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書 評
 
評者藤野 豊
部落解放研究147号掲載

朝治 武著

水平社の原像
 ―部落・差別・解放・運動・組織・人間

(解放出版社、二〇〇一年一〇月刊、四六判・三一六頁、二六〇〇円+税)

 全国水平社創立五〇周年を記念して部落問題研究所から『水平運動史の研究』全六巻が刊行されてからもう三〇年が経過する。全国水平社創立におけるマルクス主義の影響が重視され、創立以後も水平社内のマルクス主義派を軸に叙述された運動史を、当時大学生であった私は線を引きつつ何度も読み返し、「労農水三角同盟」こそ水平運動の理想像であり、部落解放は社会主義の課題であることを確信した。それゆえ、刊行後数年を待たずして、同書の執筆者たちがその学説をいとも簡単に打ち捨て、「労農水三角同盟」の評価を引き摺り下ろし、部落解放をブルジョワ民主主義の課題と断定したことには、ただただ驚愕するばかりであった。その転換の理由がどうであれ、学問研究の自由とはかくも脆いものなのかと驚き、かつ悲嘆した。そうした深い悲しみが、私をして十数年後に『水平運動の社会思想史的研究』(雄山閣出版、一九八九年)を書かしめる出発点となったことは否定できない。

 水平運動史には、あるいは近代の被差別部落史全体にはと言った方がよいのだろうが、この事実に限らず、およそ学問研究とは無縁な実態が許容されている。政党や運動団体の路線に追随する政治主義、批判と誹謗を混同した不毛な罵詈、先行研究や歴史学全体の研究成果を無視した唯我独尊的な論理展開、私は、そうした現実に辟易し、しばらく水平運動史研究、近代被差別部落史研究から意識して距離を置いてきた。そうしたなか、ようやく私は一筋の希望を見出した。すなわち、朝治武の存在である。

 朝治は、これまで、平野小劔・栗須七郎・南梅吉ら、マルクス主義派中心の運動史からはアナキズム派・宗教的観念論者・右派などと批判され、その存在と運動への影響力を軽視されてきたひとびとの思想と行動を、一切の先入観から自由な視点で、きわめて実証的に論じてきた。また、水平運動史研究のなかで遠慮がちなテーマであった水平社の戦争協力という問題にも果敢に発言してきている。その朝治が、昨年、全国水平社創立八〇周年を前にして『水平社の原像』という一書を著した。まさに、水平社創立八〇周年を記念するにふさわしい出版である。以下、同書についての所感を述べたい。

 朝治が本書で分析の対象としているのは、全国水平社の宣言・綱領・決議・規約、それに水平歌と荊冠旗である。これらの変遷を跡付けながら、それを通して水平運動史を叙述する。なぜ、これらに注目するのか。朝治は「水平運動において、宣言が理念、綱領が目標、決議が課題、規約が組織、旗が象徴、歌が心情を、それぞれ表現、代表していたからである」と説明する。これまで、水平運動の心情まで目を配ってその歴史を叙述した研究者がいただろうか。私自身、親鸞回帰論・マルクス主義・アナキズム・社会民主主義・国家主義・ファシズムなど水平運動に影響を与えた思想とそれにともなう路線論争を分析したが、水平社に結集した被差別部落のひとびとの心情にまで思いを寄せなかった。たしかに、主観的に心情を論じた者はいる。しかし、朝治は実証的に心情を論じている。私はここに大きな衝撃を受けた。

 また、規約について、朝治は、これまでの研究は「路線対立の象徴的表現のひとつ」として扱ったに過ぎず、組織としての全国水平社の解明を意図したものではなかった」と批判、規約を通して水平社の組織を論じるべきだと主張する。「組織なき組織」などと言われ、意外にも水平社の組織論については、論じられることが少なかった。朝治は規約の変遷を通して水平社の組織の変遷を跡付けている。

 さて、本書が持つ研究史上の意義についても触れなければならないが、論点を全国水平社の始まりと終わりの二点に絞って述べておきたい。まず、始まりに関して重要なのは、西光万吉ひとりが「全国水平社創立宣言」を起草したという通説を否定し、西光が起草した原案を平野小劔が大幅に添削したものと断定したことであろう。ではなぜ、これまで平野の役割は軽んじられていたのか。朝治は「裏切り者視さえするこれまでの平野評価の低さと、それを前提とした研究の蓄積の貧困さとも関係していると思われる」と説明するが、たしかにそうであろう。一切の先入観を抜きに平野小劔を論じてきた朝治ならではの言である。

