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書 評
 
評者朝治武
部落解放研究153号掲載

兵庫県水平運動史料集成

兵庫部落解放研究所編
(部落解放同盟兵庫県連合会、二〇〇二年一一月刊、A5判・六四八+索引六頁)

本格的な府県水平運動史料集

 本書の書評を自ら引き受けてしまったが、いざ書こうとすると何を書いたらいいのか分らないという困った状況に直面してしまった。察するに理由は本書が容易に書評しがたい史料集であるということのみならず、対象が生まれ育ったにもかかわらず二〇年も離れている兵庫であるということに起因しているようである。しかし本質的な問題は、私が兵庫水平運動について十分な知見を持ち合わせていないということに間違いない。そこで一念発起して私自身が兵庫水平運動にも取り組むための契機と位置づけて、不十分になることは覚悟して本書の書評を試みたい。

 本書に掲載された史料は以下のように構成されているので、史料の掲載点数とともに示してみよう。  

兵庫県水平社本部関係史料91
  地域別史料
   但馬地域19
   丹有地域26
   播磨地域136
   淡路地域16
   阪神地域30
   神戸市域87
  事件別史料
   柏原自動車襲撃事件18
   別府村騒擾事件38
   寺前小学校脅迫事件21
   小国鉄十郎銅像撤去事件7
   上東条小作争議5
   革興派差別演説事件5
   北中皮革争議63
   高松差別裁判闘争23
   松茸山入会闘争18
  その他の史料
   労農運動37
   評論24
   参考史料12

  他の府県単位の史料集が水平運動を中心としながらも部落問題全般を対象にしていたり全国の史料をも収録していたのに対して、本書は水平運動だけを対象とした初めての本格的な史料集である。史料の配列は編年ではなく兵庫県水平社本部史料や地域別史料、事件別史料という個性的な区分けとなっている。史料の残存状況にもよるが、史料点数だけから見ると兵庫県水平社本部を中心に兵庫においては水平運動が盛んな地域は播磨地域と神戸市域であったことが分かる。

  本書の最大の特徴となっているのは、事件別史料である。これらの事件は主として社会を賑わしたり、官憲の弾圧を伴ったりした事件であったから、史料として今日まで残存したのであろう。とくに、このなかでは北中皮革争議の史料点数が群を抜いている。また兵庫水平運動の解明に欠かせない労農運動についての関連史料が豊富であり、水平運動に関する多くの評論も収録された。しかし全体を通じて運動側史料や官憲史料は少なく、圧倒的多数が新聞史料である。いい換えれば、田宮武編『新聞記事からみた水平社運動』(関西大学出版部、一九九一年)をふまえた新聞史料の探索がなければ本書は成立しなかったといっても過言でない。

 本書には故城間哲雄氏の「兵庫県水平社創立七十周年に寄せて」(『ひょうご部落解放』第四七号、一九九二年六月)のほぼ全てが「概説」として転載され、一九三〇年代における兵庫県水平運動の特質を探ろうとした。また新たに三原容子氏の兵庫県水平社本部関係史料、地域別史料、事件別史料についての要を得た「解題」が載せられ、読者に対して理解の便が図られた。

先行研究と史料集との距離

 史料集は対象に対して理解がある者にとっては便利なものであるが、門外漢にとっては極めて困難な書といえる。水平運動一般ならいざ知らず、兵庫について理解が十分でない私にとって本書を読み進むのに相当の苦痛が伴った。そこで主要な先行研究を概観することによって、史料集との距離を詰めてみたい。

 兵庫水平運動史研究は、これまで必ずしも盛んであったとはいい難い。研究史を画するような代表的な成果は、数えるほどしかないといえる。唯一の通史は、阿部真琴・臼井寿光・酒井一・小林末夫・上野祐一良・落合重信・寺田政幸「兵庫県水平運動史」(部落問題研究所編『水平運動史の研究』第六巻、部落問題研究所出版部、一九七三年)である。

  当時の研究動向からして、階級性が重視されて共産主義勢力の指導性による労農連帯が強調されたものであったが、ともかくも兵庫水平運動の全体にわたって基礎的事実が明らかにされた研究の出発点となるものであった。しかし階級性や共産主義勢力の指導、労農連帯などは、後に明らかになることであるが実際の兵庫水平運動とは乖離があった。

 ようやく約二〇年を経た一九九〇年代に入って、新たな視角から兵庫県水平運動史研究が生まれるようになった。まず一九八七年から一九九一年にかけて『ひょうご部落解放』において七回にわたって「兵庫県水平運動史関係年表」をまとめた高木伸夫氏は、「兵庫水平運動の活動」(『ひょうご部落解放』第四一号、一九九〇年一二月)によって今日の共通認識となる兵庫水平運動史の時期区分をおこなった。

 そして一九九二年の兵庫県水平社創立七〇周年には兵庫部落解放研究所は『ひょうご部落解放』第四七号(一九九二年六月)において研究史上の画期となるような兵庫県水平運動史についての特集をおこない、本書にも「概説」として掲載された城間哲雄「兵庫県水平社創立七十周年に寄せて」とともに田宮武「兵庫県水平社同人の糾弾論」、三原容子「住吉水平社と純水平運動」、今井ひろ子「神崎郡における水平社運動と融和運動」などの論文と、本書の元になるような兵庫県水平社本部と地域別に分類した二〇一点の新聞史料を掲載した。

