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書 評
 
評者ダヴィド・マリナス
部落解放研究149号掲載


ディディエ・ドマジエール著/都留民子訳

失業の社会学
 〜 フランスにおける失業との闘い 〜

(法律文化社、二〇〇二年二月刊、四六判・二〇二頁、二六〇〇円+税)

 はじめに

 私が生まれた一九七七年は、フランスの不景気が始まった時期と重なっている。私の世代が最も頻繁に聞いた言葉は、「失業」にほかならない。不景気が原因で失業人口が拡大するという過程は、フランスまたヨーロッパだけの経済的政治的問題ではなく、最近日本においても同じプロセスが強まっている。

 ディディエ・ドマジエールの『失業の社会学―フランスにおける失業の闘い』は失業率が一二%を超えた一九九五年のフランスで出版され、失業率が五%を超えた二〇〇二年の日本で翻訳された。とはいえ、著者は失業という現象を、データ、数字、比率、あるいは?当たり前のこと?と捉えているわけではない。むしろ、この本の第1〜5章では、「失業」という言葉が歴史的構築物であり、変化する社会政策のカテゴリーと研究者の観念であるとする立場をとっている。各章のタイトルは以下のとおりである。

 第1章 失業:議論のある概念

 第2章 失業の算定と輪郭

 第3章 失業からの退出

 第4章 失業対策のパラドックス

 第5章 失業のなかで生きる

 本書の特徴は大きく二つある。一方で、各章では、一般的なテーマを通して―例えば人々が失業からいかにして脱出するか(第3章)、人々が失業のなかでいかに生活しているか(第5章)―議論する研究全体をパノラマ的に記述する。逆にいえばドマジエールの思想や結論はあまり出ていない。他方、著者は全章を通して「失業」のカテゴリーと役割の変化を分析しつつ、フランスの全体社会の変化、より詳しく言えば、雇用システムの変化を説明する。「失業」のカテゴリーから社会全体をパノラマ的に分析すること、これがドマジエールの目的である。

各章へのコメント

 まず、第1章と第2章では、「失業」というカテゴリーの歴史的構築過程を明らかにし、さらに一九六〇年代からこのカテゴリーが曖昧になってきたことを指摘する。六〇頁ほどで二世紀分の歴史をまとめているため、重要なイヴェントしか語られていないが、著者の歴史的アプローチにより、フランスの「賃労働社会」の変化が解明される。彼によれば、一九三〇〜六〇年代までのフランス社会は、三つのカテゴリー―雇用(フルタイムで長期)、雇用なし(退職者など)、失業―で分類される。一九六〇年代から、この各カテゴリーの境界に新しい雇用カテゴリーが生まれ、拡大の一途をたどっている。例えば、失業者と従業者の間にパートタイム雇用と短期雇用が発達し、多くの公的カテゴリーが生まれた。これにしたがい、「雇用」と「失業」のカテゴリーが曖昧になっていく。こうして、失業のカテゴリーは一つではなくなっていく。

 しかし、このような分析は、「失業」の概念への批判的評価をなくしてしまう。失業という公的カテゴリーは社会問題を指す機能もある。一九九五年にフランスにおいて「失業」は四〇〇万人ちかい大きな数字を示した。これにより、社会全体の失敗がはっきり見えてくる。政策の議論だけではなく、社会学においても、デュルケームは、有機的連帯は雇用のもとで存在し、失業はアノミーであって社会全体が不安定化するとしていた。「失業」のカテゴリーを解剖しようとすると、社会問題、あるいは政治問題への批判的評価という側面がなくなるという副作用があるのではないか。現実に残っている社会問題・政治問題を捉えるためには、ほかの概念、例えば新しい貧困や社会的排除といった別の概念をとり入れる必要が生じる。しかし、著者はこの新しい概念に反対しており、私はこれに対して疑問をもつ。ドマジエールは社会問題を指し示す概念を提示せずに次章のテーマにすすんでいる。

 第3章では、ドマジエールは「雇用確保力」の要因として大きく二つの考え方があることを紹介している。一つは、性別、年齢、社会階層という伝統的な要因である。また、最近の研究として、個人の能力(開発)、意欲、人脈という要因による「雇用確保力」を紹介している。

 しかし、多くの研究を紹介したこの章は、パノラマ的ではあるが、何らかの議論を提示しうるだろうか。確かに、多くの研究は「雇用確保力」の要因をめぐって二つのグループに分かれており、結論が対立している。そこで、ドマジエールの判断が期待されるのだが、それはあまりはっきりした形では提示されていない。そのため、一つの疑問が残ってしまう。社会現象は、何らかの?思想のペンチ?でねじ曲げることのできるようなものなのだろうか?

