昨今、不可逆的に進行しつつあるグローバリゼーションの影響のもと、多文化主義がキーワードとなっている。特に国境を越える人の移動により、「日本社会」においても、あらゆる場面で否応なくより「多文化化」されていくことが予想される。そして、それに伴う複雑な問題も生起しつつある。本書は、主にアメリカで行われてきた多文化主義をめぐる論争を簡潔に整理することにより、我々が目指すべき社会はいかなるものなのか、手がかりを与えてくれると同時に、その実現が困難であることもまた示される。
本書の特徴は、アメリカで行われている多文化主義論争を、フランスに紹介するための概説書という点である。アメリカから一定の距離をおいて概観しているために、逆にアメリカ社会の問題点がよりわかりやすく示されている。著者によれば、本書の目的は、A.アメリカにおける多文化主義の展開の描写、B.多文化主義論争による複雑で矛盾した理論的問題の提起、C.多文化主義=ポスト工業化社会における深い変化であることの提示、である。A.では、多文化主義が、「差異をいかに統御するか、多中心的空間をいかに共有するか」という問題を、現代アメリカ社会に突きつめてきたことが歴史的経緯に沿って概説されているが、特に重要なのはB.とC.であろう。
B.で論点となっているのは、マイノリティに対するアファーマティブアクションやカリキュラム論争などの教育の問題、セクハラを事例とするジェンダーと対人関係の問題、他者による「承認」をめぐるアイデンティティ・ポリティクスの問題である。著者は、それらの背景には単一文化的認識論と多文化的認識論という対立する認識が存在することを指摘する。そしてそこには、本質主義vs構築主義、普遍主義vs相対主義、平等vs差異、客観的能力vs主観的承認という対立が潜んでいるのである。ここから、多文化主義は、白人やヨーロッパ人の特徴を全人類のものであるとする「普遍主義」から構築された近代性の投企への挑戦であることが鋭く指摘される。
C.では、民主的で公正な社会を実現するための前提条件である個人主義が、マイノリティ・エスニック集団・社会運動などと鋭く対立する様相が示される。その背景として、政治学的・社会経済学的要因よりも、社会文化的要因の比重が高まっていることが指摘され、現代社会分析として非常に興味深いが、紙幅の都合上詳しく論じることはできない。
最後に、著者は、「真に」多文化的な空間を、
- さまざまな集団が承認とアイデンティティの要求について満足でき
- エスニシティの範囲を超えて集団的次元が存続でき
- かつ平等で民主的な諸制度が存在する可能性を保持することができる
空間と定義する。
しかし、これらを実現するような多文化的な空間モデルはないとする。結局、このような社会を作り上げられる(べき)かどうかは、社会を構成する一人一人の手にかかっている。本書はそうした社会に向けての見取り図の役割を果たしていると言えよう。