水平運動史研究者とは何か
冒頭から失礼なもの言いになるが、評者にとってはきわめて読み通しにくい本であった。といっても構成に難があるとか、表現がわかりづらいというわけではけっしてない。
本書は、朝治武・黒川みどり・関口寛が、六つのテーマで七本の報告を行い、それぞれの内容について、藤野豊が進行役となって議論を展開するという構成になっており、報告の趣旨は明快、意見の違いは鮮明で、理解に困難なところはほとんどない。
それでもページをめくる手が止まってしまうのは、さまざまな思いを去来させ、書棚や記憶のなかの別の本にまで考えを広げていきたくなるようなきわめて大きな問題がここかしこで提起されているからである。
たとえば、関口は「社会運動をどう見ていったらいいのか」(五八頁)と問いかけ、これについては「水平運動の研究に限らず他の社会運動史の研究でも明解に説明できている例」(一二九頁)を知らないという。社会運動史の叙述という営為に対する根底的な発問といえよう。
しかし、こうした社会運動一般の問題に足をとられて考え込むわけにもいかないので、これを振り切って水平社へと進むと、今度は、朝治が「部落解放運動は、どこに結集軸があり、何をもとにした運動なのかということが問題であり、課題」(一一二頁)だと、つい最近まで多くの人が自明としてきたはずのことに疑問符をつけて待っている。
さらに黒川は、近年そのゆらぎが論議されている「部落民」概念の検討をさらに進め、「『民族』に近い意味合い」をもつエスニシティが「部落問題を考える上に、一つの手がかりになるのではないか」(一五六頁)と大胆に提起する。
なにやら難問を自らつくって苦しんでいるようで、そのようにせずとも事実を一つひとつ確定していくという歴史研究の本道に徹すればよいのではと思いたくなるが、それだけではだめだと朝治はいう。
「研究者がどういう位置で何を誰に対して語っているかということと、アイデンティティの問題とは密接にからんでいて、またこれが同時に差別の重層性、多様性の問題にもかかわっていると思うのです」(五三頁)。
こうしたアポリアを乗り越え、それでもなお水平運動の歴史を解明しようとする研究者とは、いったいどのような人である(べきな)のか。近年話題となった「部落民とは何か」という問いのひそみにならっていえば、「水平運動史研究者とは何か」―実は、これが本書の底に一貫して流れている隠れた主題であるようなのだ。
論じられなかったことは何か
水平運動史研究をめぐってこうした問題が提起されなければならなかったのは、多くの人が認めているように、これまでの研究がすでにデッドロックに乗り上げていたことが明らかになり、新しい観点が次々と示されたためであった。
黒川は、一九九〇年代以降に新たな視点をもって登場してきた水平運動史研究の方向として、
- 水平運動内部の民族差別意識とそれに関わる戦争責任の問題の追究
- マイノリティの内部に存在する、他のマイノリティに対する差別の究明
- アイデンティティ概念を導入した運動史理解
- 史料の豊富な調査研究に裏づけられた実証の精緻化
という四点をあげる(二二〜二八頁)。
朝治はさらに水平運動の具体的事実が見直されていくなかで、
- 「水平運動の臣民平等的傾向」についての指摘
- 「共産主義勢力が水平運動を指導した」という見方への批判
- 「水平運動の融和運動及び保守政党・政財官との接近」についての指摘
- 「戦時下の水平運動の戦争協力とアジア認識の問題」に関する論議
があらわれるようになったという(一〇八頁)。
こうした研究の進展によって、表題となっている「水平社伝説」は、その虚構性があばかれてしまったのである。本書においても、右のような研究動向を踏まえて戦争責任論、マイノリティ論、アイデンティティ論がさまざまな角度から繰り返し議論されている。
あえて強調するまでもないことだが、右のようなテーマはそれぞれに重要であり、これらについて論議を進めることによって、研究はようやく次のステージに移行できるに違いない。そしてこうしたテーマを選び、これに積極的に挑んで展望を見出そうとする四人の筆者の、今という時代を見抜く鋭敏さには率直に敬意を表したいと思う。
また、このような戦争責任やマイノリティ、アイデンティティなどに関わる問題は、水平運動史研究だけがぶつかって苦しんでいるわけではない。今や人文・社会諸科学のあらゆる分野でこれらのことについて議論が進行しているのであり、水平運動史研究もまたそうした大きな渦のなかで鍛え直されようとしていることを、本書からみてとることも可能だろう。
しかし、水平運動史研究がその独自性を発揮し、なおかつ人文・社会諸科学の新たな展開に関与しようとするならば、本書においてもまだ十分に深められていない問題があると思う。
