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書 評
 
評者上杉 孝實
部落解放研究149号掲載


マルカム・ノールズ著/堀薫夫・三輪建二監訳

成人教育の現代的実践
 〜 ペダゴジーからアンドラゴジーへ 〜

(鳳書房、二〇〇二年二月刊、A5判・五八五頁、五〇〇〇円+税)

 一 日本の成人教育の課題

 日本の成人教育は、社会教育の範疇で扱われることが多く、地域活動と関連した学習・実践に大きな成果を上げてきた。そこでは、学校教育との対比が意識され、生活に即した学習内容・方法が論じられてきた。共同学習や自分史学習、生活懇談会方式の学習など、特色ある学習方法も開発されてきた。これに対して欧米の成人教育は、概して学校のエクステンションとして展開されたものが中心となってきたことから、学校教育との対比よりも、子どもの教育と成人教育との差異を意識することが多かったといえる。子どもと同じように継続的な学習が行われても、成人の学習の特徴はどこにあるかが関心を集めることになる。

 日本でも、学級・講座など継続的な学習がおろそかにされてきたわけではないが、実態として三〇人以内で長期にわたって、特定の教育者と人間関係を深めながら学ぶという形態は、決して多くない。毎回講師が異なり、浅く広く学ぶ短期講座が一般的である。このような状況のもとで、社会教育職員のプログラム企画・運営についての力量が問われる一方、講師の教育・訓練については欠落したままになっている。大学成人教育でも、学習者の成人性を無視したものが目立つ。環境破壊や人権侵害など深刻な問題が山積している今日、成人も継続的な学習によって問題の本質に迫り、権利主体として新しい社会づくりを進めなければならないのであり、その学習のあり方を探ることが急務となっているのである。

二 アンドラゴジーの意味

 本書は、アメリカの著名な成人教育の実践家・研究者であるノールズの主著というべきもので、子どもの教育学を意味するぺダゴジーに対して成人教育学を意味するアンドラゴジーについて、整理を試み、その観点から成人教育者のあり方や学習の進め方について、詳細に論じている。一九七〇年に初版が出版されたときには、ぺダゴジーとアンドラゴジーは対立的に描かれていたが、その後の批判を受けて、改訂版である本書では、アンドラゴジーは、子どもの教育にも適用し得るものであり、知識の吸収などにおいてぺダゴジーが成人においてもあり得るものであることが示されている。それでも、成人の場合、自立的で経験豊富であり、実践的指向でもって学習することが多いから、そのことを重視し、他者にも提供できるものを持つことを活かしたアンドラゴジーが重視されなければならないのである。

 このことは、まず教師たちの学習観の変革を促すことになる。単に伝達された内容を受け入れるようにするのでなく、自己決定的に学ぶことに対する援助に力点が置かれるべきである。これまでの学校教育になじんで、学習者自身が受身の学習観に立って教育者に求めるところがあろうとも、成人学習者には、自己決定的でありたいという心理が働いているのであり、その尊重が民主主義に沿うことになるのである。したがって、席にしても、できるだけ円形に近い状態で、教師と学習者、学習者相互の討論が行われやすいようにすることが必要なのである。大人数の場合も、あらかじめバズセッションに入りやすいように、グループ分けを意識した席の配置が望まれる。

 成人の学習においては、個人のニーズの把握が課題となるが、「何を学びたいと思いますか」といった直接的な質問でなく、投影法や文章完成法などで探った方が、より深いものが得られるとしている。組織のニーズや地域社会のニーズについても、インタビューや調査による把握のしかたについて、多くのスペースを割いている。また、ニーズと関心の関係についても指摘している。ただ、ニーズのレベルやその把握における教育者と学習者の関係については、論議のあるところであるが、その種の論争には触れていない。論者によっては、学習者のニーズに応じるとすることが、しばしば心理主義に陥って、ニーズを規定している社会から目をそらせる結果になっているといった批判があり、またニーズの発掘という教育者の取り組みが、ときに教育者の専門主義を強めることに対する懸念も表明されている。

