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書 評
 
評者藤井 寿一
部落解放研究146号掲載

奈良の被差別民衆史

奈良県立同和問題関係史料センター編

 (奈良県教育委員会、二〇〇一年三月刊、A5判・三二一頁)


一 本書の構成

 本書は、一九九三年に開所した奈良県立同和問題関係史料センターが、七年余りにわたって蓄積してきた研究成果に基づいて、「大和国・奈良県の部落差別の歴史過程を明らかにするため、被差別部落だけでなく、歴史的に形成されてきた多くの被差別民衆の歴史の全体像を検出」することを目的に編集された「中間まとめ」(「刊行にあたって」)であるという。

 その構成は、下記のように、一三世紀から昭和戦前期までのおよそ七〇〇年間のあゆみを、中世・近世・近代の三編に区分している。各編の冒頭にはその時期

を象徴するような心象風景を描く序論を配置するなど、「中間まとめ」を遙かに凌駕する本格的な通史としての内容をもっている。

 中世編

  序 大和国の被差別民の原像

  第一章 鎌倉時代の大和の被差別民

  第二章 南北朝・室町時代の大和の被差別民

  第三章 戦国期大和の被差別民

 近世編

  序 天正十七年奈良町の風流

  第一章 近世奈良町の被差別民

  第二章 大和国の被差別民

  第三章 地域社会のなかの被差別民

  第四章 「穢多」村の変貌と深化する差別

  第五章 近代への助走

 近代編

  序 近代の光景

  第一章 維新の変革と人々の生活

  第二章 部落改善の道程

  第三章 「自ら解放せんとする」人々

  第四章 戦争の時代を生きる

 本稿では、筆者の関心に沿って中世編と近世編にみられる特徴的な個別の論点を紹介するとともに、いくつかのコメントを付すこととする。

二 中世編・近世編の論点

 1 中世編では、興福寺の賢舜が文永二年(一二六五)に書き留めた『御参宮雑々記』を素材として、奈良町郷民とは明確に区別されるところの、道路の不浄物取り片づけ(清目)を命じられた北山宿非人と、墓地の掃除を務めた横行・細工という、三つの集団から成る被差別民の姿を最初に抽出している。

 まず、鎌倉時代の北山宿とは、奈良町北方の丘陵地においてハンセン病や重篤の皮膚病に罹った癩者を受け入れる施設として出発し、その管理や世話を委ねられた非癩者が癩者の周辺に居住するという、二重構造をもっていたとする。非癩者は濫僧長吏法師とも呼ばれ、田畑を所持し、独立した居宅・家族を持ち、国名を名乗ったのに対して、癩者は相伝すべき家産・家族を持たず、「朝出夕帰」して奈良市中を物乞いに廻ったという。畿内やその周辺(紀伊国など)において確認される非人宿も、このような構造をもつのであろう。

 大和国の場合、北山宿以外にも多くの非人宿が存在したが、本書では「大和七宿」説が鎌倉期の非人宿の実数を表すものではなく、各種の史料を勘案すれば一七の宿が検出できることを述べている。このうち、豆山宿は万歳郷の馬見山にあった実在のものとしている。本書では明記していないが、典拠史料の『春日神社文書』に記されている豆山宿は近江国の金山宿を誤読したものにすぎない、とする渡辺広氏の謬説(『未解放部落の源流と変遷』部落問題研究所、一九九四年)を論破したことになる。

 次に、興福寺近辺に居住していた横行は、室町時代には声聞師(五ケ所・十座)と称されることを確かめている。その職能には、陰陽師として携わる呪術があったとする。また、細工は河原者のことであり、その前身の一部は優れた細工技術を有する品部・雑戸や、動物供犠を執り行う祝などの系譜を引く人々であった〈河原者と狩猟民は全く別個の存在!〉

とする。ここでも、近世皮田身分の者の系譜的前身として河原者・細工・屠者を並列的に措定する渡辺説を退けていることに注目したい。

 なお、鎌倉期には興福寺・法隆寺などの寺社に附属する被差別民は、その職能ごとに当該の寺社に奉仕していたが、各々の被差別民の間には上下・指揮命令関係はなかったとする。ところが、応永五年(一三九八)には興福寺の衆徒は、「寺辺国中声聞者并河原者、廟聖以下非人」は宿に随順するよう評定を行ったことを紹介している。中世大和の聖俗両権を掌握していた興福寺による宿を頂点とする被差別民統制システムの確立を想起させるものとするが、そうであるならば、宿の勧進場の一部が河原者に分与されて草場になっていく段階を示すものと解釈されてきた応永三二年(一四二五)の「草場預け証文」(水平社博物館所蔵文書)は、どのように位置づけられるのであろうか。この「草場預け証文」は、奈良県立同和問題関係史料センターの一九九五年度テーマ展「草場」において大きく取り上げられていただけに、本書で全く触れられていないのは残念である。