水平運動が、労働運動や農民運動などと決定的に違う点は、一言でいえば差別というある意味ではつかみどころのないものを対象としていることであろう。したがって、その歴史研究の方向性を議論する上で欠かすことのできないものは、差別論(あるいは差別の関係論)とでもいうべきものではないだろうか。
つまり、一九二〇年代の部落に向けられていた視線とはどのようなものであったか、それを覆すために水平運動は何をどのように撃とうとしたのか、撃った結果、視線はいかなる変容を示したのか、そしてその変容を受けて運動はどのような反応をみせていったのか―たとえば、こうした諸点についてどのように研究を深めていくかを論じていくことが、水平運動史研究には期待されているのではないだろうか。
しかも、差別―被差別の関係のありようは、それが私的な人間関係に依拠する部分が大きいだけに、各地域の特性・多様性の解明を踏まえなければ明らかにすることはできないだろう。ここに黒川の指摘のうちの?実証の精緻化ということが大きな意味をもってくると思われる。
むろん、実証という点では四人の筆者も重要な仕事を果たしてきている。四人のこれまでの研究成果を参照すれば明らかなように、各自のフィールドで史料を丹念に読み解く作業を続けてきており、それを踏まえて本書のなかで、藤野はたびたび他の三人に対して大阪・三重・奈良などの具体的な地域の動向について説明するように求め、また、自ら手がけた神奈川や富山などの状況について発言を重ねている。
このように地域の個別の状況については十分に目は配られているのだが、しかし、そこにおいてもそれぞれの地域で個別に発現する差別それ自体のありようまでは必ずしも明確に射程にとらえられているとはいえないと思う。
論じていくべきことは何か
では、つかみどころのなさそうな差別それ自体を明らかにする方法とは何か―「水平社伝説」から「解放」されたあとの道なき荒野に待ちかまえている、このもっとも手強い主題にどのように応えればよいのだろうか。
むろん、評者とて有効な回答をもちあわせてはいない。しかし、あれこれの外在的な思想や主義のなかにではなく、二〇世紀のなかごろから今日までを生きてきた自らのなかにしかその答えは見出せないのではないかと考えている。
このことに関して関口が次のような印象深い言葉を残していた。「現代社会に生きる人びとにとっても、イデオロギーよりも、『自分は何者か』という自身のアイデンティティのほうが重要な関心事になってきています」(五三頁)。
確かにその通りで、おそらく「人びと」一般だけでなく、「現代社会に生きる」歴史研究者もまた「自身のアイデンティティ」にもっぱら関心を向けているようである。
しかし、そこで「何者か」と問われている「自分」とは、差別―被差別の関係も含めた社会の諸関係の網の目にある「自分」であることを忘れてしまってはならないだろう。
かつて蓮實重彦は隆盛の社会史を酷評して、アナール学派を受け継いだと称する人びとが、匂いの歴史や食物の歴史などといった「特殊な社会的主題をめぐる研究」を量産しているが、それらのなかには、「著者個人の学者としてのアイデンティティの確立を目論んでいるだけ」で、「過去を対象とした研究ではあるが、歴史と触れ合う接点の維持をあらかじめ放棄している」ものが多いと述べたことがある(蓮實・山内昌之『20世紀との訣別―歴史を読む―』岩波書店、一九九九年)。
この世にはまだ明らかになっていない「社会的主題」は無限といっていいほどにあるだろうから、そうした一つひとつの歴史を解明していけば、無数の論文を生産することが可能だろう。しかしながら、そのなかで、やはり「社会的主題」の一つとして歴史的に形成されてきたはずの「著者個人」と向き合わず、「歴史と触れ合う接点の維持」を放棄していれば、その論文はなんとも弛緩した作品となるのではないか―蓮實はこのように主張していると思われる。
すべての人は、時に差別者になり、また被差別者になる。抑圧に加担することもあれば、それを負わされることもある。そのような関係性のなかを生きるしかない自身が、水平運動の歴史を研究しようとしている、その矛盾と緊張を意識するなかで、ようやく意味のある研究が可能となるのではないだろうか。
本書巻末で、藤野が三人それぞれに今後の研究テーマを問うている(二七一頁)。朝治は、「戦時下の水平運動」を、黒川は、「境界、アイデンティティ」の変化を、関口は、部落解放運動の「戦前と戦後の連続性」を追ってみたいと答えている。大きな問題を提起した以上は、それぞれの研究をさらに深化させた上で、「伝説からの解放」後の状況を再び論じ合う責務が四人の方にはあるのではないかと思う。その成果を楽しみに待ちたい。
もちろん、その責務は四人にだけあるのではない。本書を手にしたすべての読者に、そして、このように勝手気ままに読み解いた評者自身にもあることはいうまでもない。
といったことをあれこれと考えさせられたので、なんとも読み通しにくい本だったのである。