この書評の準備をしていた二〇〇三年四月二五日、独立行政法人国立国語研究所「外来語」委員会が和製英語を含む分かりにくい外来語の日本語による言い換え提案の第一回分として六二語の用例を公表した。例えば「バリアフリー」は「障壁なし」、「フォローアップ」は「追跡調査」、「モラトリアム」は「猶予」、「ライフサイクル」は「生涯過程」などである。
今回盛り込まれなかった語も今後意見を募るなどして示していく予定という。その第二回の言い換え提案の対象語に、本書の表題にある「アイデンティティー」(委員会の示した表記のまま)が含まれている。確かにこの語を従来の日本語で一言で適切に表現するのは難しい。
本書では第一章の冒頭で「アイデンティティとは、自分が何者か、どこに行こうとしているのか、という自我の感覚であり、社会的にいえば、自分がどういう集団に属しているかという自己認識、自分にどういう価値があるかという存在証明でもある」(八頁)と規定されている。著者はすでに『子どもの心がひらく人権教育 アイデンティティを求めて』(解放出版社、一九九九年)において自らの教育実践をふりかえりながらアイデンティティ形成に関する理論的検討をされており、本書は部落の青年層を対象とした、その実践的検証編といえるものである。
本書は、部落解放・人権研究所編『部落の21家族 ライフヒストリーからみる生活の変化と課題』(解放出版社、二〇〇一年)中の著者が分担執筆された「青年のアイデンティティ形成 心理学的な側面から」(五四三〜五〇四頁)が大幅に加筆修正され、改題されたものである。この研究報告は部落解放・人権研究所主催の生活史聞き取り調査結果がまとめられたもので、一九九五年から一九九七年にかけておこなわれた大阪府内の被差別部落八地域の二一家族、総勢五七人のうち、本書が対象としたのは一〇代後半から二〇代前半の一八人とその親である。また、本書では『大阪府 同和問題の解決に向けた実態調査報告書』(二〇〇一年、調査は二〇〇〇年に実施)も適宜参照されている。
まず、一八人の青年たちの語りから、第一章では、かれらの部落アイデンティティのありようが「部落アイデンティティ中心志向型」=「部落アイデンティティの比重が非常に高い者、すなわち強固な部落アイデンティティを選択している者」、「多元的アイデンティティ志向型」=「部落アイデンティティはあるが、いくつかのアイデンティティのうちの一つと捉えている者」、「モラトリアム志向型」=「部落アイデンティティがなくはないが、アイデンティティ意識が非常に希薄で、自己のアイデンティティを確定することそのものに消極的あるいは否定的な者」、「アイデンティティ葛藤型」=「上記の三つのどれをも選択できないで、まだ葛藤状態にある者」で「方向性としては『部落アイデンティティ中心志向型』か『多元的アイデンティティ志向型』かの二方向のどちらかをめざして葛藤しているというプロセス上にある」(九〜一〇頁)の四つに類型化され、各類型について二人ずつ計八人の語りから各個人の成育史をたどりつつ、各類型の特徴が記されている。
あわせて、青年たちの「成長に少なからず影響を及ぼしている」「地域の運動としての部落解放運動や子ども会活動、学校での同和教育」の概要が説明されている。調査対象者である青年たちが「小・中学校を過ごした時代」である「一九八〇年代から一九九〇年代前半にかけて」(四四頁)の「時期の同和教育の特徴的な傾向」は「学校と地域、親が一体となって共に取り組んだということ」、すなわち「地域や親の思い、要求を受け止めるかたちで学校の同和教育は発展してきた」ことであり、「解放運動に関わるおとなたちが、『部落差別と闘う子ども像』を理想像とし、子どもたちを地域ぐるみで育てようとしたからであり、『闘うことに誇りを持つ部落民』への同一化を促すといったアイデンティティ形成の側面を持っていた」ことによって「この目的意識的な同和教育は、まさに生き方の教育であり、肯定的な部落アイデンティティ形成をめざしていたと捉えることができる」(四六頁)とまとめられている。
第二章では、「アイデンティティと対人関係」の関連について、まず第一章で示されたアイデンティティの各類型ごとにその特徴が記される。次に、「対人不安」と「自己開示」(「集団を前にしておこなう部落民宣言と、重要な他者に対してのみおこなわれる個別の自己開示」)及びその葛藤のあり方が論じられ、続いてこの葛藤と関連する、部落外の他者との人間関係における「被差別体験」と「被差別意識」についての考察がなされている。ここでは、「被差別体験の有無と被差別意識は、必ずしも一致しない」(六四頁)点が注目され、「被差別体験による心的ダメージの大きさは、その後の対人不安につながる被差別意識と必ずしも直接的に結び付くものではなく、他者との関係においてダメージがどう回復され、自己意識がどう再建されていくかにかかっているのである」(七〇頁)と考察される。
さらに、部落内の人間関係が肯定、否定の両面から検討され、「部落外の他者との人間関係の緊張感や不安感」に対して「部落内での親密な人間関係での安心感と信頼感」が「逆のベクトルとして働く心理」として対置されたうえで、その安心感と信頼感の根拠として、「幼い時から一緒に育ってきて多くの共通の体験があるということ」「同じような実感の共有」「立場性の共有」「親たちの部落内の付き合い方を自然と学んでいる」(七八頁)ことの四点が示される。しかし、部落内の人間関係への否定的、批判的な見方があることも指摘され、「同じ被差別部落の立場だから思いを共有できるとか、信頼できるとは限らないということである」(八〇頁)と確認したうえで、「これからの青年たちは、部落内の人間関係のみに固執することなく、外の世界へと自己を開いていくことで自分探しを始めている。今後の運動のあり方如何によって、彼ら青年層の感じ方も変貌していくだろう」(八一頁)と記されている。