 2 近世編ではまず、奈良町において天正一七年(一五八九)七月、大工事に随伴して作り物を出す風流の様子を記録した東大寺の『寺辺之記』に、「夙ノモノ」「唱門衆」「穢多」の作り物があったことを紹介している。三二四年前の『御参宮雑々記』に記されていた宿非人・横行・細工が、名称を変えながら寺院側の史料に再度揃って登場したことは興味深い。

 右の被差別民のうち、東之坂の「穢多」は戦国時代末から近世初頭にかけて、北山宿の後身である夙村と北山十八間戸に居住する癩者の支配をめぐって確執を繰り返したのち、一七世紀中期にはその支配が認められるようになる。奈良町における死鹿の処理についても、中世では癩者・宿非人・細工がそれぞれの立場でかかわっていたのが、近世初期には、興福寺の戸上・柏手から夙を経由して東之坂に連絡が入り、「穢多」が処理したのち皮は興福寺へ納め、肉は東之坂、四足は癩者の取り分になったという。このような様相は、中世から近世への移行に伴って、被差別民の嫡流が宿(夙)から皮田(穢多)へ交代したとする渡辺氏や黒田弘子氏(「戦国〜近世初期の賤民と祭礼」『歴史評論』第四二六号、一九八五年)の議論を裏付けるものであろう。

 近世大和では、この「穢多」村が田畑を所持して公租を負担し、水利慣行や入会山の権利においても他の百姓村と変わらない扱いをうけていたことは、「部落史の見直し」の提起以来、ほぼ常識となっている。にもかかわらず、「穢多」村が百姓村と決定的に異なるのは、?斃牛馬の無償取得、?櫓銭の取得、?芝銭の取得などの特定の権益が保障される草場を排他的にもつことであると本書は強調する。しかも、竜田新宮への「穢多」村による呪術的な神役の勤仕は同宮から草場を与えられていることへの奉仕であるという事例は、斃牛馬の取得が寺社に対する「穢多」村のキヨメの職能に始原をもつという本書の主張を首肯させるものであり、近世政治起源説に立脚する「斃牛馬処理=皮田役」論の破綻を決定付けているともいえよう。

 このように呪術的・宗教的な色彩を帯びていた権益のうち、櫓銭・芝銭の徴収は正徳四年(一七一四)の簡略仕法によって否定されるようになったことが詳述されている。代わって、寺社祭礼や芝居興行の場の管理は、元禄年間(一六八八〜一七〇四)までには制度的に確立していた非人番が担うようになったという。この非人番の給与は本来、勧進的な性格を帯びる「村人相対」であったものが明和四年(一七六七)には定額制に変更されるが、これによって、徘徊する非人を追い払うために設置された非人番が具有していた呪術性は忘却され、村の下級公務を担う者としてしか認識されなくなったとする。ただし、このような事態の下にあっても、山辺郡永原村の非人番小頭である中村直三の祖父・善助が稲種選択や良種普及に努めて家運を上昇させていたことは(今西一「大和における一老農の生涯」『部落問題研究』第七四輯、一九八二年)、記憶に留めておくべきであろう。

 ところで、近世大和の夙村には、中世非人宿の系譜を引く村と、鎌倉〜室町期には横行・声聞師と呼ばれた集落の、二種のあったことが繰り返し説明されている。後者は、夙村に分類される一方、その職能から神子村、万歳村と呼ばれたとする。ちなみに、三河国宝飯郡下地村の山本貞晨が文化年間(一八〇四〜一八)に著した『三河国吉田名蹤綜録』によれば、「大和国箸尾・窪田両村より万歳いでけるよし聞及べり、かの箸尾・窪田は何方なるや」という山本の問いに対して、大和国の「宿村」出身の商人は、「箸尾・窪田こそ則宿村の内なり」「宿村といふ所には何方にても万歳など居住するものなり、大和国は宿村と唱る在所三里目五里程にはかならずあり」と答えている。「宿と横行・声聞師は本来発生史を共有する集団であり、鎌倉時代初期までに宿から横行が分離したもの」という本書の非人宿発生分化論の当否は別にして、近世夙村の住民自身が万歳村を夙村の範疇に入れて認識していたことを傍証するものではなかろうか。

 なお、近代編では明治四三年(一九一〇)においても、「婚姻上ノ交通ヲvク」という「シュク」に対する差別が厳然としてあったことを述べている。『和歌山県同和運動史』通史編(一九九八年)のように、賤民解放令の発布以降は叙述の対象を被差別部落住民に限定することが官製の部落史では多くみられるなかで、部落差別以外の差別について踏み込んで記載した本書の意義は大きい。

三 今後への期待

 中世から昭和戦前期までの七〇〇年余りの大和国・奈良県の被差別民衆の歴史を、注と参考文献を除いて三〇〇頁足らずの紙幅に凝縮した本書には、拙い小文では紹介しきれないほど多くの重要な論点が含まれている。

 昭和戦後期〜二〇世紀末の現代編を含めて、今後改めて構築されるであろう通史ではどのような部落史像を描こうとされるのであろうか。本書の成果を糧にして、奈良県立同和問題関係史料センターがさらに前進・発展されることを期待するものである。