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書 評
 
評者李 嘉永

江島晶子著

人権保障の新局面
ヨーロッパ人権条約とイギリス憲法の共生

国家はどのように国際人権規範を受け入れたか。戦後、国際人権制度は著しく発達してきたけれども、各締約国国内の生活空間に実現されてはじめて、その実効性を語りうる。そうであるとすれば、冒頭の問いは、制度構築から実践へと重点が移っている今、まさに中心的な論点であるといえよう。本書は、イギリスにおける国際人権法、とりわけ欧州人権条約の国内的実施の変容を丹念に追跡し、「共生関係」という概念を軸に、人権保障における上昇スパイラル過程を、実証的に描出するものである。

本論冒頭の第2章では、1998年人権法制定以前に、欧州人権条約がイギリス法上どのように位置付けられていたかが概説される。世界に先駆けて権利章典を制定したイギリスは、人権条約起草の当初から、当該条約の国内法化を不必要としていた。しかし個人申立権・義務的管轄を受諾した後、敗訴の連発をうけて、行政・司法が当該条約に注意を向けていく。特に裁判所は、制定法解釈につき厳格な文言主義から、制定法・条約合致の一般的推定へと、対応を大きく変容させたとある。それゆえ、個人申立制度が重要だと総括する。

かかる変容を、個々の判例分析を通じて実証したのが、続く第3章である。伝統的な議会主権原理と国際法・国内法二元主義から、いかにしてイギリスの裁判官達は一歩を踏み出し、人権条約の解釈適用を繰り広げてきたか。その手法の数々を、それぞれの判決から緻密に紡ぎ出していく。そしてその作業の末に、筆者は次のように小括する。すなわち、「イギリス裁判所の工夫や学者・裁判官の理論的試みは、国内法における条約の法的効力如何(中略)を問わず、かつ実際上の国内法化の有無を問わず、国際人権条約を国内裁判所において適用・解釈しようとする際に、多くの示唆を提供する。」しかしそれでも、議会主権との関わりで裁判所は説明を迫られたのであって、かかる困難を克服するためには、やはり国内法化を要したのである。

そこで第4章では、権利章典制定論争の末に、1998年に制定された人権法が分析される。欧州人権条約の諸規定が英国制定法上編入されることにより、裁判所は、かかる規定を法上正式に適用しうることとなったのである。また、条約規定のみならず、欧州裁判所の判決や、欧州人権委員会の意見なども、権利の解釈に当たって考慮されることとなっている。しかし、他方で、編入の形式上、いくつかの悩ましい問題も存在すると指摘されている。例えば、条約上の権利に抵触するとしても、無効にしうるのは議会法以外に限られ、議会法については不適合宣言を行いうるに過ぎない。とはいえ、かかる法律自体に対しては、そのインパクトは想像以上だと評価している。

結論部で筆者は、日本・英国間の相違点と共通点を踏まえた上で、英国における人権保障の検討から引き出された教訓から、日本の国際人権保障に対する消極性を打開するためには、やはり個人通報制度の受諾がその出発点となると指摘する。

「規約人権委員会の一般的意見は法的拘束力をもたない」「委員会の見解はそもそも法的拘束力を持たないし、日本は選択議定書の締約国ではない」「かかる権利はそもそも社会権であり、A規約の問題である」。こういった言説が、現在日本の裁判所で飛び交っている。かかる推論を論駁するに当たって、本書で検討されたイギリスの経験は、まさに重要な示唆を与えてくれるはずである。英国法・国際法と、なじみのない法分野を対象とし、かつ緻密な分析が積み重ねられているため、読み進むには根気がいるが、それに見合う発見がある重要文献である。ぜひご一読をお勧めしたい。

(日本評論社刊、A5判318頁、定価6000円+税)