2003年5月に東大阪市でú゙智鉉写真展「猪飼野――追憶の1960年代」が開かれ、同氏が1960年代後半に撮りためた膨大な写真の中から49点が公開された。それらは『ú゙智鉉写真集 猪飼野』(新幹社、2003年)に収められている。「猪飼野」は、かつては大阪市の旧東成区に含まれ、1943年の生野区の新設以降は主に同区内に位置し、1920年代から現在にいたるまで、最大規模の朝鮮人集住地域として知られるが、1973年に行政区画上の地名としては消滅した。
さてこの写真展を見て感じたことは多いが、そのひとつは、猪飼野の中にある御幸通商店街で、朝鮮語新聞を眺めながら店番をする若い男性と、買い物かごをさげて歩いている女性を写し撮った一点から受けた刺激である。女性は、下駄をはいており和服の上に割烹着という姿からみて、おそらくは日本人かと思われる。この商店街が「朝鮮市場」と呼ばれるほどの濃厚な民族的空間を保ちながら、そこは同時に、当然ながら日本人居住者もまた、くらしの中で利用してきた市場でもあるのだ。日本人と朝鮮人が日常的に顔をあわせていたことは、たとえば路地裏に自転車でやってきた紙芝居を食い入るように見つめる幾人もの子どもたちの表情を鮮やかにとらえた写真にも示されている。
異文化を背景とする者たちの日々のくらしの中での出会いは、友好的な場合もあろうが、むしろ露骨な排除や意識的・無意識的な無視などの形をとってあらわれることも多い。その両義的で複雑なあり方や関係性の中に、具体的な形で自らの立ち位置をさぐっていくこと。そのことの意義を、ú゙智鉉写真展は改めて突きつけているように思ったのだった。
ú゙智鉉氏の提起する問題にいかに拮抗し、それと向き合っていくことができるだろうか。私は本書を通読して大きな手がかりと知見を得ることができたとともに、正直に言って何かしらの違和感も同時に覚えた。後者の点は後で述べることにして、12人の共同執筆による762頁にも及ぶ大作ゆえ、まずは本書の概要を簡略に紹介しよう。
本書全体を導く理論的立場と調査方法を明示した「序章 民族関係の都市社会学」(谷富夫)で、編者は、本書の課題を「国籍、人種、言語、宗教等――総じて『民族』の異質性の増大は、日本の都市をどのように変えて行くのだろうか。また、どのように変わって行くことが望ましいと考えるべきだろうか。複数の民族が共同する社会を、ここでは社会学的観点から『多民族コミュニティ』と呼ぶならば、それはいかなる条件の下で、どのような形式と内容において実現が可能か?」と設定する。具体的には、長い歴史を集合的に維持してきた「大阪都市圏の在日韓国・朝鮮人社会と日本人社会の民族関係」について、民族関係に関する社会学の理論的系譜をふまえた上で、「生活構造のパターンが家族・親族結合を通して継承・伝達される(もしくはされない)プロセス」に着目して、個人の生活史を血縁・姻縁関係の中に位置づけ、長いスパンで民族関係、文化継承、職業移動などを研究する「世代間生活史法」を提起する。
「第一部 世代間生活史法の試み úJ――家族編」では、四家族五七人の在日韓国・朝鮮人からの生活史の聞き取りが家族別に分析されている。その際、各章ともに戦前移住世代、戦後世代、成長期世代、定住世代に分けて叙述が試みられる。第一部は、戦前期大阪の産業化の中で朝鮮人職工・職人が増加した猪飼野に住む済州島出身のW家を対象とした「第一章 猪飼野の工場職人とその家族」(谷富夫)、大阪郊外で戦争末期の軍需工事に動員された朝鮮人が定住した下層集落在住のY家をみる「第二章 同胞集住地域に住む家族」(高畑幸)、家族・親族の親密な相互扶助に支えられて上昇移動を果たしたX家を扱う「第三章 高学歴・専門職で生きる」(山本かほり)、そしてクリスチャン・ホームであるV家を例に文化継承をみる「第四章 キリスト教信仰と家族生活」(野入直美)からなる。
「第二部 世代間生活史法の試み úK――主題編」では、聞き取りをテーマ別に詳細に分析する。「第五章 民族関係の結合メカニズム」(二階堂裕子)は、X家とV家の各三世代の生活史を検討し、居住歴・地域特性・地域社会での所属集団の点から日本人との関係をみる。「第六章 エスニシティ〈顕在―潜在〉のメカニズム」(西田芳正)は、学校と地域社会を中心に、エスニシティが表出/抑圧される条件を問う。「第七章 生活倫理と職業倫理の持続と変容――集団主義再考」(近藤敏夫)では、厳存する構造的差別の中での民族間の対面状況において、民族文化が顕在化し、民族関係が結合的になり得る条件を集団的エートスに即して探る。「第八章 在日韓国・朝鮮人の社会移動――移動パターンの析出と解釈」(稲月正)は、社会移動のパターンを個別に検討し、とくに上昇移動における、個人の勉励、「ニッチ」(何とか入り込める産業上の隙間のこと)を足場とした自力主義、家族や同胞のネットワークの役割を重視する。
「第九章 配偶者選択に見る民族関係――ジェンダーの視点」(大束貢生)は、四家族四世代の聞き取りから、女性の場合、旧世代ではV家とX家では同胞との結婚を志向し、W家とY家では国際結婚に寛容であったのに対して、新世代では前二家族と後二家族の傾向が逆転していること、また男性の場合は長子相続の伝統が今も強いことを示す。「第一〇章 祖先祭祀――世代間の関連と比較」(中西尋子)は、祭祀が簡素化や縮小化、また親族単位から家族単位へと変容しつつあるにもかかわらず、エスニック・アイデンティティを確認する機能を保持し続けていることを四家族について明らかにする。「補論 世代間生活史法と家族研究」(藤澤三佳)は、本書の方法を家族研究・ライフコース研究との対比の中に位置づける。