 本書の特色は、成人教育実践に役立つよう、成人教育の包括的プログラムの組織と運営に多くの頁を割り当て、宣伝・広報活動や評価についても詳しく述べていることにある。集団の中にあっても、個々の学習者に対応するため、あらかじめ論議を通じてそれぞれの目標やそれを達成するための資源・方策などを明らかにする契約学習を提唱していることも、注目される。この訳書で、本文三七八頁に対して付録が一三五頁と膨大なのも、実践に役立つ手引きやワークシートがきっちりと掲載されているからである。

三 アメリカ成人教育論の特徴

 アメリカの成人教育の書には、他の教育書と同様、このような方法への関心が強いものが多く、心理学の成果を参照しながら実用的なものになっている。本書はその面目躍如たるものである。その半面、引用がアメリカの心理学者・社会学者や成人教育者に限られる傾向がある。本書は、ヨーロッパにおける成人教育研究やそこで展開されている論にはほとんど触れていない。アメリカの有名な教育誌『ハーバード教育評論』にも寄稿しているフレイレについての言及もない。一九七〇年においてはともかく、八〇年に出された本書でもそうである。成人教育方法研究においては、アメリカが比較的早く、量的にも多くの者が取り組んだという自負の現れであろうか。英米の成人教育の比較でもとりあげられているように、アメリカの成人教育には、社会構造への踏み込みが少なく、それと無関係に教育方法確立への関心が強いことが関係しているのである。それが教育の独自性を見出すことになると考えられている。

 日本の社会教育論には、社会関心が強いものが多い。社会認識の深化、個人の変革と社会変革の関連づけ、地域づくり実践と学習との結合などが重視され、論じられてきたのである。さらに、個人的学習と社会的学習を分け、もっぱら社会還元に意味を見出す成人教育論も少なくない。これらと比較しながら本書を読むと、また興味深いものがある。日本でも、このところ、成人教育方法への関心が高まっている。社会教育においてもこれまでの地域における取り組みを重視しながら、職域その他で行われている成人教育の方法にも目を向け、新たな方法の開発を模索している。社会同和教育において新たな地平を開き、人権文化の創造に向かったり、識字・日本語学習など成人基礎教育において、共に学び合うことによって共生社会を広げようとすることが、このような成人教育への関心を増しているのである。第二次世界大戦直後、盛んであったワークショップによる学習が、新たな装いで再び盛んになっているのも、この動きと連動しているのである。

 このようなとき、本書が訳され、出版されたことの意義は大きい。成人教育の方法にこれほどの詳細な記述があることが瞠目に値する。近年、イギリスのデインズとグレアムの『おとなが学ぶときに』、ロジャーズの『おとなを教える』、カナダのクラントンの『おとなの学びを拓く』などの訳書が出版されていて、それぞれ興味深いものであるが、扱っている範囲の広さは、本書において特に見られるものである。監訳者による解説も、本書の位置づけを考える上で役立つものである。訳もおおむねわかりやすいものとなっていて、訳者たちの苦心がしのばれる。

 ただ、日本やヨーロッパの成人教育論には、もっと社会との関係で方法についても考察したものが多いので、たとえこれらが荒削りであっても、比較対照しながら本書を読むことが重要であろう。北米大陸でも、カナダのマイケル・コリンズのように、社会的観点から成人教育者の心理主義的専門指向を批判的にとらえたものもある。学習方法は本来学習内容と密接に関わっているのであり、教育知識についての突っ込んだ考察も必要である。とりあげる知識を問題にせず、態度変容論に重きを置いて成人学習方法について論じることが妥当とはいえない。ノ―ルズも、知識を軽視しているわけではなく、態度変容の手法に偏ることは避けている。さらに、これらについて検討を重ね、多角度から成人教育をとらえながら、より適切な理論を構築することが課題となっているのである。