Home書評 > 本文
書 評
 
評者N

学校臨床学への招待
教育現場への臨床的アプローチ

近藤邦夫・志水宏吉 編
(嵯峨野書院 刊 A5判 337頁 定価2850円+税)

新たな研究領域「学校臨床学」

 本書は「学校臨床学」という新しい学問領域を切り拓いてきた二人の編者(臨床心理学者である近藤と教育社会学者である志水)と大学院生・現場教員を含む12人の若手研究者による論文からなっている。

 読者はまず「学校臨床学」という聞きなれない言葉に戸惑いを覚えるかもしれない。編著の一人である近藤は、「学校臨床学」を、一人一人の子どもや教師の心をていねいに見つめる「臨床心理学」、それをより広い社会的文脈の中で見つめる「教育社会学」、それら全体を「教育」という営みと関係させて考える「教育学」という3つの分野から形成されるトライアングルの、ちょうど中心点に位置する新しい学際的(研究が複数の学問分野にかかわる)な分野であると位置付けている。

「学校臨床学」は、「不登校」や「いじめ」、体罰問題等、学校をめぐる様々な問題が生まれる過程の解明とその解決策の探求を「臨床的」と言われる方法でおこなおうとする新しい学問分野なのである。

「臨床的」の意味すること

 ここでいう「臨床的」とはどういう方法を意味するのか。近藤はそれを「ものごとが起こっているありさまを遠くから眺めて頭の中だけで理屈で考えるのではなく、ものごとが起こっている現場にできるだけ近づき、入り込み、そこで起こっていることがらを丁寧に観察したり問題解決に具体的に関わったりしながら考えていく方法」であると説明している。

 近藤のいう「臨床的」手法(あるいはその研究姿勢)が、近年、教育社会学の分野において、意欲的に実践されているフィールドワークやスクール・エスノグラフィー研究の手法と共通する点の多いことは示唆に富む。このような「学校臨床学」構想に、もう一人の編者の志水が、全面的な支持を表明している点も理解できるのである。

では、「学校臨床学」は、どのような研究実践としてたち現れてくるのであろうか。紙数も限られているため、ここでは、編者である志水の共同研究者、清水睦美による「ニューカマーへの支援システムづくり−研究成果の現場へのフィードバックを軸に−」について簡単に言及しておくことにとどめたい。

新たな学校システムへの視座

 「研究者と現場の教師との協働的な連携は難しい」「現場には現場の論理がある」とよく言われる。このような中で、どのようにして教師と研究者が対等な立場で対話を開始し、「学校臨床的に」活動することが可能になるのであろうか。

 清水たちは、インドシナ難民が多く定住する首都圏Z地区において長期間にわたりフィールドワーク研究を続け、次のような知見を得た。

 ニューカマーの子どもたちの抱える様々な「問題」(例えば学力不振や逸脱行動等)が、日本の学校文化の中では「個人化」されて対処(『指導』)されるがゆえ、ニューカマーという「集団」に対する教育支援という枠組みが成り立たなくなっている、と。

 さて、このような研究成果を清水はどのようにして現場にフィードバックしていくことに成功したのであろうか。清水が取った方法は、単に論文や著作を執筆したりすることではなく、「学校の論理」の転換のためにこそ、「“問題”が“個人化”されて対処されるその場に居合わせ、その個々の子どもの事例をめぐる現場の教師や子どもたちとの対話の中に、これまでの研究成果を盛り込むこと」(傍点引用者)であったという。

「外国人の子を外国人として扱ってもいいんですよね?」「特別扱いしてもいいんですよね?」こうした現場教師たちの戸惑いながらの質問に、清水たち研究者が、決して高みからではなく、現場と同じ目線に立ち、誠実に応えていこうとする努力の中で、対話が深まり、両者の信頼関係も築き上げられていったのである。

 こうして、清水たち研究者と現場教師、地域のボランティア、そして当事者たち(ニューカマーの子どもや親たち)という4者による対話を通じて「学校の論理」が問われ、修正・変更されることによって、教師が変わり、子どもが変わり、そして学校が新しく生まれ変わっていったのである。

 「…それから4年、研究仲間とともに生み出した研究結果は、今、確実に現場に反映している。学校の教師や地域のボランティアとの対話、当事者である子どもや家族との対話、研究仲間との対話、そうした多くの対話を通して、われわれが現場の見方に学び、われわれの見方が現場に反映し、さらに、その反映の仕方にわれわれが学び…という、現場との双方向的な営みの中で新しい実践が生み出されつつある。そこに筆者は『学校臨床学』の地平を感じてもいる。」(清水)

終わりに 〜 学校現場と研究者の新しい関係の構築を

 以上のような清水の研究実践について、本書の編者でもあり、学校臨床学の「開学の祖」とも言うべき近藤は、自らが構想してきた「学校臨床学」が「ある程度具現化された」実践として高く評価していることを付け加えておく。

 このように、関東の地において「学校臨床学」という新たな研究領域が芽吹き、根を下ろしつつあることに大きな期待を感じるとともに、これからの学校現場と研究者の新しい関係を構築していくために、この「学校臨床学」は欠かせない研究分野となることであろうと確信する。

 同和教育・人権教育を実践する我々こそが、この新しい研究領域に積極的に学びたいものである。

(文責・N)