第三章では、アイデンティティの形成過程について、家庭・親の影響、地域ぐるみの同和教育の影響が検討され、アイデンティティ形成の要因について、「両親の部落アイデンティティ」と「子ども会や学校の同和教育」からの影響とともに、「被差別体験」が影響する「部落内外の友人との人間関係」との相互作用によるものとして図式的に整理されている。ここでは「親の世代と彼ら青年層の世代との大きな違いは、彼らの親の世代には、多元的アイデンティティというタイプが、ほとんど存在しないということである」点が指摘され、「今、青年たちは、親の背中を見ながら、肯定的部落アイデンティティを獲得しながら、なおかつ多元的アイデンティティを、あるいはモラトリアムを志向している。
進学率が伸び、職業選択の幅が広がるにつれて、アイデンティティの多様化も進んできたということである」(九〇頁)と記されている。また、「今回の聞き取り対象者は(中略)どのタイプの青年にも共通して(中略)肯定的な部落アイデンティティをもっている」ことについて、その背景に「教育の影響力の強さを感じる」として、「まさに地域ぐるみで展開される同和教育」と部落内外の「子どもたちをつないでいく仲間づくりの日常的な取り組み」によって、「アイデンティティは多様でも、差別に屈することなく生きるという生き方の中核的価値は、人間関係を通して、幼い頃から子どもたちの心にしっかりと根付いているといえよう」と記されている。そして、「とりわけ、対人不安を乗り越え、新しい人間関係を模索しつつある多元的アイデンティティ指向型の青年たちの生き方が示唆するものは大きい。『部落民』としての生き方があるのではなく、人間のアイデンティティは多元的であり、そのなかの一つとして、部落アイデンティティも選択できるのだという視点は、今後の人権教育を構築していくうえで重要ではないだろうか」(一〇五〜一〇六頁)と指摘されている。
最後に第四章において、これまでの同和教育の成果と課題が整理され、これからの人権教育の方向性が考察されている。
以上に少し詳しく紹介してきた内容からも理解されるとおり、本書はこれまでの「地域ぐるみの同和教育」が部落の若者たちのアイデンティティ形成にどのようなかたちで影響を与えてきたのかを、かれらと先行世代や同世代の人々との人間関係のあり方にも注目しながら描き出したものである。第三章で検討されているように、地域ぐるみの同和教育は、多様なタイプのアイデンティティの背景に共有されている「肯定的な部落アイデンティティ」を形成する要因として影響しており、その意味でこれまでの取り組みが基本的には成功してきたとする評価は首肯できる。しかしながら同時に、今日の変化しつつある部落において親の世代にはみられなかったアイデンティティのタイプが現れていることも指摘されており、むしろその「多元的アイデンティティ志向」のタイプに今後の教育の課題が見出されていることも注目できるだろう。
以下、本書を通してさらに考えていきたいことをあげてみる。まず、本書では部落の青年たちのアイデンティティ形成の過程については語りをもとに記述されているが、その各類型への分化の契機については各個人ごとの具体的な出来事の記述にとどまっている。アイデンティティ形成に影響する要因が多様であるという時、どのような要因がその分化の契機となるのか、要因間の関連やその影響力の大きさなどについての分析が必要であろう。これに関連して、「モラトリアム志向型」のアイデンティティの形成過程の検討が重要であると思う。それは、このタイプの部落の青年たちの「行動パターンは現代の青年層に最もよく見られるもの」で「サブカルチャーとしての若者文化というべき現象」であり、「部落と部落外の若者文化に差異がなくなっている」(一〇二頁)とするならば、今日の部落外の「差別する側」の若者たちの自己形成にも関わる課題だと考えられるからである。
また、予め断られているように、本書の対象者は子ども会や友の会などでリーダー的な存在であった若者たちを中心として、調査を受けてくれた青年たちである。しかしながら、かれらの語りの中でも言及される「ふだん問題行動ばかり起こす」(一〇〇頁)こともある部落の若者たちの存在をどのように考えればよいだろうか。これは本書では扱われなかった「否定的な部落アイデンティティ」の存在をめぐる課題である。否定的な部落アイデンティティは、本書で評価されているように同和教育の成果としてもはや見出されないのか、それとも見えにくいところでなお形成され得るのか。これまでのそして今後の教育の課題としても、そうした若者の意識の存在のほうがより気がかりであるだけに、できれば何らかのかたちでフォローアップしていくことが必要ではないかと思う。
最後に、本書に記されている若者たちとその親の率直な語りと、それらに向き合う著者の真摯な読みとりからは、今回の研究の成果とともに、それを可能にした相互の信頼に裏づけられた人間関係ということについても教えられることが多かった点を記しておきたい。