 そのうえで、朝治は「創立宣言」の思想的特徴の人間主義を西光に、部落民意識を平野に求めている。これまで、「創立宣言」における西光の役割ばかりが強調されるなかで、そこにおける部落民意識の存在が軽視されてきたことを指摘する。朝治は「部落民意識は部落民の個別利害に固執する部落第一主義、また部落民以外は信じるに足りない差別的存在そのものであるとする部落排外主義につながるという認識を生み出すものとして、きわめて否定的に評価され、はてには部落民意識は部落問題および部落解放運動にとって抹殺すべき有害なものとみなされてきた」と述べ、それもまた西光が死去した一九七〇年以降、部落解放運動の分裂と対立が激化するなかで顕著になったと評価する。むしろ、朝治は「創立宣言」における部落民意識を肯定的にとらえ、そこに近年の部落民規定や部落のアイデンティティをめぐる論議への示唆を求めている。そこには水平運動に被差別部落のひとびとのアイデンティティ確立の論理を見出そうとする朝治の視点が明白である。

 次に水平社の終わりに関しては、戦争協力論や戦後の運動への継承性が論点となる。これまでの水平社の戦争協力に関する研究は、ただひたすら戦争協力を罵倒し、それをもって水平運動総体を全否定するか、戦争協力は止むを得なかったとひたすら弁護するかの両極論が顕著であるが、朝治は冷静に、戦時体制のもとで水平社が何を考え、何をしようとしたのかを分析する。そこで朝治がとった叙述の手法は、旗と歌であった。一九三七年一一月二三日の全国水平社第一五回大会から水平歌に代わり「国歌」として「君が代」が合唱され、荊冠旗を隅に追いやり舞台正面には「日の丸」が掲揚された事実を指摘する。

 もちろん、朝治は宣言・綱領・決議からも戦争協力を跡付けているが、これだけでは運動の指導者たちの戦時下の現実的対応をどう評価するかという従来の不毛な論争の域を超えるものではない。しかし、朝治は水平歌=心情、荊冠旗=象徴を通して戦争協力の論理を追究しようとしている。指導者だけの問題ではなく、水平社に結集した被差別部落のひとびとの戦時下のアイデンティティとしての戦争協力の実態が仄見えてくる。そして、戦後の部落解放全国委員会の結成も従来のような全国水平社の継承と再建ではなく、戦時下に水平社と融和団体が合同した同和奉公会の継承との理解を示す。朝治は水平運動と戦後の部落解放運動の継承より断絶を重視している。ここに朝治の水平社の戦争協力への批判が凝縮しているのではないか。すくなくとも私はそのように受け止めた。

 本書には政治主義はない。不毛な罵詈もない。唯我独尊のような暴走した論理もない。朝治は実直に基本史料を読み込み、それに基づいて立論するだけである。歴史学の方法論として当たり前ではあるが、近代被差別部落史研究では異例である。読了後の爽快感はその異例さに由来する。

 しかし、読了後、爽快感は残ったものの、一抹の空腹感も禁じ得なかった。なぜか。それは本書の題名への期待と内容との乖離によるものであった。宣言・綱領・決議・規約・水平歌・荊冠旗の分析で水平社の?原像?を描けるのだろうか。水平歌や荊冠旗はともかく、水平運動は宣言・綱領・決議・規約に沿って全国で展開され得たと言えるのだろうか。かつて、地方水平社の機関誌類を調査した経験から言えば、県レベル、さらには町村レベルまで見ると、必ずしも全国大会の宣言・綱領・決議・規約に基づいて行動していない。全国大会ではマルクス主義派の革命的用語が飛び交っていても、町村レベルでは「忠君愛国」の水平運動が展開されている。また、戦時下、中央レベルでは部落厚生皇民運動路線と大和報国運動路線が対立していても、町村レベルでは、被差別部落のひとびとは経済統制下を生きるに必死で、そのような路線論争とは無縁であった。私は、中央と地域とのあまりにも大きな違いに最初はとまどったが、ここにこそ、地域を基盤にした大衆運動としての特質があるのではないかと考えるようになった。水平社の?原像?とは、そうした地域レベルで運動に参加したひとびとの実像を描き切ることではないか。全国大会の方向性だけで叙述し得るものではない。

 本書には副題として「部落・差別・解放・運動・組織・人間」と書かれている。読み終わり、最後の「人間」の存在が記憶に残らなかった。朝治は、大阪・奈良などで地域の被差別部落史も研究している。そうした地域と中央の比較を本書全体に展開できたら、本書のタイトルも副題も、より具体的に読む者に迫って来たであろう。「日の丸」や「君が代」で仄見えさせてくれた被差別部落のひとびとの戦時下のアイデンティティを本書全体のものとできなかったであろうか。

 とはいえ、本書刊行は八〇周年を記念するにふさわしい快挙である。こうした史料を地道に読み進めて立論した書が、部落問題研究所でもなく、部落解放・人権研究所でもなく、大阪人権博物館に拠を置く朝治により叙述されたことは今後の研究の方向性と可能性をも示唆している。間違いなく、朝治はこれからの水平運動史研究、近代被差別部落史研究の中核になる論者である。私は本書を書評する機会を得たことを大きな喜びとする。