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書 評
 
評者内田 龍史

宮本みち子著

若者が<社会的弱者>に転落する

  『若者が<社会的弱者>に転落する』という刺激的なタイトルが掲げられている本書は、青年社会学を専門とする著者の、1996年から2002年にかけての青年問題に関する著述をまとめなおしたものである。

  著者の問題関心は、「大人」になる前段階、青年期と成人期の間のライフステージにあたる「ポスト青年期現象」は、社会経済変動によってもたらされており、教育、雇用、家族、価値観の根本からの見直しが必要な社会構造的問題であるにもかかわらず、そのことが社会問題化されないことに対する危惧にある。そうした状況について、先進工業国における共通性と日本社会の独自性の両面から、若者の社会的地位の変動(転落)にかんするさまざまなデータを用いてその危機的状況を指摘する。

  若者の状況を変化させる要素として著者が繰り返し指摘するのは、「労働市場の悪化」、「必要とされる教育水準の上昇」、「家族の不安定化」の3つである。「労働市場」の悪化は言うまでもない。不況に加え、建設業・製造業からサービス業への構造転換は若年層の正規雇用を奪うこととなる。

  また、高い教育水準と経済環境に恵まれた若者には専門性を生かし、チャンスが増大する可能性があるが、そうでない者は職にすらつけない状況に追い込まれる。さらに、性役割規範の変化や結婚・家族形成の拒否や引き伸ばしにより、結婚形態の多様化が進み、自由の拡大と同時に生活の基盤を不安定なものにしてリスクを高める。

  結局、これらの社会経済的変動により、若者が「大人」になることが不明確になってしまっていると著者は指摘する。「戦後型青年期」が確立していた時代には、「大人」になるための支援は、学校による就職斡旋と親や身近な人々の支援による配偶者選択・結婚の二本柱で成り立っていた。終身雇用を建前とする職場では、男性は、雇用による所得保障・社交・福利厚生など生活全般が保障され、あえて「自立」を問う必要はなかった。他方、女性は、職業上の自立や経済的自立は問われず、家庭で責任を果たすことこそ自立であった。産業構造の転換と労働条件の悪化、そして性別役割にもとづいた家族の解体は、若者が「大人」になる方法を奪ってしまったのである。

  本書は若者の危機的状況がどのような社会経済的変動によりもたらされたのかを的確に教えてくれる。さらに、ともすれば安易な若者バッシングを許してしまう風潮や、社会問題の私化を生み出してしまう社会の、社会学的な分析の必要性を示唆しているようにも思われる。ただし、こうした状況に対する特効薬は見あたらない。状況を改善するためには、現状を丹念に把握することが求められる。そのためにも、労働・教育・家族・社会政策研究者によって、学際的な研究がなされる必要があろう。今後の「青年問題」研究の展開を見守りたい。

(洋泉社刊、新書判184頁、定価720円+税)