組みの分析を通して、七中校区が有する課題をどう乗り越え、また乗り越えようとしているのかについて記述したものである。第七中学校区には、第七中学校、恵我小学校、恵我南小学校がある。それらの成り立ちと地域の特性によるためか、七中校区では他校区に先駆けてさまざまな独創的な実践が行われてきた。具体的にいうと、現在松原市の各中学校区で行われるようになったフェスタ(学校で行われる地域全体の祭り)を最初に手がけたのは七中校区である。

 また、七中は1999年の時点で総合的な学習の年間計画を立て、導入に向けてのアンケートを実施し、シミュレーションまで行い、冊子にまとめている。恵我小では、かなり早い時点から学校と地域が結び付いた完全学校週五日制の取り組みや運動会が行われていた。そして、恵我南小では、渡日児童を中心にした国際理解教育が10年ほど前から行われていた。さらに、七中校区は「幼稚園から中学校まで11年の縦軸の中で」を合言葉にして学校園間連携(幼・小・中の連携)に真っ先に取り組み、現在では学校園間連携の進んだ校区といわれている。学校以外では、青少年健全育成協議会という組織が地域作りの軸となり、15年ほど前から学校と地域の協働的な活動を推進してきた。

 現在のように学校と地域の協働が目指される前から、すでに協働による実践が行われていた校区というのは注目に値する。このように七中校区で数々の先駆的な取り組みが生み出された背景には、七中校区が抱える特有の課題がある。報告書では、七中校区が抱える課題とそれを克服するために編み出された実践について詳述した。以下では、七中校区の背景について簡単に述べる。

 七中(1985年創立)と恵我南小(1978年創立)は、松原市の中で最も新しい学校であり、人口の増加にともなって創設された経緯を持つ。そのため、校区住民からは増加する子どもたちの就学問題を解消するために作った学校、子どもの人口が減るとなくなるかもしれない学校という意識を持たれることがあった。そのため、七中の教師たちは創立当初から住民に愛着を持たれる学校作り、七中を応援してくれる地域作りをめざしたのである。ただし、恵我南小校区には住民の入れ替わりが激しい地区や渡日家庭が多い地区があり、地域のまとまりは薄かった。

 一方、恵我小は125年以上の歴史を持つ小学校で、校区には3世代にわたって恵我小に通っているという家庭が少なからずあり、地域のまとまりという点ではすでに基盤が出来あがっていたといえる。七中は、このような対照的な地域を抱える2つの小学校区を1つにまとめつつ、また渡日の課題を校区全体の課題としていかに克服していくかについて模索していたのである。また、恵我小、恵我南小、校区の幼稚園や保育所も七中校区が抱える課題やその歴史を踏まえ、各校園それぞれが創意工夫し独自の実践を作り上げていったといえる。

  このように七中校区はその成り立ちや経緯に特徴があるが、さまざまな課題を克服しようとして行われてきた実践とそこに見られる創意工夫や斬新なアイデア、あるいはそれらを実行に移した人々の熱意と粘り強さ、そして何よりも「子どものためやん」という合言葉のもとに動く地域住民の思いから学ぶことは多い。七中校区の常に前向きな実践が多くの読者を後押しし、よりよい教育活動の輪が広がることを期待したい。