  四本の論文は阿部氏らの「兵庫県水平運動史」には全く触れないものの批判的観点を有したものであり、明らかに階級性や共産主義勢力の指導、労農連帯の陰に隠れて見過ごされていた兵庫水平運動における糾弾論の変遷や、仏教的色彩が強い純水平運動の路線、水平運動と融和運動との親近性などに焦点をあてたものであった。しかし、これらの意味ある研究も継続されることなく、わずかに高木伸夫「兵庫県水平社運動と労農運動」(秋定嘉和・朝治編『近代日本と水平社』解放出版社、二〇〇二年)が、共産主義勢力の指導という視角に囚われれずに兵庫県水平運動における労農連帯を詳細に跡づけただけであった。

 少なくとも私にとっては、これらの研究を踏まえてこそ、史料集という明確な目的意識によってしか読み解くことができない本書に立ち向かうことができた。これまでの研究では明確にされていないが、兵庫水平運動といっても地域毎に大きな差異が存在した。そもそも兵庫といっても旧国名を基本にした個性豊かな六つの地域から構成されていたから地域毎の差異は歴然であり、それに規定された部落の存在形態も多様な側面を有していから当然にして水平運動も多様に展開されていたのである。

  また特徴的な差別糾弾闘争や労働争議、小作争議なども必ずしも解明が進んでいないが、地域別の水平運動に埋没させることができない重要な意義と特徴を有したのである。このような問題意識を前提にしたのであろうか、本書では兵庫水平運動の特質を読み取れるように地域別と事件別を中心として史料が配列されたのである。

兵庫水平運動の特質解明へ

  はっきりいって私は水平運動についての通史には関心がなく、これは兵庫水平運動史に対してもあてはまる。個別地域における水平運動の通史ならまだしも、全国および府県単位の水平運動については通史は成立しないのではないかと考えているからである。兵庫の場合であれば本書にも示されているように六つの地域別差異が大き過ぎるが故に、画一性と発展という思考傾向が強い通史には押し込めることは無理があろう。

  部落の規模や立地、経済的基盤、生活状況、歴史的伝統、地域社会での位置などを考慮に入れて、部落差別との緊張関係をふまえた地域的なまとまりをもった水平運動の特質こそ明らかにすべきであり、それを前提にしてこそ兵庫水平運動についての特質の把握が可能となろう。しかし一概に特質といっても、比較とすべき一応の基準が必要であろう。水平運動史に関して現在のところ、私は一応の基準とは各地域および各府県水平社の統括体である全国水平社の思想や運動、組織であると考えている。しかし全国水平社の思想や運動、組織は不変的かつ固定的なものではなく、手前みそであるが拙著『水平社の原像』(解放出版社、二〇〇一年)で綱領や宣言、決議、規約などを検討したように、時期によって変容していったものと考えている。

 私は水平運動の独自的かつ基本的な闘争形態は差別糾弾闘争と部落改善費獲得闘争であり、それとの関連において労働争議や小作争議の実践や支援をはじめとした労農連帯、無産政党運動などの経済的・政治的行動が水平運動において重要な意味をもつと考えている。思想や組織などもそれ自体として重要であるが、これらは独自的かつ基本的な闘争形態などとの関連において本来は分析されるべきであろう。とくに差別糾弾闘争の位置づけについては、部落差別認識とともに展開される場である地域社会における諸関係を考慮することは不可欠である。

  また部落改善費獲得闘争は主として地方行政を相手としなければならず、当然にして競合しつつ連携もしていた融和団体や部落内の諸勢力との関係が問題となる。幸いにして本書には九つの事件についての史料が豊富に収録され、この課題の解明については大きく寄与することであろうことは疑いえない。さきほど地域別の水平運動の特質についてのべたが、差別糾弾闘争や部落改善費獲得闘争、労農連帯が深みにおいて捉えられてこそ明確になるのはいうまでもない。

 初めに述べたように、さしあたり史料集は対象に関心ある者にしか価値を有しないという宿命を背負っているがゆえに、史料集は対象に関心がある者に使われ論文などに纏められてこそ、その価値が一般的に表現されるといえる。聞くところによると、本書を編集した兵庫部落解放研究所が名称変更したひょうご部落解放・人権研究所では、近く本書を活用して兵庫水平運動史研究をおこなうための研究会を組織し、その成果を紀要に発表していくという。府県単位における水平運動の特質把握のための作業が進んでいない状況だけに、その研究会の活動に大いに期待したい。

 苦痛を伴いながらも本書を読み進めていくにつれ、城間哲雄という名前が私の頭に去来すること頻りであった。「発刊にあたって」でも触れられているように、中心となっていた彼の精魂込めた史料収集と整理という基礎作業がなければ、今もって本書は私たちの手元に届くことはなかったかも知れない。すでに私は彼の研究については「統一と団結のための部落解放史研究」(『ひょうご部落解放』第一〇六号、二〇〇二年九月)で述べたが、それにつけても最も本書を使い込める可能性を秘めていた彼の早世が残念でならない。

 さて最後にひとつ、事件別史料における事件の名称についての疑問を呈しておきたい。本書にある初期兵庫水平運動における差別糾弾闘争である「柏原自動車襲撃事件」「別府村騒擾事件」「寺前小学校脅迫事件」などの名称は、従来から「京橋事件」「別府事件」「寺前事件」などといわれてきた。それぞれ官憲などによる部落差別を前提にした「襲撃」「騒擾」「脅迫」が無批判的に名称として使われていて妥当であるとはいい難く、地名などを冠して差別事件の性格と糾弾闘争の内容を表したものにすべきではなかったかと悔やまれてならない。