「第三部 地域社会の民族関係」は、猪飼野周辺地域を分析対象とする。「第一一章 民族集住地域の形成――大阪市生野区桃谷地区とその周辺」(西村雄郎)は、同地区の歴史的形成を旧木野村と旧猪飼野村の地主の対照的な行動もふまえて跡づけ、地域としての構造変容に説き及ぶ。「第一二章 日本人住民の民族関係意識と民族関係量」(稲月正)は、在日韓国・朝鮮人集住地域の日本人住民に対する大量アンケートの実施・分析に基づき、望ましい民族関係形成のための視座を提供する。
「終章 民族関係の可能性」(谷富夫)は、以上の個別研究を総括して、民族関係、民族文化、階層、地域などに関する仮説群を総合的に提示する。
本書の最大の特徴は、膨大な生活史の聞き取りデータの収集にあるが、それにとどまらず、個別の生活史が各章においてそれぞれ異なった観点から繰り返し浮かび上がるように工夫されて配置されたところにあり、それが各章を連動させて記述に厚みを与えるとともに、全体として方法的にも首尾一貫した作品としての性格を持たせている。とくに各章に出てくるV家の人びとへの言及はきわめて興味深い。そこには編者の強力なリーダーシップがうかがえ、社会学的理論化も十分に意識されている(タイトルに「在日韓国・朝鮮人」という表現がないことにもその一端がうかがえよう)。そうした意義を大いに認めた上で、調査の方法という点に絡めて読後感をいくつか記してみたい。
本書の巻末には、資料として「世代間生活史調査のための『基本的な質問項目』」や「世代間生活史調査のフェイス・シート」などが掲載されている。そこにあげられた諸項目を埋めることによって、調査者集団の認識を共有化がはかられ、基礎的データがつくられたことは十分に理解できる。
さて、それらの項目の中に、在日韓国・朝鮮人の歴史と現状の節目となるさまざまなできごとを記した「歴史時間」という項目があるが、それが他の項目とどのように関連して質問と応答が展開していくのかという点については、調査者の主体的意志が介在してくるだろう。そこには済州島四・三事件(1948年)は記されていない。そこには語り出し得ない、あるいは記録し得ない事情が作用しているのかもしれない。
だが、たとえばなぜ4月に各家庭で祖先祭祀(チェサ)が行なわれ、その関連商品の売上げがふえるのかという問題は、済州島四・三事件と深い関係にある。とくに生野区在住の韓国・朝鮮人の中では、済州島出身者の比率は傑出して高い。こうした状況をふまえるなら、聞き取りもまた、済州島と大阪、朝鮮半島と日本、さらには東アジアの情勢が個人・家族・親族の歴史の中に影を落としているという点に注目する必要がありはしまいか。それは、同年同月の阪神教育闘争の記憶とも関連しながら、生活史の中では容易には解きほぐしえない問題であり、だからこそ人びとの胸底に今なお何らかの形で残っていると考えられる。歴史的出来事が、一人ひとりの語りの中にどのような意味をもって表われているのかという点で、いっそうの掘り下げが求められるのではと感じた。
また四・三事件以後に、大阪・猪飼野をめざしてさまざまな形で移り住んできた人びとは、1950年代以後の生野区の産業を下支えしてきたことは本書にもふれられているとおりである。これらの人びとにとって、生活の中に、国境をまたぐ血縁・地縁のつながりと、また国境をまたぐ国家権力のつながりが影響してきたことは、私自身、1980年代から90年代初めにかけて同区内に居住した者として耳にしたことであった。
こうした点は、1965年の日韓基本条約締結、協定永住資格の申請期限(1971年1月16日)にいたる生野区の中での民団と総聯との対立、1973年の地名としての「猪飼野」の消滅(その原因として、「朝鮮人の街=猪飼野」というレッテルに反発する同地域在住の日本人の声があったという)、1980年代の指紋押捺拒否の区内外における広がり、といったできごとについても妥当する。これらの事件は、狭義の政治史や国際関係史の文脈ではなく、日常生活史の文脈において語りだされるとき、そしてまたそれらの節目に何らかの態度を示した(あるいは示さなかった)日本人との関係の中で具体的に語りだされるとき、「猪飼野」は、文字通り幾重にも深い交錯を刻み込んだ民族関係の〈場〉として立ち現れてくるのではないだろうか。
このような観点は、ú゙智鉉氏の圧倒的な写真群に拮抗して自らの主体的位置を立てようとするとき、手離してはならないと私は考える。それは、決して語りをロマンチシズムやノスタルジアに導いてこと足れりとすることではない。「多文化共生」という、今や何ものをも呑み込んでしまう感のある流行の器に対して、独自の位置取りを探る作業を進めようとするとき、改めて切実に求められている観点ではないだろうか。
10年間をかけて準備され周到に構成された本書から得た大きな収穫を改めて思うとともに、若干の印象を記してみた。問題は、いわゆるアカデミズムの社会学という領域内だけで議論すべきではないということに思い至ったからである。微意を汲んでいただければ幸いである。