 最後に、第4章と第5章では、失業者を救う専門的な公的機関あるいは民間組織に関して、その機能を明らかにしている。これらの組織は、失業者を一般社会に「参入」させる目的を持っているが、同時に、失業者に新しい労働市場の状況―不安定雇用―について説明し受け入れさせるという機能も持っている。フランスよりももっと自由主義的な英米では労働市場への直接的な経済政策によって規制緩和を進めてきたのに対し、フランスではそのような直接的経済政策が難しかったため、公的機関および失業者を支援するNPOなどの民間組織を通じて、相反する性格を持つアンビバレントな社会政策として行われた。

全体的なコメントその一―仏語版と日本語版の比較から―

 次に、仏語版と日本語版を比較しながら述べていきたい。日本語版の特徴は「今日の失業と社会学研究」と題された補論である。フランスの産業システムの変化というドマジエールのテーマについて仏語版の発刊以降の状況を追っており、非常に有益である。

 日本語版全体については、二つの困難があったはずである。一つは、専門用語、特に、フランスに特有の状況を表す公的カテゴリーである。翻訳にあたった都留先生は、以前もフランスの失業に関して本を出版した専門家であるからこそ、巧みな翻訳が可能だったのだろう。また、仏語版はフランス人にとってもわかりにくい文章であったため、日本語版は大変な苦労の成果のはずである。

 翻訳には表面的な小さな間違い―二つのみだが―があるが、それはさておき、フランスの現代社会の変化、そして一九九五年までのフランスの失業研究をまとめた本が日本に紹介されたことは非常に有意義である。失業に関しての歴史的な分析、また現代フランスの調査の紹介が現代日本のなかで持つ意味は、外国の事例、あるいは歴史的関心ということだけではないだろう。不安定雇用、失業率の上昇、ローカルな社会政策の展開、新しい貧困現象等は、フランスだけの問題ではない。労働コストの削減のために、賃金を切り下げたり労働者が簡単に解雇されたりする過程は、現代日本社会でも進んでいる。グローバリゼーションの時代において、比較アプローチそして横断的分析も必要性が高まっている。日本とヨーロッパの比較として、この本は非常に重要である。

全体的なコメントその二―批判的考察―

 ドマジエールは、カテゴリー―あるいは概念や観念―としての失業を定義する。それに従えば、今日誰が失業のカテゴリーに含まれ、誰が雇用のカテゴリーに含まれ、誰が非雇用のカテゴリーに含まれるか、その境界が曖昧になるというよりも、むしろ境界に属する人々が増加しているというのである。この雇用の変化を中心とした分析から、社会全体の変化の分析へと進んでいく。そして、それぞれの個人、特に弱者(失業者または貧困者など)が社会的地位を改善しようとするなら、この状況を受け入れなければならないという。

 しかし、この「状況」の説明には二つの疑問がある。まず、この新しい社会全体の「状況」を受け入れることは、言い換えるなら、以前との比較において生活レベルと生活の質を低下させることにほかならない。この過程は、あらゆる先進諸国で進んでいる。この「状況」というより「結果」が引き起こされた原因は、重要なポイントである。例えばグローバリゼーションの議論のもとでは、生活レベルの低下の原因を不景気に帰する見解もある。資本主義の危機による生活のレベルダウンではなく、資本主義の論理によるレベルダウンだという考え方もある。生活の不安定性も拡大し、最近フランスで行われた大統領選挙が示したように、ナショナリズムへの屈曲が進んでいる(極右の国民戦線を率いるルペンが大きく票を伸ばした)。しかし彼は、不安定雇用の増加を、所与の事実として捉えているため、その変化にともなう生活の質的悪化に十分目を向けていないのではないか。

 また、社会全体のこのような「状況」に対して、どのような態度をとるべきかという問いに対する答えは三つある。第一は消極的な対応である。新しい状況を受け入れることができないままでいることである。第二は積極的な行為である。新しい状況を受け入れて適応することである。この二つについては、ドマジエールの議論にも表れている。

 しかし、もう一つ対応があるのではないか。民主主義では、社会はその構成員のものである。批判的運動、そして団体交渉、それが三つ目の選択肢である。新しい社会運動、労働組合主導ではないデモ、居住権・労働権・市民権といった人権の獲得をめざして闘う組織が、一九九五年から非常に増えている。これは、市民の意見の排除、あるいは人の排除をもって社会を成り立たせることはできない、というメッセージである。

最後に

 私が成人したのは一九九五年である(フランスでは一八歳で成人とみなされる)。その頃から、フランスでは不景気が進んでいる。私の世代が最も頻繁に聞いた言葉は「失業」であったが、それ以後、他の概念も使用する必要が認識されてきた。今日、「弱者」、「社会的に排除された人々」、「余剰の人々(surnum屍aires)」、「無用者になった一般市民(normaux devenus inutiles)」、「被排除者(les exclus)」という様々な言葉で社会の不安定性を分析する研究が増えた。

 しかし、日本の場合、社会の大きな関心は失業にあり、失業問題に関する研究の必要性が高まっている段階である。そういう状況のなかでドマジエールの著書は、外国の経験と研究を紹介して一つの魅力がある。

 本稿の日本語表現に関して、とくに荒又美陽さんにはたいへんお世話になった。この場を借りてお礼を申しあげる。


(1)都留民子『フランスの貧困と社会保護』京都、法律文化社、二〇〇〇年。

(2)L. Boltanski, E. Chiapello, Le nouvel esprit du capitalisme, Paris, Gallimard, 1999

(3)Jacques Donzelot, in Lユexclusion lユEtat des savoirs, Paris, La d残ou- verte, 1996, p.89.

(4)Robet Castel, in Lユexclusion d伺inir pourenfinir, Paris, Dunod, 2000, p.40.